• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ntkd29のブログ一覧

2016年08月18日 イイね!

翼の向こうに(4)




今の戦が容易な状況ではないことは知っていたが、本土にいるとまだそれほどの切迫感はなかった。それが硝煙の燻るようなフィリピンの最前線から帰って来た高瀬から聞かされると容易ならない状況にさすがに神妙になってしまった。

 
零戦の空戦能力が相対的に低下していると聞いても、実際に敵と渡り合ってきたわけではなく、何時も零戦同士で訓練をしている我々には敵の新鋭機の話を聞いても実感が沸かなかった。


「空戦ではどうしてたんだ。」

 
私は高瀬達がどんな戦争をしていたのか興味があった。


「俺は奴等のやり方を借用させてもらったさ。こっちが有利な時に一撃食らわせて、その後は尻に帆をかけて逃げたよ。中には妙に勇敢な海兵出の士官がいて、何倍もの敵の中に飛び込んで行くんだが、そんなことをしていたら命なんか何日も持ちゃしない。それよりも奴等は兵力を集中して一度ガンと叩いておくと、しばらくは近づかないからな。少しでも長く生きて戦う方が結局は国の役に立つと思うんだけど、どうもこの国は花と散るのが好きなようでな。

 
それでも最後には他の隊から紫電を借りて単機でB二四に殴込みをかけたよ。あまり卑怯未練と言われて腹が立ってな、たったの二機か三機で敵の機動部隊を真っ昼間に攻撃して来いなんて馬鹿なこと言うから、『そんなことするよりも陽動作戦で敵を揺さぶった方がいい。残った飛行機を大事に使いながら出来るだけ長く戦争を続けて敵を引きつけておくべきだ。奴等は後ろに敵を残すのを嫌がる。細くてもいいからここで長く戦を続けるべきだ。』と言ったら、『俄か雇いの予備士官はそんなに命が惜しいか。』とか何とか言いたい放題言うんで『それなら零戦ではなくて紫電を借りてくれ。B公が二度と来ないようにしてやる。』って司令部で啖呵を切ってな。

 
その時は二機を落とした。敵機と反航して目の前で背面になってそのまま降下して主翼の付け根に二〇ミリ撃ち込んでそれから操縦席に射線を移して行くんだ。そうして敵の機首すれすれに抜けてから反転上昇してもう一度高度を取り直してまた攻撃する。それを敵が落ちるまで繰り返したんだ。

 
うまいこと敵の爆撃機を撃墜して帰ろうとしたら、護衛のP三八に追いかけられてな。一機は落としたけど残りのが四機も五機も群れてきてしつこくてな。単機にB公二機も撃墜されて頭に来たのかな。飛行場に滑り込んで乗り物から逃げ出した途端に銃撃を食らって、せっかくの紫電も燃えちまった。奴等、対空砲火で一機落とされたのに本当にしつこかった。日本人のようなその場だけの情緒的な勇気じゃなくて、これと目的を定めると、そんな時は呆れるくらい執拗に食いついてくるよ。でもその時そうしてガンとやっておいたので、それからしばらくはうちの基地には本当にB公は来なくなったよ。

 
紫電はいい乗り物だよ。視界が悪いの、操縦性が悪いのと言って嫌う奴も多いけど、機体は頑丈でいくら突っ込んでも軋んだりしないし、防弾もほとんどないも同然の零戦に較べれば遥かにしっかりしている。発動機も整備していい油を使えばよく回る。弾がガンガン当たっても簡単には燃えない。もしもあの時零戦に乗っていたら俺も撃墜されていたかもしれない。

 
日本は元々資源がないし、国も小さい。技術だって欧米に較べれば劣っている。それなのにそんな国が防弾もろくにしていない戦闘機や爆撃機を作ったりして戦闘員も兵器も消耗品扱いだ。たった一回だけ損害を無視しても勝つためにやるのならそれもいいだろう。けれど日本のような貧乏国は、損害を出来るだけ少なくして戦果を最大に上げるような戦争のやり方を考えなくてはいけないのに、日本なんかよりも遥かに裕福な米英の方が合理的な戦争のやり方を研究して日本はその場の感情だけでろくな考えも陸海軍相互の連携もなく個々ばらばらに敵に当たっては皆粉砕されてしまっている。」

 
高瀬が憤懣やる方ないといった風情で杯を取り上げようとした時、部屋の襖が開いた。私たちが振り返るとそこには中将の階級章を付けた士官が立っていた。


「君達、なかなか面白い話をしているな。私にもその話を聞かせてくれないか。」

 
その提督は私達の話を聞いていたにも関わらず、特に激昂した様子もなく、穏やかな風情で部屋に入って来た。私達はバネに弾かれた人形のように立ち上がって不動の姿勢を取った。中将などという階級の高級士官に間近で相対するのは海軍に入隊して以来これが初めてだった。


「邪魔させてもらうよ。」

 
提督は床の間を背にして胡座をかいて座った。


「名前を聞いておこう。」


「横須賀航空隊付き、海軍予備中尉高瀬美孝であります。」


「同じく筑波航空隊所属、海軍予備中尉武田史朗。」

 
氏名を申告する時、脂汗が粘りつくように首筋を流れた。高瀬も私と同じように汗を流していた。


「そうか、まあ座れ。私は・・・・」

 
海軍次官の植松云々という言葉が遠くに聞こえた。その後にもう一度「座れ。」という声が聞こえたのをいいことに私たちは尻餅をつくようにさっきまで大あぐらをかいて座っていた座布団にへたりこんだ。


「突然割り込んで済まなかった。君達がなかなか面白い話をしているので、つい覗いてみたくなった。もう一度飲み直しのつもりで付き合ってくれ。おい、副官、何か頼んでやってくれ。それから君もこっちに来いよ。」

 
副官と呼ばれた士官は帳場に注文に行ってから部屋に入って来た。これも少佐の階級章を付けた壮年の士官だった。


「佐山君、これからこの若者達が言うことを聞いても怒っちゃいかんよ。我々職業軍人とは違った視点でこの戦争を見ている者の意見として聞いておくんだ。」

 
佐山と呼ばれた士官は黙って頷くとその後で私と高瀬を交互に睨み据えた。その目にはありありと私達に対する抑え難い憎悪の色が滲んでいた。


「この戦争を君達はどう思う。忌憚のない意見を聞かせて欲しい。」

 
次官の言葉に高瀬が答えようとするのを遮って私が口を開いた。ついさっきまで海軍省次官の前で縮みあがっていた私のどこにそんな勇気があったのか、私自身にも分からなかった。


「軍法会議を覚悟で申し上げます。この戦争は満州事変、支那事変を含めて、開戦したこと自体間違っています。日本は開戦すべきではなかったと思います。そして今の時点で言わせていただけば、戦争の仕方それ自体が間違っていると思います。

 
日本はアジアの盟主として経済、技術援助を中心として地域を主導すべきでした。資本と技術を投下してアジアに産業を興し、アジアの国と共存共栄を図るべきだったと考えます。」


「その経済進出の段階で米英を中心とする欧米列強と衝突したらどうするのか。」


「その場合は日本の軍事力を背景に、あくまでも外交交渉を続けるべきでした。三国同盟を締結しなければ、または脱退していれば、単に経済的な権益だけが問題ならば交渉成立の望みはあったと思います。

 
米英は自国の利益を第一に計算づくで外交を推進します。その場合、開戦時の日本の軍事力は米英にとって最終的に屈服させることはできるとしても、そのために支払う犠牲は決して無視できないものだったと思います。

 
米英にとってドイツを支配するナチはどのような犠牲を払っても打倒しなければならない敵であったかもしれませんが、日本が中立を維持する限り米英には敢えて日本と事を構える必要はなかったはずです。しかし日本のなりふり構わぬ大陸や東南アジアへの進出に対して、それを抑えようとする米英に対抗するためにナチと手を組んで歯向かったことが、西太平洋、アジア地域における米英の権益の保全、あるいは以後のこれらの地域への経済進出と相俟って、米英に『日本はナチとともに打倒しなければならない敵である。』と認識させた。

 
あるいは英米が世界に日本をそう認識させるのに成功したのだと思います。石油、鉄等の物資の安定供給と通商の回復、中国その他のアジア地域における日本の資産の保全を条件に、同時に米英の権益の保全及び経済的な進出を認める形で譲歩すれば、あえてこちらから戦争を仕掛けない限り、たとえ米英に日本を軍事的に屈服させ得る確信があったとしても、そのために被る自国民の被害や軍事的損失を敢えて受け入れてまで彼等が開戦に踏み切るようなことはなかったと思います。」


「ハルノートのような屈辱的な最後通諜を突きつけられたらどうするか。」


「どの時点まで遡って申し上げればよいのか、それによっても異なりますが、本来日本がアジア、特に中国に対して軍事侵攻ではなく経済あるいは技術的な支援という平和的進出を行っていれば、日米交渉も違った形で行われたでしょうし、たとえ現実通りの通諜が行われたとしても、政治に携わる者が『外交は基本的に自国の利益のために行うものであって他国や世界平和のために行うものではない。』という功利冷徹な哲学を持ってことに当たっていればその結果も変わっていたと思います。」

 
次官は特に自分の意見を言うでもなく、黙ったまま私の話を聞いていた。そしてまた次の質問を口にした。


「国内問題はどうするか。特に陸軍をどう押えればいいと思うか。本来、国家の中で軍はどうあるべきか。」

 
私は考え込んでしまった。軍の統制について論ずると、どうしても天皇制と統帥権の独立について触れなければならなくなってしまうからだった。実際戦闘の第一線に立っていればこそ戦闘や戦術についての批判をすることについてはそれなりに言い訳も立つが、天皇制について言及することは絶対禁避だった。


「この国では国内問題は外交よりも難しい面が多くあります。それはこの国が内部の和を非常に重要視するからです。意見の統一、又は一致、調和、それらが表面上のことであっても、それが達成されないとこの国の内政は容易に動かないからです。

 
根回しといった日本独特の手法もそんなところから生まれてきたものだと思います。様々な思惑や利権が絡み合う政治の世界で、国家の意思を全会一致によって決定することは非常に難しい事だと思います。将来にわたっての軍の統制ということに限って意見を申し上げれば、内閣による軍の管理といった文民による軍の統制といった方法が考えられると思います。」

 
そこまで言ったところで佐山少佐が立ち上がった。私は『殴られる。』と思い、口を結んで備えた。左顔面に衝撃が走り、その直後、「貴様は、恐れ多くも陛下の大権を何と心得るか。」という怒声が浴びせられた。顔を上げると怒りに体を震わせている佐山少佐の姿が目に入った。


「統帥権を私物化して陛下を蔑ろにしてきたのは陸軍を中心とした軍部の方ではないのですか。この日本の国力を遥かに超えた戦争のために国は荒廃して、多くの国民が血を流して傷つき、死んでいます。そんな状況を陛下がお喜びになるはずはありません。」

 
私はいつになく興奮していた。立ち上がって佐山少佐と睨み合いになった。


「もういい。やめなさい。」

 
次官の静かだが重みのある声が響いた。佐山少佐は次官の方を振り返った。


「しかし、次官。」


「怒っちゃいけないといっただろう。」

 
次官の言葉で漸く佐山少佐は下がって腰を下ろした。


「国内問題についてはもういい。高瀬中尉、今度は戦術について君の意見を聞かせてくれないか。確か練習航空隊で教官を手玉にとってきりきり舞いさせたと評判だった予備学生がいたそうだが、君がそうなのか。横須賀航空隊付きといっていたが、その前はどこの部隊にいたのか。」


「第一航空艦隊第二〇一航空隊で比島におりました。」


「そうか。御苦労だった。ところで君の戦闘に対する考えはどうか。」




Posted at 2016/08/18 16:58:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説2 | 日記
2016年08月18日 イイね!

マラソン日本代表の福士加代子は不謹慎だって、・・。




リオデジャネイロ五輪が盛り上がっている。日の丸を背負う代表選手たちの熱い戦いを手に汗握りながら見入っている人は多いはず。しかしつい先日、そのリオ五輪に出場した1人の日本人女子選手の言動が大きな波紋を呼び起こした。リオ五輪・陸上女子マラソン日本代表の福士加代子(ワコール)が14日のレースで日本勢最高位の14位となり、レース終了直後に向けられたマイクに向かって次のように叫んだのである。

 

「金メダル取れなかったあ! ほんとしんどかったあ! 暑いけどなんか、しんどすぎて、いろいろなことがしんどすぎて。でも金メダル目指したから最後までがんばれました」

 

このレースで優勝し、金メダルに輝いたジェミマ・スムゴング(ケニア)のタイムは2時間24分04秒だった。福士はレースでスムゴングらの先頭集団に25キロ過ぎまで入っていたが、徐々に離されていってペースダウン。結局1位から6分近くも引き離され、タイムは2時間29分53秒に終わった。

 

結果はメダルどころか入賞にも届かず、明らかに「惨敗」。それでも福士はガッツポーズでゴールインを果たし、笑みも浮かべていた。そしてテレビカメラを前に前出の言葉を口にすると、さらにこうも続けた。

 

「マラソンはね、きついな。ここまでの過程も、レースも全部苦しいけど、オリンピックのマラソンは出るもんだね。楽しいよ。苦しいけど。もう泣きたい」

 

案の定、ネット上は大炎上した。期待に応えられなかったにもかかわわらず、「金メダル取れなかったあ!」「オリンピックのマラソンは出るもんだね。楽しいよ」などと連呼したことで、嵐のごとく凄(すさ)まじいバッシングを浴びせられた。その罵詈雑言の数々をいくつか拾い上げてみると、以下の通りだ。

 

「この結果でヘラヘラしながらメダル云々を口にするのは余りに品がない」「惨敗したのに『楽しい』なんて口が裂けても言えない」「日の丸を背負っている意識がまるで感じられず、最初から五輪出場を自分のためだけの記念レースだと思い込んでいたのだろう」「聞いていて本当に腹が立った」など――。


●福士加代子は誤解を受けやすい選手


ここに至るまで福士選手が努力を積み重ね、口先だけではなく本当に金メダルを狙っていたことは間違いない。ただし、あのレース終了直後の発言に関しては“失言”とみなされ、批判を受けても仕方がなかったのかもしれない。福士加代子という人物は非常に誤解を受けやすい選手だからだ。

 

五輪では過去3大会(アテネ、北京、ロンドン)で長距離走(アテネ=10000mのみ、北京・ロンドン=5000mと10000m)の代表選手に選ばれ、3000m、10000mの日本記録、そしてハーフマラソンのアジア記録保持者でもある。5度目のフルマラソン挑戦となる2013年8月の世界陸上モスクワ大会では銅メダルにも輝いた実績の持ち主。青森県出身の「みちのくの爆走娘」はトラックレースで、そしてマラソンでもしっかりと結果を残してきた。

 

その上で福士はこれまでも陸上界において「キャラが濃い」ことでも知られていた。津軽弁丸出しでインタビューに応じたり、珍発言を繰り返したりするなど非凡な実力に加えて、リップサービスも非常に旺盛で異色の存在として脚光を浴びていたのである。

 

一方で内面は恐ろしいまでに自分を追い込む超ストイックな人物であることも忘れてはいけない。トラックレースで過去3度の五輪出場を果たしたものの悲願のメダルには届かず10000mでは入賞も逃し、北京とロンドンで出場した5000mはいずれも予選落ち。その悔しさがあったからこそ、マラソンでリベンジを図ろうとした。

 

マラソン挑戦当初はレース終盤で“ガス欠”を起こして失速するケースが多かったことから、栄養士の助言で食事摂取量を3倍に増やし、白米も毎食食べて糖質をエネルギー源にする食事改善も敢行。陰の努力を積み上げた末に3年前の世界陸上モスクワ大会で銅メダルを取ったことでマラソン競技に手ごたえを感じ、さらに精進して今度こそ五輪の表彰台で1番上に立つと自分に言い聞かせた。


●リオで金メダルだべ、うふふ


何と言っても、その福士のキャラの濃さが際立ち、世に知れ渡ったのは一連のリオ五輪代表選考騒動のときだろう。今年1月、福士はリオ五輪代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンで2時間22分17秒の自己最高記録をマークして圧勝。3年ぶり2度目の同大会優勝を飾り、日本陸連の設定記録(2時間22分30秒)を9年ぶりに切った。

 

優勝インタビューでは得意の津軽弁パフォーマンスで「リオ決定だべえ!」と早とちりで叫んだものの、同年3月開催のリオ五輪代表・国内最終選考会を兼ねた名古屋ウィメンズマラソンがまだ残されていることを理由に日本陸上競技連盟(日本陸連)から代表内定の通知は“保留扱い”とされた。

 

これに福士サイドは猛反発する形で一般枠で名古屋ウィメンズマラソンに出場し、改めて好タイムを記録して五輪代表の座を射止める強行出場プランをほのめかしたが、日本陸連や周囲から「コンディションにも影響を及ぼすので五輪でメダルを狙うならやめてほしい」と猛反対を受けた。

 

すったもんだの末に「総合的判断」として福士は強行出場を回避し、名古屋ウィメンズマラソンで好記録が生まれなかったこともあってリオ五輪代表に選ばれたのである。

 

今年3月18日の会見で福士は大勢のメディアの前で、こう言い放った。

 

「マラソンは過去の先輩の功績があるので、チャンスだと思っている。覚悟を表明したのでどんな練習でもやるしかない。リオで金メダルだべ、うふふ」

 

あえて五輪では今まで1度も立ったことのない表彰台を狙うことを宣言した。しかも口にしたのは、その頂点だ。自分を追い込むストイックなタイプであるがゆえに有言実行の強い気持ちが芽生え「金メダル」の言葉が飛び出した。十八番の“だべ”も、しっかりとつけて――。

 

しかし、雪辱を期した今回のリオ五輪で彼女に勝利の女神は微笑まなかった。6月に右足の炎症を患うなど100%満足な調整ができなかったのも事実。それでも言い訳はしなかった。


●素顔は不器用かつストイック


2007年の香川丸亀ハーフマラソンに出場したときだったと記憶している。当時、福士は筆者に「なるべくならばレースが終わったら笑顔でいたい。必死になって走った後、同じように辛い顔をしていたら周りも自分も暗くなってしまう。それは嫌でしょ。だからそれが自分のスタイル。非常に不器用なのかもしれないですが……」と言ったことがある。その言葉は今も頭の中にこびりついている。

 

だから毎回レース後に飛び出すおちゃめな発言(今回のリオ五輪では“KY発言”と多くの人から受け止められているが)も、そしてあえて貫き通す笑顔も不器用だからこそ揺れ動く内面や本心を周囲に見せまいとするための“仮面”にしているのではないだろうか。

 

それが証拠にゴールイン後、笑顔を見せながらも福士は汗とともに流れ落ちる大粒の涙を周囲に気付かれないように何度もタオルでぬぐっていたという。素顔は不器用かつストイックな「みちのくの爆走娘」の4度目の五輪が終わった。


「がんばったけど、負けた。人生で一番がんばった」。


そう自分に言い聞かせるようにコメントした福士は死力を振り絞りながらも「負けた」ことで、内心では悔しさと納得感が複雑に絡み合っているはず。負ければ批判を受けるのが代表の宿命であることも十分によく分かっている。今後は休養が濃厚だが、気持ちを整理してすべてをリセットしてほしい。




頑張ったんだからいいんじゃないの、何と言おうと、・・。不謹慎だの品がないだの外野がとやかく言うことじゃない。強化費用だのなんだのお上から出ている分もあるだろうし、国家の代表として参加しているんだろうけど、体を張って鍛えて参加したのは本人だからねえ。苦しいことも辛いこともあっただろうし、何よりも負けた本人が一番悔しかったんじゃないの。ガラッパチを装っていても吹き出す汗に紛らわせて拭っていた涙が一番それを物語っていると思うけどね。ご苦労さんくらい言ってやれよ。





Posted at 2016/08/18 15:48:51 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2016年08月18日 イイね!

SEALDsが残したもの




8月15日、集団的自衛権反対などを掲げた学生政治団体SEALDsが解散した。彼らは集団的自衛権反対デモを主催し、国会前での反対集会などを行ったが、その活動内容や方法などに対しては批判も多く、学生など多数の若年層の支持を得ることはなかった。それは参議院議員選挙での若年層の投票結果(全年代の中で自民党支持率が最も高い)にあらわれているといえる。

 

SEALDsは、一部メディアなどにより若者の代表であるように扱われてきたが、投票結果を見る限り明らかな間違いであり、所詮ノイジーマイノリティー(うるさい少数派)の代弁者にすぎなかったわけだ。

 

そして、彼らの活動には常に共産党など野党とその関連団体や人物の影が見え隠れした。SEALDsは良くも悪くもそのような人らに利用されつつ、逆に利用もしたというのが一つの実体でもあるのだと思う。

 

SEALDsメンバーの野党への選挙支援や協力がそれを明らかにしたともいえる。しかし、各種選挙での支援候補の選挙結果を見る限り、それは失敗に終わったといえるだろう。

 

私はSEALDsの活動が無意味だったわけではなく、わが国に対して非常に大きな成果を残したと考えている。なぜなら、彼らによって、一部のメディアに潜む隠れ左派活動家の存在が明らかになったからだ。

 

日本では、報道メディアに対して放送法で政治的中立性が求められている。当然、一部の政党や政治家などの意見だけを流すのは許されず、特に政治的に対立する問題に関しては対立意見を紹介し平等に扱う必要がある。だが、タレントやジャーナリストを名乗る人たちの多くは中立を装いながら、報道に名を借りた反政府活動や政治活動を行ってきた。

 

昨年のSEALDs現象と国会前デモと集会は、このような人たちを駆り立て、自ら名乗り出させることに成功したといえる。都知事選への出馬を最終的に取りやめたがタレントの石田純一氏や、ジャーナリストの鳥越俊太郎氏がその典型だといえる。

 

また、SEALDsが、若年層を中心とした学生運動を知らない世代に、改めて市民団体など左派活動家の存在と思想や活動などを知らしめた役割も大きいと思う。

 

1980年代になるとほとんどの大学から学生運動団体が消え、彼らの主張や過去に起こした事件などを知らない学生がすでに多数を占める。左派活動団体、特に過激派などの危険性やリスクを認識しない学生ばかりになっていたわけだ。今回、SEALDsがこれを再認識するきっかけを与えてくれたことは間違いない。そして、これを否定する学生を大量に生み出しただろう。

 

SEALDsはさまざまな世代と分野で、非常に優秀なリトマス試験紙として機能し、隠れていた多くの問題を炙(あぶ)り出ししてくれた。これはSEALDsなしには成し得なかったことであり、日本にとっても非常に良いことだったと思う。ありがとうSEALDs、さようならSEALDs。




かつて若者が世界を動かすかと言われた時代があった。その運動は世界的に盛り上がり日本も同様に若者が世の中を揺り動かしした。しかし、その結果は学生運動の過激化であり、最終的には赤軍などのテロ集団を生み出しただけだった。最近の例では、「アラブの春」と言われた民主化運動だ。これもアラブ社会の民主化を一気に進めるかと思われたが結果として残ったものは混乱とISだけだった。どうしてこういうことになるかと言えば、こうした素人による政治活動は冷徹な状況分析もなければそれに対応する具体的な政策もない。ただ、自分たちの主張を情緒や感情で相手に訴えるだけだからだ。情緒や感情に訴えるとツボにはまれば効果は絶大だが、その一時の興奮が冷めた後には何も残らない。唯一残るのはうねった感情の大きさに比例する混乱だけと言うことになる。まあ、ボクたちのやったことはその程度のことでレベルが低かった分大きな混乱が残らなかったことだけが唯一の救いだった。あ、そう言えばそんなものと手を組んでまで選挙に勝とうとした民進党とか言う選挙同好会があったなあ。レベルは一緒と言うことか。





Posted at 2016/08/18 13:00:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2016年08月18日 イイね!

宮古島市議会、尖閣水域での中国公船の違法活動に抗議




沖縄県宮古島市議会は18日、同県石垣市の尖閣諸島沖で今月、中国公船と漁船が相次いで日本の領海や接続水域に入ったことを受けて臨時会本会議を開き、中国への抗議決議を全会一致で可決した。

 

「尖閣諸島強奪に向けた動きとも捉えられる」と非難、警戒監視体制の充実や漁業者の安全確保を日本政府に求める意見書なども採択した。

 

決議は、中国海軍の艦艇が6月に尖閣諸島周辺の接続水域を航行したことにも言及。「国際法を無視する行為は、沖縄県民に強い衝撃を与え、漁業者へ大きな不安と恐怖をもたらしている」と訴えた。




そうだ、そうだ、もっと言ったれ、言ったれ。でも沖縄の知事さんには言わなくていいのかな。 





Posted at 2016/08/18 12:59:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | 政治 | 日記
2016年08月18日 イイね!

翼の向こうに(3)




練習航空隊を卒業すると私達はそれぞれ各地の航空隊に配属され任地に赴任して行った。私は内地の戦闘機隊だったが、高瀬は戦闘機搭乗員としてフィリピンの航空隊に配置となって早々に赴任して行った。当時フィリピンは米軍の侵攻が開始された激戦地であり、赴任すること自体が命懸けだったが、高瀬は特に緊張するでもなく笑って輸送機に乗り込んで南の空に消えていった。

 
その後高瀬からは『無事に着いた。酷いところだ。』といった程度の簡単な内容の手紙が一本舞い込んだが、それきり音信が途絶えてしまった。

 
その年の暮れ、フィリピン方面の組織的な戦闘も日本の敗北で終息して、次は台湾か、沖縄かと上層部が喧々諤々議論を重ねていた頃、補充機を受領に行った私は偶然高瀬と再会した。

 
私が受領書に署名しようとしていたところ、「零戦なんかじゃもう駄目だよ。奴等に歯が立たない。」と後ろから声をかけられて驚いて振り返るとそこに高瀬が立っていた。日に焼けて少し精悍な風貌にはなっていたが、彼独特の淡々とした表情は変わっていなかった。


「無事だったのか。心配したぞ。」

 
私が駆け寄ると高瀬も笑顔で近づいて来た。


「武田、零戦じゃあもうグラマンには歯が立たない。紫電か陸軍の四式戦なら互角にやれるが、どっちも故障が多くてまともに飛びやしない。五二型乙、こいつはもう時代遅れだ。重くて速度は出ない。機動性も初期の物とは比較にならないほど落ちている。発動機を換えればまだ少しはなんとかなるんだろうけど。」


「まあ、話は後でゆっくり聞かせてくれ。時間はあるんだろう。」


「ああ、フィリピンから戻ってここで居候だ。お前はどうなんだ。」


「新しい機体を受領に来た。出発は明日の朝だが、内地はまだそれほど緊迫しているわけでもないから、整備が必要とか何とか理由をつければ一日くらいは大丈夫だ。」

 
そうして私達は夕刻、町の料亭で改めて顔を合わせた。


「お互い無事でなによりだ。しかしフィリピンは酷かったらしいな。」


「来る日も来る日も迎撃戦でな。それに特攻の直掩、あれは辛かった。黙って突入するのを見ているのが。あれはもうまともな戦争じゃない。直掩と言っても仲間の死を見届けて帰ってくる奴は白い目で見られるし。『戦友が死んで行くのに何故帰って来た。』ってな。実際、特攻機の後を追って突っ込んだ者も大勢いたよ。その気持ちは分かるけどな。爆装もしていない零戦で突っ込んでも相手に与える被害なんか高が知れているのに。」

 
高瀬の話を聞いていて予備士官も含めて下級士官など消耗品くらいにしか思われていないこの時期に高瀬自身がよく特攻に指名されなかったことに驚いた。実際我々の訓練も空戦よりも特攻を想定した急降下が大部分だった。高瀬にそれを言うと声を上げて笑った。


「一応、これでも飛行隊のエースなんでな。」


「何機墜した。」


「B二四、二機を含めて一一機、それから共同撃墜が七機。特攻の打診はあったが、飛行長が血相変えて抗議に行ったら、それきり沙汰止みだった。」

 
劣勢の海軍航空隊ではあったが、実戦の様子を知らない私には練習航空隊当時の高瀬のことを考えればこの程度の戦果は朝飯前のように思えた。


「武田、貴様実戦は。」


「制空任務で上がったことは何度かあるが、実戦はまだだ。」


「人殺しなんかやらずに終われば、その方がいいさ。」

 
高瀬は杯を煽った。


「敵は数だけじゃない。乗り物の性能もずっと上手だし、搭乗員の腕だって生半可なものじゃない。B公なんか一万メートルを悠々と飛んでる。こっちなんかそこまで行くのにあっぷあっぷだ。それに撃墜した敵の乗り物を調べてみると、奴等、高高度で発動機の出力を落とさないように排気タービン過給機なんかを当たり前のように使っているし、防弾も俺達の乗り物に較べれば驚くくらいしっかりしている。機体は一見無駄に思えるくらいでかいが、どの部分にも余裕を持たせてしっかり造ってある。特に搭乗員を保護することについては最優先の配慮をしている。それがこっちと向こうの設計哲学の違いと言ってしまえばそれまでだが。

 
表向きの性能だけを較べれば紫電も四式戦も負けちゃいない。計算値そのままの性能が実戦で発揮出来ればいい飛行機だ。ところが発動機からは油が漏れる、コードは絶縁不良で電圧が下がる、燃料は質が悪くてすぐに発動機が息をつく、油圧は作動がよくないうえに油が漏れる、電動機はすぐに焼き付く、しかもそんな飛行機でも奴等の何分の一しか造れない。

 
まだある。海軍と陸軍の規格が違うのは仕方がないにしても、同じ海軍でも型式が違えば部品の規格が違うから機種が違えば部品を融通することもできない。当たり前なんだろうが、奴等、陸軍も海軍も同じ規格で作った飛行機に同じ機銃を積んで同じ弾を使っている。

 
何だかこの国は縄張りばかりが発達していて目的に向かってそれぞれの分野を統合することなんか、まるで無関心だ。それぞれの分野が勝手に目標を掲げて、それを達成しようと躍起になって誰も全体を見ようとしない。

 
例えば日本の技術だ。技術者の着想は悪くない。奴等にさほど遅れているとは思えない。ところがそれを製品として具体化できるほど日本の技術は進歩してはいない。十の力しかないのだから、十の力が安定して出すことのできる製品を作ればいいのに、一二も十五も出そうとする。発動機も二千馬力じゃなくて千八百でも千七百でも確実に馬力を出せる発動機を造ってくれればいいのに、技術が追いつかない無理な設計をしてまで高い馬力を出そうとする。そして最高の状態で造った試作機を最高の状態で運転して目標を達成すると手放しで喜んで、今の日本の生産能力や周辺技術の程度なんか、そんなもの考えようとも見ようともしない。

 
状況を客観的に見て、可能な範囲で最良を目指せばいいのに、この国には合理性なんて概念がないのかな。つくづく職人の国なんだな、この日本という国は。

 
奴等、技術も物資も有り余るほどあるのに余裕のある設計で無理なんかかけらもしていない。常に合理的に妥協点を探りながら物事を進めていく。

 
戦闘だってそうだ。決して無理をしない。彼我の状況を判断して確実に勝てる兵力量や戦法を考えてから戦を仕掛けて来る。こっちのようにその場の感情的な勇気なんかではなく、どうしたら最少の損害で最大の効果が得られるかを計算してから攻めて来る。

 
それに人の命を大事にするんだ。撃墜された搭乗員を本当に涙が出るくらいに何度も何度も入れ替わり立ち代り飛行艇が救助にくるんだ。自分達が何時こっちの戦闘機に食われるか分からないような我々の基地の間近まで出かけて来るんだ。

 
初めは余程嘗められているのかと思ったが、決してそうじゃない。奴等にしてみればそうすることが当たり前なんだ。

 
戦争は命のやり取りだけど、合理的な計算と充分な兵器、物資、それから敵の中に残されても出来る限り助けに行くぞっていう後ろ盾があるからこそ、無理をしないで安心して戦争が出来るのだろう。もしかしたら、戦わせるためにそこまで計算してやっているのかもしれないな。そうだとしたら恐ろしい国だよな。

 
『死んで来い。』の一言で無理無体ばかり命令するのとは大違いだ。そんな奴等と戦争しても勝てないよ、この戦は。」

 
高瀬は憲兵に聞かれたら引っ張られそうなことを平気で口に出した。


「俺達はまだいいさ。そこそこ敵に対抗できる兵器を与えられているから。気の毒なのは陸軍の連中だよ。兵器も物資も手元にあるものをある分だけを使ってしまえばそれで終り。補給も何もない。火力や物量の差は仕方がないが、せめて弾と食物と薬品くらいは送ってやらなきゃ戦争になんかなるもんか。近代戦で勝敗を決めるのは投射火力量だろう。そしてそれを支えるのが補給なのに、現地調達だのと言って、戦争をさせる方はその辺の木に大砲の弾が生っていると思ってるんだろうか。

 
ろくな地図もないような山の中、弾も食物も薬もなく彷徨って、それで敵を撃破しろなんて前線の様子を一目見たらまともな神経じゃ言えないよ。

 
元々こんな戦争するような資格なんか日本にはなかったんだから止めとけばよかったんだ。軍事費なんか削っても中国の国民党政権を経済的、技術的に支援してやって中国の近代化を進める手助けをして共産化を防止してやるとか、そんな方法で国民党に恩でも売っておいて共存共栄を図ればよかったのに、長期的な計画もビジョンなくナチスドイツなんかと手を握って米英と事を構えるからこんな悲惨な戦争する羽目になってしまうんだ。」

 
私は誰かに聞かれるのではないかとはらはらしながら高瀬の話を聞いていた。こんなことは憲兵じゃなくとも軍の偉いのに聞かれたら、それこそ無事じゃ済まないと思った。それを高瀬に言うと『何、構うもんか。聞かれたって。』といった風情で言葉を控える様子もなかった。


「空戦にしても奴等何回も偵察してこっちの戦力を徹底的に調べてから、間違いなく勝てる数の戦闘機を送り込んでくる。捕虜に聞いたが、相手の戦力を分析するのに写真偵察だの暗号解読なんて当たり前で、驚いたのは兵員数を推定するのに便所の数を数えているって言うんだ。便所の数を数えて、それに一定の係数を掛けて兵力を推定するんだそうだ。それを聞いた時、そんな国と戦争やっても勝てる訳がないと思ったよ。そこまで計算づくで勝てる戦しか仕掛けてこない奴等が怖いと思ったよ。

 
こっちなんか偵察も何もあったもんじゃない。偵察機なんか出て行けば端から皆未帰還で、たまに写真でも撮って帰れば勝ったみたいに大騒ぎだ。そしてその後は突撃、突撃だ。敵信班が苦労して分析した無線情報なんか机の下で埃を被って日の目なんか見やしない。暗号が解読できなくても通信の頻度や発信先、受信先等を分析することで、ある程度敵の動きを推察することが出来ると敵信班の士官が話していた。

 
その士官から過去の敵の無線発信頻度と敵の作戦を突き合わせた表を見せてもらったが、恐ろしいくらい敵の実際の戦闘行動とほとんど一致していた。その士官は何度もその分析を上官に報告したが、『無線を聞いていて戦争に勝てるなら苦労はせん。そんなことは今すぐにやめて、せめて防空壕でも掘っておれ。』と言われたそうだ。それでもその士官は最後まで敵の通信分析を止めなかったよ。

 
それで空襲の時、防空壕にも入らずに敵の通信解析を続けていて戦死してしまったよ。いつも迎撃に上がっていた俺達に敵の情報を送ってきてくれていたのもその士官だった。敵は緊急時や航空機相互の通信なんかは日本のように何でもかんでも暗号を使わないで平文を使うから、そのまま敵の動きが分かるんだよ。敵に筒抜けになることは承知の上で手間のかかる暗号を省略して迅速柔軟に状況に対応しようとしてるんだろうな。

 
この国には合理的に物事を進めようなんて思考はかけらもない。戦争は国の命運を背負ったつもりになって悲壮感でやるもんだと思っている。たった一回だけを戦うならそれでも勝てることもあるだろう。けれど相手が立てなくなるまで叩き合う今の戦争は、そこまで冷徹な計算をしなければ出来ないってことを誰も考えないんだ。

 
だから空に上がれば周りは敵だらけで、こっちの単機がそれこそ無数の敵機に追いまくられて袋叩きだ。腕や乗り物が十倍も上等なら何とかなるだろうが、腕も乗り物も奴等の方が上なら後はただ黙って撃墜されるだけじゃないか。」


Posted at 2016/08/18 00:15:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 小説2 | 日記

プロフィール

ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

リンク・クリップ

愛車一覧

トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
基本的には前期型と大きな変化はないが、インパネは液晶デジタルになってずいぶんすっきりした ...
ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール) CB1300スーパーボルドールM2018 (ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール))
外観 もうこれは美しいという以外にはない端正なバイクではある。ホンダは「威風なる血統」 ...
トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
今度はGRヤリス、・・(^^♪。昨年GRヤリスの納期が1年半以上と聞いて速攻で契約してし ...
トヨタ 86 トヨタ 86
元々トヨタ党だったが、ちょっと浮気してダイハツコペンに乗っていた。しかし、ディーラー氏と ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation