豊田真由子衆議院議員(42才)の暴行騒動に、ある議員は「同じ議員としてホントに恥ずかしい…」と呟いた。
『週刊新潮』(6月29日号)で、豊田議員が車を運転している政策秘書の男性に向かって、「このハゲーーーーー!」「違うだろーーーーーーっ!!」と絶叫し、連日にわたって殴る蹴るの暴行を加えていたことが報じられた。さらには、
「お前の娘が交通事故に遭ってひき殺されて死んでさ、ひくつもりはなかったんですって言われたら腹立たない?」
と人間性を疑うような発言を繰り返す音声データがネット上に公開された。
日本一偏差値が高い女子校・桜蔭高校、東大卒で厚労省の官僚に。2012年12月に選挙に当選したという“エリート”プロフィールからは想像できない横暴ぶり。豊田議員の厚労省官僚時代の元同僚が語る。
「彼女は官僚時代からアクの強い人でしたが、代議士になると、ますますエスカレート。何の恨みがあるのかわかりませんが、厚労省時代の先輩たちをアゴで使い出したんです。彼女が厚労省の職員を呼び出した時、来たのが課長補佐クラスだと“課長連れてこい!”と怒鳴り散らすので、職員は辟易としていましたよ。
国交省で働く夫に対しても口汚く罵るようで、最初はじっと耐えていた彼も、小学生の2人の子供のために“これ以上こんな母親の姿を見せられない”と家を出て、今は別居状態。子供たちのことは豊田議員の母親が実家で面倒を見ていると聞いています」
豊田議員は報道後、自民党に離党届を提出。現在は「心身症」により入院中だという。
織田信長さんは世論に非常に気を使った人だったらしい。世の中が自分のやることを正しいと評価するかしないか、そのことに常に配慮を怠らなかったという。信長さんは「歯向かうやつは叩きつぶせ」みたいな印象があるが、比叡山も焼き討ちをする前に何度も説得を繰り返し、最後には「自分に味方をしなくてもいいから宗教団体としてせめて中立でいてくれれば寺社領も返還する」とまで譲歩したが、比叡山川が、「田舎大名の成り上がりが朝廷から勅許をえている鎮護国家の総本山に何を言うか」と蹴飛ばしたので焼き討ちに至っている。
15代室町幕府将軍の足利義昭にも何度もその行動を諫めているが、反信長勢力を結集して武力で信長さんを打倒しようとする。それでも信長さんは主殺しの汚名を着ることを嫌って義昭を赦免して追放している。謀反を起こした配下の武将にも「不満があれば聞くから言って見ろ」と何度も説得を試み、どうしても聞かない場合のみに武力を用いて制圧している。
信長さんと言うと大魔王のように何でも武力でなで斬りにして自分の思い通りにしたような印象があるが、そうではなくて何よりも常に世論の動向を見据えたうえで処断している。「どちらが正しかったのかは後の歴史が判断してくれる」と言うのが信長さんの信条で、天下を取った後の秀吉君の方がよほど傍若無人ではあるが、それは要するに器の問題だろう。秀吉くんやタヌキを信長さんと同列に比較するなど器が違い過ぎて話にならない。
まして日本史上不世出の天才戦略家の信長さんと今時の政治家などとは琵琶湖の底とアンドロメダ星雲くらい開きがあるが、それにしても今時の政治家と言うのは選挙で当選して国会議員になって与えられた権限というものが何のために与えられたものなのかそんな区別もつけられんのか。
国会議員様、大臣様、内閣総理大臣様、そうした肩書を手にするとその地位に付随した権力がすべて自分のもののように思えてくるのは凡人なるが故の悲哀で裏を返せばその地位に就いたものの責任の大きさと範囲を示しているに過ぎない。そんなことも分からんで議員様だの大臣様だのと反り返っていればまともな政治などできるはずもない。秀吉君も天下様と言う権力の座についてふんぞり返りすぎてものが見えなくなって最愛の息子の将来を奪い天下もタヌキに取られてしまった。
まあ今の内閣がひっくり返っても日本にとってどうということもないが、せっかくここまでやってきたんだから今一度反省して着るものは切って出直すべきだろう。誰でも間違うことはある。肝心なことは間違ったらそれを認めて正すことだろう。国会議員も罷免権を留保したうえでの当選とすればいい。バカは切れ、バカは、・・。学歴や経歴と良識や常識の程度が必ずしも比例しないことは痛いほどよく分かった、・・(-。-)y-゜゜゜。
Posted at 2017/06/29 10:50:38 | |
トラックバック(0) |
政治 | 日記