土曜の夜の楽しみといえば、
こちらのテレビ番組。
水曜日に放映していた頃からのファンで、ほぼ毎週欠かさず見ております。
因みに今日は哀川翔さんの後編でした。
毎回思うのが、愛車の選択って、人と也というか人間性が出ているなぁということ。
みんカラでもお友達やMyファンの方々の「愛車遍歴」を楽しく読ませていただいております。
さて、自分の愛車遍歴ですが、今月でちょうど20年になるのをを思い出しました。
感覚的には10年ぐらいなのですが、それよりもこの20年間大きな事故を起こさずここまで来れたことに感謝しなくてはなりません。
記念すべき初代の愛車です。
生産終了から10年以上経過しているということもあり、ここ最近は殆ど見かけることがなくなりました。
身内の事情で日産車しか買えませんでしたが、この頃は日産が一番輝いていた時代。
今と違って日産車の中だけも十分選択肢があったのですが、人気のS13シルビア/180SXやR32スカイラインには脇目も振らず(予算的に届かなかったというのもありますが)、どういうわけか女子に人気なマーチが最初の愛車としてやって来たのでした。
クルマ好きの仲間から「何でマーチなんか買ったの?」とよく言われたものです。
かわいらしい外観ながらも実はヨーロッパで評判が高く、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを日本車で初めて受賞したのがこの2代目のK11マーチでした。
ヨーロッパで評価が高かったとはいえ、日本仕様はフニャフニャな脚に、そして1300ccでありながらもたった79馬力しかしない非力なエンジン。
走り屋の真似事みたいなことをしていた時は、上りは全く話にならず、下りで勝負だなどと意気込んでいたものの、ドラテク不足で常に走るシケインと化していたのでした(-_-;)
MT車の運転を覚えたのもこのクルマで、最初はエンストとホイールスピンの繰り返し。
教習所ではエンストなどしたことがなかったので、まだ初心者マークとはいえ、クラッチ操作にまさかこんなに苦労するとは思いもしませんでした。
尤も教習車はディーゼルでしたが・・・
何か突出するものはなく、スペック的にも平凡というかむしろライバルより劣っていましたが、非力ながらも車重が830Kgしかなかったということもありキビキビと走ります。そして、限界は低いながらも、日常領域でも「操っている感が」伝わってくる、なかなかファンなクルマでありました。
当時ですら、等身大で楽しめるクルマは減りつつあったので、今思えば貴重な1台だったかもしれません。
最終的に2年とちょっと、40,000キロほど乗って買い替えましたが、次の愛車の出来が今ひとつだったということもあり、手放してしまったことをものすごく後悔するのでした。
吸排気系はノーマルでしたが、タナベの強化スプリングにGABのショックの組み合わせ。
ローダウンには改造申請が必要な時代でした。
ドアに貼った"J's Tipo"のステッカーが懐かしい・・・
実用性を考えて3ドアではなく5ドアにしたのが如何にも自分らしい選択です(^^;)
ホイールはADVANのRC。ラリー車っぽい雰囲気を狙っていたのかなぁ。
ふにゃ脚に嫌気が差して足回りに手を入れたのですが、逆にボディに負担をかけてしまい、あちこちからギシギシと軋みが止まりませんでした。
節操のないステッカーチューン。今見ると恥ずかしいです・・・
オーテックのステッカーなどどうやって手に入れたのだろうか。。。
当時の憧れのN2仕様のニスモマーチ。
今は無き晴海の国際展示場で開催していた頃のオートサロンで撮ったものです。
こちらはオバフェン無し。叶いませんでしたがリアスポイラーは付けてみたかった。
久しぶりに古いアルバムを引っ張り出して、20年前を回想する、そんな土曜の夜であります。
Posted at 2015/05/16 23:39:32 | |
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