
日産車ネタが憚れる!?時期ではありますが、まあクルマには罪がないということで。
一昨日横浜のヨドバシカメラまで行く用があり、9月発売の
こちらのミニカーを漸く手に入れることができました。
このシリーズは生産台数がそう多くないので、早く買わないと廃盤になってしまいます。
西部警察シリーズも早いもので22台目。さすがにネタが無くなってきたのか、犯人が乗っていたクルマまでモデル化されるようになってきました。
尤も、西部警察とは違った理由でこのミニカーが欲しかったのです。
私のクルマ好きは、おそらく物心がついた時(2~3歳でしょうか)から始まっていると思われます。
クルマ好きのきっかけとなったクルマ、生まれて最初に好きになったクルマが、通称"
ジャパン"と呼ばれていた5代目の日産スカイラインでした。
この頃、我が家にはまだマイカーがなく、クルマに乗る機会も限られておりました。
今みたいに当たり前にクルマがある時代でしたら、もしかしたらクルマ好きになっていなかったのかもしれません。その貴重な乗車経験こそ、田舎の祖父が乗っていたクルマ、そうスカイラインでした。
自分と同じ1977年式の4ドアのGT-EX(たしか)。
先代のケンメリから買い替え、平成元年までの12年間愛用していましたが、最後はあちこちぶつけてボコボコになっていたようです。
田舎へ行く一番の楽しみがじいちゃんのスカイラインに乗ることでした。
子供ながら水平指針メーターにワクワクし、L20Eの如何にも6発というサウンドに心躍ったのでした(笑)
小学生以降、クルマに詳しくなると、既に10年目だったということもあり、最新のR31スカイラインへの買い替えなどを勧めておりましたが、中学生になるまでしぶとく乗っていました。
じいちゃんも余程気に入っていたのかもしれません。
スカイラインの次に買ったのがトヨタのスプリンター(AE90)だったので、その格落ち感にずいぶんとがっかりしたものでした。
グレードは違えど、まさにじいちゃんのクルマがこれでした。
色も同じシルバーです。
ホイールも一緒で、ほぼ外観はこの通り。
ナンバーは"品川"ではなく、和歌山の"和"でしたが、実車の雰囲気をうまく捉えています。
スカイライン伝統のサーフィンラインの上にエンブレムがあります。
ジャパンといえば、トランク上面にある給油口が特徴です。
何故この位置にあるのか謎ですが、当時のガソリンスタンドは頭上からノズルを伸ばすのが多かったので、ボディサイドにあるよりも、実用面では上だったのかも?
GTの証である丸目4灯のテールライト。クルマに詳しくない人でもこのテールライトだけ見て、スカイラインだと判別することができました。
4気筒のTIは、たしか四角のテールライトだったような。
ディーラーステッカーの"P"(日産プリンス販売)も再現されています。
フロントも丸目4灯です。後期型は角目2灯になります。
じいちゃんのスカイラインはバンパーの四隅が凹んでいました。
後期型のジャパンです。"マシンX"のベースになりました。
(2002年8月、茨城の水海道にあったRED PARKにて撮影)
じいちゃんがスカイラインに乗っていた遠慮からなのか、父親は愛車にスカイラインを選ぶことをしませんでしたが、じいちゃんがジャパンを廃車にしてから13年後にオヤジがとうとうスカイラインを買うことに。
オヤジにとって最初で最後のスカイライン。
今となってはジャパンの影響を受けて買ったかは聞くことができませんが、親子2代でスカイラインを所有したことになります。
これで自分もスカイラインを買えば、3代に渡ってとなるのですが・・・
V37スカイライン、数少ない!?好きな日産車ではありますが、今では高嶺の花の存在になってしまいました。中古なら何とか手が届くとはいえ、いつの間にかクラウンクラスまで成長してしまったようで。
かつてのスカイライン的なクルマ(GT-Rを除く)が、今のスバル車に近いのかなとふと思ったりしたのでした。
未だにグレード名に「GT」を使っているのは、スバルと日産ぐらいですし。
Posted at 2018/11/25 18:20:38 | |
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