
このたびの台風19号により被災された皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
一日も早い被災地の復旧をお祈りいたします。
クルマの話ではないこともたまには書いてみようと思います。ご興味のない方はスルーしてくださいませ。
あいちトリエンナーレで「表現の不自由展、その後」の展示が中止になった事件についていろいろ対立や分断もありますが、違う視点で考えてみたいと思います。
そもそも私は日本にコンテンツの評価システム(レーティング)が一部にしか存在しないことについてずっと疑問に感じています。
2011年01月19日のブログで
「日本にもテレビコンテンツの評価システムを!」というタイトルでオーストラリアと日本の違いについて書いています。
https://minkara.carview.co.jp/userid/206485/blog/21165043/
つまりオーストラリアでは家族で見られる番組の場合始まる前にこういった前置きが放送されるのです。
レーティング全体を具体的に紹介している動画はこちらです。
最近はクラス分けという呼び方で豪州政府がDVD、ゲーム、ポスター、映画などに対し統一したシンボルマークをつけるように呼びかけています。
日本にも映倫という団体があり自主審査による映画のレーティングを行っています。
TVの場合もBPOという組織がありますが、放送事前審査はなく放送後の苦情により審査するというあまり意味をなさない組織となっています。なので本来「G」の子供が起きている時間帯であっても平気でエロ、グロ、暴力、血の出るシーンなどが放送されています。
2014年01月29日にも引き続き
「ドラマ「明日、ママがいない」の問題について」という不適切な内容のTV番組に警鐘を鳴らすブログを書きました。
https://minkara.carview.co.jp/userid/206485/blog/32239417/
5年たった今、かってのCOOL JAPAN政策なんてものは廃れてしまいました。ショッキングなエログロで視聴率を高める手法は飽きられてしまっているのに、
警察、弁護士、医者、あるいは不倫、離婚ドラマばかりとバイオレンスや悲惨なシーンが連続する「R+18」レベルのドラマばかりになり、バラエティ番組は集団いじめを助長する知的弱者や容姿を理由にしていじめる「R+18」なコンテンツばかりになりました。その結果かどうかわかりませんが結果としてTV離れが進んでしまいました。
前置きが長くなりましたが、今回の「あいちトリエンナーレ」の問題も「表現の自由」をめぐる議論は実はピントはずれで、展示物に事前審査によるペアレンタルコントロールやレーティングがあればこれほどの事件にはなっていなかったはずというのが私の考えです。
政治的な表現、人種的な表現、宗教的な表現、思想的な表現などが含まれていることを隠さず、「~的な表現を含む展示物です」と事前に公的な組織で展示場所を変えて、部屋ごとに注釈をつけて公開する範囲、年齢に制限を設けていれば見たくない人見せたくない人は見ないで済むわけです。
今回はプロデューサー側に、古い日本式のショッキングで刺激的な展示で「炎上」させ話題を呼ぼうという下卑た根性があったのは明らかでしょう。明らかに政治的な表現を含んでいるのに「含んでいない」と事前に判断した公側の責任も大きいです。それが今回の問題の本質だと思います。
今回の「表現の不自由展、その後」の展示物を見ていないので、それぞれの展示物については語ることはしません。ただ慰安婦像と呼ばれる平和の少女像についてこういった興味本位な扱いと議論の対象にされたことは日韓関係にとってよくなかったと思いますし遺憾ですね。
それに加えても日本の「表現の自由」がいつまでも旧態依然とした憲法論か興味本位的な左右の議論に終始して、海外に<G>で輸出できないコンテンツだらけになってしまっていることを今一度考えてみてほしいと思います。
最後までご覧いただき有難うございました。
Posted at 2019/10/17 22:25:04 | |
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