学生時代のある春休み、、
九州でサークル合宿がありました。
大阪から九州に当時の夜行特急あかつきで到着。
現地集合、現地解散で、その後、長崎のあと、鹿児島方面を目指しました。
当時の鹿児島本線の終着駅、西鹿児島駅(現、鹿児島中央駅)に到着し、天文館で鹿児島豚骨ラーメンを堪能した後、鹿児島市内を観光し、指宿に宿泊し、翌日に枕崎に向かいました。
当時の枕崎駅は国鉄最南端の終着駅(最南端の駅は指宿―枕崎間の駅?)。
日本最南端のローカル鉄道、鹿児島交通鉄道の始発駅でした。
当時の駅舎はこんなに立派。写っている車(ミラ)から1980年代前半の様です。
このページの鉄道、地図の写真は、Webサイトで見つけた写真を拝借しています。
1983年4月の始め、枕崎駅からオレンジ色の車両に乗り込みました。
鹿児島交通鉄道枕崎線は国鉄鹿児島本線の伊集院駅と、国鉄枕崎線の枕崎駅を結んでいました。
1970年代の写真でしょうか。沿線の高校生の通学に使われていたようです。
1970年代初めごろの写真でしょうか。
鹿児島交通枕崎線は1914年に営業開始され、知覧線は1927年に開始され1965年に廃止されたようです。
かつては枕崎線、知覧線のほかに、万世線(1916-1962年)もあったようです。
この地図は、かつての路線図と駅、現在の鉄道記念館の案内の様です。
車両基地のあった加世田駅。伊集院と枕崎のちょうど真ん中あたりです。
この路線は、薩摩半島の西岸、吹上浜に沿って走っていました。
鹿児島の海岸沿いの防風林の中を走る古いローカル線・・
日本有数の美しい砂浜である吹上浜。
35年以上前の春休み・・
吹上浜のユースホステルに泊まり、この海岸でずっと海を見ていました。
人生で一番何をしたらいいか分からなくて呆然としていた時代・・
この時代、この海岸で北朝鮮工作員による拉致事件が発生していたのです。
私はこの吹上浜を訪れた2年余り後に、大阪から自転車で訪れた東北の日本海側の海岸沿いの無人駅で寝袋で寝ていたりしたのですが、、
当時のその海岸にも拉致被害の噂が、、
実は危なかったのかも知れません、、(><)
1980年代初めでもタイムスリップを感じた風景。
林の中のトロッコ列車のようなディーゼルカー。
私が乗車した2か月余り後に豪雨災害に遭い、その後、部分復旧したようですが、、
結局私が乗車した約1年後に全線廃線になってしまったようです。
災害のわずか2か月前に経験できた私はすごく幸運だったようです。
かつて鉄道が主要な交通手段だった時代。
今は廃線になっている鉄道の駅前はこんな賑わいだったのですね。
Posted at 2020/09/05 21:42:01 | |
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世界の車窓まで | 日記