前回ブログで滑り止め甲板の施工について触れましたが、全体の作業を数日かけてようやく終えました。疲れました…。
と思って第9号製作ブログを見直すと「艦尾スロープ部は鋲の向きが違う」という記載が!
思い出した…そうだった…
ということでその部分のみやり直し。
デザインナイフによる傷をパテ埋め&ヤスリんぐで平滑に戻し、再度横向きの傷をつけ直しました。
しかし艦によっては斜めに設置されているものもあるようです。
無理してやり直さなくても良かったかも…orz
前甲板の12.7cm主砲はその周囲に木製の操作フラットが設置されていましたが、復員船改装時に主砲を撤去しその跡に建屋を設置しており、この時、操作フラットも撤去されているようです。
F様より提供された資料のうち、副長・細谷孝至氏の「日記帳」昭和21年3月18日の記載に「前甲板に舞台を新設、幕を張り、拡声器を付けて一大演芸大会なり」との記述があるため、構造物は何もなかったようです。
実際、戦後賠償として英国に引き渡される直前の写真でもそのようになっています。
ただ、操作フラットの壁面や単装機銃シールドは残っていますね。
主砲だった12.7cm砲は揚弾装置を持たないので、撤去跡は旋回装置のみを表現すればよいはず。その近辺の単装機銃撤去跡も同時に表現するので、その設置箇所を各艦機銃電探哨信儀等現状調査表で確認。
主砲撤去跡は薄切り3mm丸棒の2枚重ね、単装機銃跡は薄切り1mm丸棒で表現しました。
次は艦橋の製作です。
キットのパーツは図面寸法に非常に忠実に作られているので、極力これを活かそうと、羅針艦橋の突起を削って高さ調整し、床面に滑り止め鋲の線を描きました。
しかしパーツをよく見ると壁面が下に向かってすぼまっているので、結局スクラッチすることに。
第9号製作の際の艦橋寸法が残っていました♪
しかしこの寸法、どの図面からも拾えません。どこから取ったんだったか…^_^;
とはいえ当時ちゃんと考えた結果のはずなので、これを基にして製作。
窓枠はエッチングで表現しますが、手元によいサイズがなかったため、急遽片道小一時間ドライブして模型屋を探しましたが見当たらず…。やむなくネット発注するも到着予定は約1ヶ月後。中華帝国発送のようです(笑)
ということで艦橋製作は中断。
艦橋後ろには艙口があります。
その形状も第9号製作時に探した資料を参考にして、1mmプラバンを山形に整形しました。
第2艙口は復員船改装時に棚が設置され、捕鯨母船時代には乗組員の船室として活用されていたようです。
ここをどう表現するか、もう少し悩むことにします。
中央機銃台は、図面では↓のような形状になっています。
実艦写真を確認すると機銃フラットと甲板室壁面との位置関係が微妙に異なることが分かります。
甲板室は左右とも前に向かってすぼまっていますが、これは6mカッターを舷外に降り出すスペース稼ぎのためなので、カッターのない右舷には不要です。実際9号の写真でもそのように見えます。
また探照灯台は9号製作時に図面同様「後ろは円形になっている」と結論付けましたが、改めて4号の写真をよく見ると手すりが直線となっていると分かったので、変形八角形であろうと考えました。
これらの結果を踏まえてスクラッチ。
機銃台の工作はもう少し続きます…。
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Posted at
2024/04/29 08:53:56