• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ntkd29のブログ一覧

2020年03月19日 イイね!

千葉の児童虐待による傷害致死、判決は懲役16年だって、・・?

千葉県野田市で10歳の栗原心愛さんが死亡した事件で、千葉地裁は傷害致死などの罪に問われた父親の勇一郎被告に対し、懲役16年の判決を言い渡した。栗原勇一郎被告は判決を言い渡されている間もまっすぐに前を向いたまま表情を変えることはなかった。

栗原勇一郎被告は、去年1月、娘の心愛さんに食事を与えず、浴室で冷たいシャワーを浴びせるなどの暴行を加え死亡させた罪などに問われている。勇一郎被告は暴行については大部分を否認していて、裁判所がどう判断するかが焦点だった。

判決で千葉地裁は、心愛さんが生前に書いたアンケートなどについて、「身に起こったことをありのまま精いっぱい伝えようとしていたことがうかがえる」「十分に信用できる」と述べた。

その一方で、勇一郎被告の供述は「都合のいいことをつまみ食いして話していて、信用できない」と指摘した。そして、「理不尽な支配欲から虐待をした。情状酌量の余地など微塵(みじん)もない」「妻と心愛ちゃんに責任を転嫁して不合理な弁解をし反省がみられない」として、勇一郎被告に懲役16年の判決を言い渡した。裁判長は重い量刑となったことについて、「先例と比べても極めて悪質性が高く、もっとも重い部類である」と述べている。心愛さんの祖母は、「18年は覚悟していた。判決を厳粛に受け止めたい」とコメントを出した。



親の保護がなければ生きていけない年少の子供に対して長期にわたって執拗勝つ凄惨な暴行を加えて死亡させるなど重々不届き、言語道断な所業である。日本は法治国家で刑罰は罪刑法定主義の立場を取っているので法定刑以上の刑罰を与えることはできないが、こういう輩には一度くらい死刑の判決を下してやってもいいと思う。暴行を受けていた子供がどういう気持ちだったのか同じことをしてやってもいいと思うが、それも不可能だろうが、・・。せめて累犯・併合罪加重で30年くらい打ってやってもいいと思うが、犯情としては殺人などよりもずっと悪質だろう。
Posted at 2020/03/19 16:13:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2020年03月19日 イイね!

護衛艦「まや」就役、・・(^。^)y-.。o○。

海上自衛隊の新型イージス艦「まや」(全長170メートル、基準排水量8200トン)が19日午前、就役した。自衛隊の装備では初めて、仲間の艦艇や航空機と敵ミサイル・航空機情報をリアルタイムに共有する「共同交戦能力」(CEC)を搭載。中国軍機が日本周辺や太平洋方面への進出を強める中、日本の防空能力が向上する。

同日、まやを建造した横浜市磯子区のジャパンマリンユナイテッド工場で引き渡し式があった。河野太郎防衛相は、中国や北朝鮮による軍事的脅威の増大に触れ、「本艦は総合ミサイル防空能力の担い手の役割を期待されている」と訓示。自衛艦旗が掲げられ、7隻目のイージス艦となった。乗員約300人で、中核部隊の第一護衛隊(海自横須賀基地)に配属された。

初搭載したCECにより、敵戦闘機の接近やミサイル発射を自艦レーダーが探知しなくても、味方のレーダーがとらえれば即時に共有、迎撃できる。弾道ミサイル防衛(BMD)にも対応する。日米が共同開発した新型迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」の発射能力を初めて持つ海自艦でもある。
 
現段階で他の自衛隊装備はCECを備えていないため情報共有はできないが、来年春には同型の「はぐろ」が就役。航空自衛隊の早期警戒機「E2D」にもCEC付与が検討されている。将来的に米艦とも共有する可能性がある。



兵器に時代に即した新しい能力を追加するのは当然のことであれこれ言うことではない。何だかんだ言ってみても日本一国で防衛を全うするなどと言うのは現在の国際社会では夢物語ではある。今後は同盟諸国との連携はますます進むだろう。そんな中で、「うちは家訓がありますんで、・・」などと言うのは愚の骨頂ではある。今更日本が軍事大国になって戦争を始めるなどと言うことはあり得ない。そんなことをしたらそれ自体が亡国もいいところだ。今後は米国や他の同盟国とますます連携を深めていかないと明日の日本がなくなってしまうかもしれない。ところで「こんごう」級は40年ほど現役に止まるというからまだしばらくは現役だろうけど近い将来後継艦の検討が始まるんだろうな。もう始まっているかもしれないが、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/03/19 13:12:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2020年03月19日 イイね!

体力勝負、三菱「スペースジェット」の先行きは、・・(^。^)y-.。o○。

事業化に成功すれば確実に会社の柱になる――。
三菱重工業がそう見込んで8000億円近い資金をつぎ込んできた小型航空機「三菱スペースジェット」事業が暗礁に乗り上げている。2008年に事業化を決定してから設計変更による開発遅延を繰り返し、2020年2月には6度目となる初号機納入延期を発表。2020年夏の予定だった全日空への初号機引き渡しは2021年度以降になった。

■事業化計画は事実上の仕切り直しに
事業化計画は事実上の仕切り直しといえる。足元では発電向けのタービン事業が好調で、財務体質も改善している三菱重工だが、開発遅れが財務の悪化を招く可能性もある。
 「安全第一の姿勢で、型式証明取得試験に集中する。スケジュールの遅れに関して大変申し訳なく思っている」
2月上旬に開いた2019年4~12月期決算に関する記者会見で、三菱重工の泉澤清次社長は硬い表情を崩さなかった。スペースジェットがアメリカで型式証明を取得するのに必要な最終試験機の完成が遅れていること、一部サプライヤーが担当する開発案件が残っていることなどを説明。詳しいスケジュールは最終試験機が開発地である名古屋から試験を行うアメリカに移動してから説明するとした。同時に、これまでスペースジェットの開発を担ってきた三菱航空機の水谷久和社長が4月1日付けで退任し、米国三菱重工社長の丹羽高興氏が後任の社長に就くと発表した。記者から開発遅延の責任について質問が及ぶと、泉澤社長は「水谷社長も成果を出している。誰か特定の個人に責任を帰す考えはない」と言い切った。スペースジェットと同サイズの航空機は競合が少なく、今後も需要が見込めると三菱重工は主張する。アメリカの規制に対応する次世代機の開発にも着手している。多額の開発費がかかっていることもあり、もはや引くに引けない状況だ。これまでに投じてきたスペースジェットの開発費はすでに8000億円近くにのぼる。今後のスケジュールの遅れを考慮すると、事業化にかかる費用は1兆円を超えるのは確実だ。2020年3月期末までに過去に計上していたスペースジェット関連の資産1300億円をすべて減損処理する。今期の開発費1400億円と合わせた関連損失は2700億円にのぼる。好調なガスタービン事業などで稼いだ2020年3月期の全社の事業利益はほとんど吹き飛ぶ計算だ。ただ、過去に支払った税金分の繰延税金資産を2100億円計上するため、2020年3月期の純利益は前期比微減の1000億円を確保するとしている。

■不足する航空機開発ノウハウ
納入延期を繰り返す理由は、三菱重工に航空機の完成品を開発するノウハウが不足していることが挙げられる。ボーイング向けの主翼や胴体といった部品製造の実績はあるが、無数の部品を組み合わせたうえで、どんな事態にも耐えられる完成機を作り出すのには別の経験とノウハウが必要だった。2016年にカナダのボンバルディアから三菱航空機に移ったスペースジェット開発責任者のアレックス・ベラミー氏は「計画は不透明で、日々の働き方も不適切だった」と移籍当初を振り返る。2017年の5度目の納入延期の際には電気配線の不具合が判明。設計をやり直し、2019年までにその数は900カ所以上にのぼった。その後、三菱重工の技術者主体だった開発チームに多数の外国人技術者を呼び込み、組織を立て直したことで、「あとは大きな問題はない」(ベラミー氏)という。最終試験機は2020年初めに完成し、アメリカに渡って型式証明を取得するはずだったが、3月18日にようやく初飛行にこぎ着けたばかりだ。航空機産業の関係者からは「経験豊富なボーイングでさえ、新型機の開発には数年の遅延がつきもの。ましてや三菱重工がすんなり造れるはずがなかった」との声が漏れる。三菱重工幹部は「不具合がある中途半端な状態で飛ばしてしまって、万が一問題が起きれば会社が持たない。そうなるよりははるかにいい」と話す。スペースジェットの納入延期と、それに伴う関連資産の減損1300億円には、単なる開発遅れ以上の意味がある。それはスペースジェットが近い将来に事業化し、利益をもたらすことを「当面期待できない」ということを三菱重工が認めたことを意味する。三菱重工の小口正範CFO(最高財務責任者)は「いったん事業化のことは考えずに、開発に専念するしかない」と、今回の会計処理の意味を解説する。三菱航空機の親会社である三菱重工が繰延税金資産を計上するということは、三菱商事やトヨタ自動車も出資している三菱航空機の価値を実質ゼロと見なすことにほかならない。

■3月末には債務超過に
三菱重工はボンバルディアが持つスペースジェットと同クラスの航空機CRJの保守部門を買収する予定だ。こうした動きはスペースジェット事業化後を見据えてのものだが、開発が遅れれば、買収に伴うシナジー効果は宙に浮くことになる。売り上げのない三菱航空機は3月末には債務超過に陥るが、増資はせずに三菱重工からの貸し付けで資金繰りをまかなう。仮に開発がうまくいって事業化しても、三菱航空機への出資関係を含めてどのような体制で三菱航空機を運営するかなど、難題はいくつも待ちかまえている。ただ、これほどの巨費をつぎ込んでも三菱重工の経営は揺るがない。近年の構造改革によって有利子負債が圧縮され、その額は2009年3月期末の1兆6128億円から2019年3月期末の6651億円へ、約半分に減らした。岩塚工場(名古屋市)の売却を決めたほか、祖業である造船部門でも長崎造船所香焼工場が売却交渉入りするなど、稼働率の低い工場の整理を進めている。泉澤社長は「国の発展段階によって必要とされる産業は変わる。進化の歴史ではないか」と語る。スペースジェットに1400億円の開発費をかけても、2020年3月期のフリーキャッシュフローは1000億円を確保する見込みだ。これは長年懸案になっていた日立製作所との訴訟が和解になり、期末に2000億円が入ってくるほか、スペースジェット以外の事業が好調なためだ。中でも発電(パワー)事業は、日立との和解によって三菱日立パワーシステムズが三菱重工の完全子会社になる。大型タービンでは世界トップクラスのシェアを握り、とくに環境性能のいい高効率タービンが好調だ。今後も、既存設備のメンテナンス需要が伸びることを見込む。足元ではコロナウイルスの影響で景気減速の波も押し寄せている。航空事業の主要顧客であるボーイングは債務超過にあえぎ、3月17日にはアメリカ政府に支援を求めた。今後、スペースジェットの事業化を悠長に待つ体力があるのか。三菱重工が正念場に立たされる可能性は低くない。(高橋 玲央 :東洋経済 記者)



航空機の開発には高度な技術の他に豊富な経験が必要になる。開発の経験がなければ技術だけでは航空機は作れない。スペースジェットが初飛行した時にその飛行を見て、「きれいな飛び方をする素性のいい飛行機だな」と思った。しかし、いい航空機を作ることといい旅客機を作ることは別問題だ。三菱重工には素性のいい素直ないい飛行機を作る技術はあったが、安全で快適な最新鋭の旅客機を作るノウハウは持ち合わせていなかった。それはなぜかと言えばYS11以来、システムとしての旅客機を作り上げた経験がなかったからだろう。マスコミは予定が遅れていることばかり取り上げて叩くが、考えようによっては半世紀もの間旅客機を作ったことがない旅客機素人集団がよくぞあれだけの飛行機を作ったものだと思う。しかし、とうとう部内ではどうにもこうにも行かなくなってボンバルディアから技術者を引き抜き、最後は部門ごと買収するなどの手を打った。当初の予定よりも8年遅れてはいるが、そしてそれが決して小さいものではないが、よくぞここまでたどり着いたものではある。あとは1日も早くスペースジェットを世に出すことに専念すべきだろう。航空機産業と言うのは関連会社が多数にわたるすそ野の広い産業で明日の日本にはぜひ必要な産業ではある。また三菱重工と言う会社は宇宙航空、防衛などの分野で他社にない技術を有する会社でこの会社も明日の日本にはぜひ必要な会社だ。スペースジェットがどの程度商売になるかは不明だが、少なくとも旅客機開発の経験は十分に積んだはずだ。それが明日の財産になるのだからぜひ頑張って開発を続けてほしい。観光だけでは日本は将来立ち行かない。明日の日本には高度先端技術がぜひ必要だ。明日の日本のために、頑張れ、三菱重工、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/03/19 10:19:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記
2020年03月18日 イイね!

外国技術で完成した零式艦上戦闘機、・・(^。^)y-.。o○。

零戦を開発するにあたり外国製技術の支えあり
太平洋戦争の開戦から終戦まで、一貫して旧日本海軍の主力戦闘機であった「零式艦上戦闘機」、通称「零戦(ぜろせん/れいせん)」ですが、開発するにあたり、外国由来の技術が各所に用いられていました。そのなかでも性能に大きな影響を与えたであろう5つを見ていきます。

九七式七粍七固定機銃
機首上部に装備した7.7mm機銃は、イギリス製のヴィッカース機関銃を日本製鋼所が1920年代後半にライセンス生産したもので、当初は「毘式七粍七固定機銃」と呼ばれ、1937(昭和12)年から「九七式七粍七固定機銃」に改称しています。原型は1912(明治45)年に登場し、第1次世界大戦で大量に使用されたもので、旧日本海軍が第1次世界大戦後に導入したイギリス製の複葉戦闘機へ装備して以降、使い続けた実績ある機銃です。そのため弾薬は7.7mm口径といっても専用品で、旧日本陸軍が用いた同口径の機関銃と弾薬の互換性はありませんでした。

九九式二〇粍機銃
主翼に内蔵した20mm機銃は、スイスのエリコン製20mm機関砲を大日本兵器株式会社(当時)でライセンス生産したものです。旧日本海軍では、1935(昭和10)年頃、大型爆撃機を撃破可能な大口径機銃の導入が計画され、白羽の矢が立ったのはエリコン製のものでした。1936(昭和11)年6月にライセンス契約が結ばれ、「恵式二〇粍機銃」の名称で生産を始めます。零戦は1937(昭和12)年の試作内示の段階で、この20mm機銃の装備が決まっており、後に「九九式一号二〇粍機銃」に改称しました。当初、60発入りドラム弾倉だった九九式一号二〇粍機銃は、太平洋戦争開戦後の1942(昭和17)年から100発入り弾倉に大型化し、翌1943(昭和18)年春からは銃身を長くした「九九式二号二〇粍機銃」が登場しています。同年秋以降はより弾数の多いベルト給弾式に改良され、終戦まで使われました。なお、戦争末期の零戦五二乙型以降のタイプは13mm機銃を装備しましたが、これはアメリカの戦闘機などが装備したブローニング
12.7mm機銃の無断コピーでした。

零戦の照準器やプロペラも外国製がベース
機銃の命中精度を高めるための照準器も、飛行速度を左右するプロペラも外国技術が由来のものでした。

九八式射爆照準器
 零戦が搭載した照準器で主力だったのは、ドイツのユンカース製レヴィ2b照準器をコピーした「九八式射爆照準器」です。これは「光像式」と呼ばれるタイプで、斜めに立てられた透明な板に、円と十字線で区切られた照準環を投影し、目標と重ね合わせて照準するものです。それまでの日本製戦闘機が装備していた照準器は「鏡筒式」と呼ばれる、いうなればライフルスコープのような構造のもので、風防(キャノピー)の前に固定されており、操縦士は片目で覗いて狙いを定めます。零戦のものは、透明板に映し出された照準環と前方の目標が重なることで照準するため、覗き込む必要がありません。また目標サイズに合わせて照準環の大きさを調整できました。そのほかにも照準環は投影により発光するため、周囲が暗くても見やすいというメリットもあります。太平洋戦争末期には新型の三式および四式射爆照準器が登場しますが、これらもドイツの新型照準器の技術が基になっていました。

可変ピッチプロペラ
零戦は、旧日本海軍の戦闘機として初めて可変ピッチプロペラを搭載しました。可変ピッチプロペラとは、簡単にいえば、エンジンの回転数を一定に保つための機構です。離陸時には大きな推進力が必要でエンジンに負荷がかかりますが、そのままの調子で空の上で巡航に移ると、負荷が少なくなったぶん、エンジンは過回転になってしまいます。
 そこで、プロペラの角度(ピッチ)を変えてエンジンにかかる負荷を調整し、そうすることでエンジンの出力を効率よく使おうとするのが、この可変ピッチプロペラというわけです。これにより、固定ピッチのものと比べ、上昇時間、距離いずれも短くなり、エンジンの整備性が向上し寿命も伸びるというメリットがありました。零戦のものは、アメリカのハミルトン製可変ピッチプロペラを、住友金属がライセンス生産する形で搭載していました。しかし構造的には1930年代のもので、戦争中も改良することができず、1945(昭和20)年の終戦まで基本的に同じものを使い続けました。

高性能を発揮するための引き込み脚にも
零戦の高速化に貢献した引き込み脚ですが、これも日本は独自開発できませんでした。

引き込み脚
日本製の航空機で初めて引き込み脚を採用したのは、三菱の九六式陸上攻撃機です。ただし構造的には部分引き込みで、エンジンカウルの下部にある開口部に入れるだけで、扉や覆いなどはなく、車輪も下半分は出っ張ったままでした。旧日本海軍の戦闘機で初めて引き込み脚を採用したのが零戦です。零戦のものは扉や覆いが付き、そのぶん合わせ目などに高度な技術が要求されます。そこで参考にされたのが、アメリカのチャンス・ヴォート製V-143戦闘機でした。V-143は、1937(昭和12)年に旧日本陸軍が研究用として輸入したものです。機体の調査には、海軍や三菱など多くの航空技術者が立ち会いました。このとき得られた知見が、のちに零戦の引き込み脚を設計する際の参考にされたようです。それでも、初期の零戦は油圧構造に問題があり、脚が引き込まないというトラブルがよくありました。
※ ※ ※
このほかにもエンジンについては、量産型では中島製の「栄」が、試作機では三菱製の「瑞星」や「金星」が搭載されましたが、前者はアメリカのライト(シリンダーや潤滑系)やイギリスのブリストル(ピストン形状)製エンジンを参考にしており、後者は三菱自身がプラット&ホイットニー製R1690をライセンス生産した「明星」の技術が用いられているため、エンジンについても技術的な影響が大きかったといえるでしょう。ここに挙げた5つの装備やエンジンなどは、高い基礎工業力や優れた工作精度が求められる部位です。零戦は日本が独自に開発した戦闘機ですが、重要な装備品は外国技術に頼らざるを得なかったといえるでしょう。(柘植優介(乗りものライター))



当時の日本の機体設計技術は欧米と同等あるいはやや凌駕しているレベルだったそうだ。ところが実際に戦闘機を飛ばすエンジンとプロペラ、エンジンは欧米に比べて5,6年、プロペラは10年遅れていたという。戦後、進駐してきた米軍の技術者は日本の戦闘機を見て、「プロペラは10年前のものをつけている」と言ったそうだ。油圧も遅れていた技術で特に日本の場合はシーリングが遅れていてオイル漏れや作動不良が頻発したという。機銃も日本のものは発射速度が遅く作動不良が頻発したというが、その原因はバネで日本の技術ではリコイル用の高性能なバネが作れなかったそうだ。照準器はドイツのものを参考にしていたようで鏡像式では周りが見えなくて困るだろう。今では世界市場を席巻している排気タービン過給機も当時は冶金技術が低くて高温に耐える回転軸やタービンブレードが作れなかった。電装品も放電など不良が多かったようだし、オイルなども良質なものは米国から購入していたそうだし、何よりも飛行機を飛ばす燃料の良質のハイオクタンガソリンが精製出来ずに米国から買っていた。その他、鉄や石油、ボーキサイト、レアメタルなど戦争に必要な資源の8割以上を英米圏から輸入していた日本が英米にケンカを売ってはいけない。技術は突然劇的に進歩したりはしない。日本の航空機も外国の技術の模倣から始まって時間をかけてやっと欧米に手が届きそうなところまでたどり着いたが、戦争ですべてを失ってしまった。戦後もまた欧米の模倣から始まって70年の時間と金をかけてやっと戦闘機や旅客機を自前で開発できそうなところまで来た。これを継続していかないとまた技術を失ってしまう。今度失ったらもう二度と追いつけないだろう。そうした地道な努力で積み上げてきた技術を失ってはいけない、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/03/18 17:19:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | 軍事 | 日記
2020年03月18日 イイね!

三菱スペースジェット最新試験機、初飛行に成功、・・(^。^)y-.。o○。

三菱航空機(愛知県豊山町)は18日、開発中の国産初のジェット旅客機スペースジェット(旧MRJ)の最新試験機の初飛行を、愛知県営名古屋空港(同町)で実施した。今後、運航に必要な国の認証取得に向け、国土交通省のパイロットによる米国での飛行試験へ早期投入し、終盤を迎えた開発を加速させる。
 
最新の試験機は、安全性向上のため、従来の試験機から配線などを設計変更した。機体は昨年6月の完成を予定していたが、部品の不具合などで今年1月にずれ込んだ。このため親会社の三菱重工業は2月、2020年半ばとしていた初号機納入の6度目の延期を発表した。


とにかく前に進むしかないんだから1日も早くTCを取って機体を世に出すことに集中すべきだろう。50年の空白のうちに最新の旅客機の設計がどれほど変わったか分かっただろう。良い飛行機を作ることと言い旅客機を作ることは別のことだ。次はその経験が財産になる。がんばれ、三菱重工、株買ってやるぞ、・・(^。^)y-.。o○。
Posted at 2020/03/18 17:16:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記

プロフィール

ntkd29です。CB1300スーパーボルドールに乗って11年、スーパーボルドールも2代目になりました。CB1300スーパーボルドール、切っても切れない相棒にな...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

リンク・クリップ

愛車一覧

トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
基本的には前期型と大きな変化はないが、インパネは液晶デジタルになってずいぶんすっきりした ...
ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール) CB1300スーパーボルドールM2018 (ホンダ CB1300 SUPER BOL D'OR (スーパーボルドール))
外観 もうこれは美しいという以外にはない端正なバイクではある。ホンダは「威風なる血統」 ...
トヨタ GRヤリス トヨタ GRヤリス
今度はGRヤリス、・・(^^♪。昨年GRヤリスの納期が1年半以上と聞いて速攻で契約してし ...
トヨタ 86 トヨタ 86
元々トヨタ党だったが、ちょっと浮気してダイハツコペンに乗っていた。しかし、ディーラー氏と ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation