ペットを飼われている方はご存じかも知れませんが
「虹の橋」というお話をご存じでしょうか。
2002年11月。
今は亡き那由他くんを近所のペットショップでたまたま見つけ
その2日後には我が家の子になっていました。
それからちょうど3年経ったころ
那由他くんを見つけた同じペットショップに
白黒のコーギー・カーディガンの男の子が入舎していました。
2005年12月4日。
たまたま買い物で通りかかった奥さんと娘たちが見つけ
店員さんに頼んで抱かせてもらい
その5日後には我が家の子になったのでした。
それ以来
那由他くんの弟分としてディスクを始めフリースタイルの道へ。
那由他くん同様、コーギー・カーディガンのフリースタイラーは
当時いなかったんじゃないかと思います。
2009年、後ろ脚を痛めて名古屋の病院へ診てもらいに行き
強度の突き指と診断され、様子を見ながら大会に参加しました。
2013年6月には再び後ろ脚にケガを負い、名古屋の病院へ。
右後ろ脚の腱が伸びてしまい、緩んでいることが判りました。
「全力疾走からの切り返しはさせない方が良い」
という先生からのアドバイスがあり
可哀そうでしたがフリースタイルからは引退させ
力が入った切り返しがなく直線的に走ることが多い
ディスタンスだけに出場するようになりました。
2016年4月、10月に11歳を迎えることもあり
ディスタンス競技からも引退。
あとは那由他くんとのんびりご隠居として
カノンさんの教育係を務めてもらうつもりでしたが
4月15日、何の前ぶれもなく那由他くんが急逝。
疾風くんがカノンさんの教育係となりました。
カノンさんは1度、疾風くんにチョッカイを出し
こっぴどく怒られて以来、疾風くんは怖い兄ちゃんになりました。
那由他くん、疾風くんに指導されたカノンさんは
自分はコーギー族だと思ってしまったようで
カノンさんならカンタンに飛び越えられそうな低い柵でも
自分は飛び越えられないと思ってじっと待っているようになりました。
カノンさんの遠征にも必ず同行し
お散歩三昧だった疾風くんのご隠居生活でしたが
2019年に入って体力的な衰えが顕著になり
町内のお散歩は時々しか行かないようになりました。
5月下旬ごろからは歩くスピードが遅くなり
感覚的な衰えも加わって
トイレ(ペットシーツ)に向かう途中で
間に合わずにオシッコが出てしまうことも多くなり
オムツ(マナーベルト)の着用を始めました。
7月上旬には千葉賢犬倶楽部の倶楽部大会で
なんと6年ぶりでフリースタイル・シニアクラスに出場。
とぼとぼ歩きでしたが、元気にディスクを追いました。
7月中旬ごろから足腰がちょっと弱まり始めましたが
まだまだ食欲は旺盛で
カノンさんにも教育的指導を与えるくらいでした。
7月下旬~8月上旬の台風6号、8号、9号、10号の連続接近で
大きな気圧の変化からか、体調が急激に悪化して
ご飯を食べられない状態になりましたが
奥さんが強制給餌でごはんを食べさせ、元気を取り戻しました。
8月中淳~下旬、「どこにも行かないお盆休み」で体調はだいぶ回復し
自分で立ち上がり、部屋をパトロールするようになり
朝晩はごはんめがけて小走りするくらいになり、一安心。
強制給餌をすることもなく、自分でガツガツ完食するようになりました。
9月上旬、足腰がさらに弱くなり
自分で立ち上がるのが大変そうになって来ました。
歩いているときに時々コケるようにもなりましたが
それでも立ち上がれば自分でトコトコと歩き
部屋のパトロールに余念がありませんでした。
9月中旬には水戸の大会へ、下旬には裾野の練習会&大会へ。
裾野では台風17号が関西に接近するという状況で
大会1日目の午後から体調が悪化。
2日目をキャンセルして急いで帰宅しましたが
自分で立ち上がるのは難しくなっていました。
それでも立たせてあげれば自分で歩き、部屋をパトロールし
まだまだ元気もあり、ごはんも食べていました。
しかし3日前からはごはんを食べる意思を見せなくなり
奥さんが再び強制給餌に切り替えましたが
舌の動きが悪くなっていて、飲み込めない状態になりました。
2日間ごはんを食べなかった29日、下の娘が疾風くんに会いに来ました。
自分で頭を持ち上げ、撫でてもらい、その表情は穏やかで嬉しそうでした。
流星号で娘をアパートに送って行き
もしかしたら疾風くんに残された時間はそう長くないかも知れない
と伝えると、「何かあったら連絡して」と言って別れました。
そして今日30日。
ぐっすりは眠れず、ウトウトしていると
5時半に奥さんが起こしに来ました。
もう長くないかもと。
昨日娘を送って行ったワタシが帰宅し、寝ようとしたころ
疾風くんがフンフンと鼻を鳴らして呼んでいたので
奥さんは座り抱きをしたまま朝を迎えたようです。
カイシャに連絡し、今日は有休を取ることにしました。
夫婦で体を撫で、目も耳も遠くなっている疾風くんに
そばにいることを伝えました。
ずっとそばにいて、撫でてやりました。
お昼過ぎ、12時半を過ぎたころ
全身痙攣があり、呼吸が一瞬止まりました。
しかし疾風はがんばり、浅いものの再び呼吸を始たのでした。
「14歳の誕生日までがんばろうね」
今年に入ってから言っていたワタシたち夫婦の言葉を
一生懸命、叶えてくれようとしているように見えました。
10数分後、2度目の全身痙攣が起こりました。
呼吸はさらに浅くなりながら
痙攣する小さな体で
必死に、ギリギリ音がするほど歯を食いしばって
生きようとしてくれました。
「もういいよ、疾風はもう十分がんばったよね」
「苦しかったらもうがんばらなくてもいいんだよ」
涙が止まりませんでした。
年甲斐もなく、声を出して泣きました。
ワタシたち夫婦は声を掛けながら体を撫で続けました。
ピンポンも聞こえないほど遠くなった耳にワタシたちの声が届いたのか
安心したように力が抜け、疾風の呼吸は徐々に浅くなりました。
最期は「パパ、ママ、ごめんね」という表情で
静かに息を引き取りました。
那由他くんは発作のような感じで急に逝ってしまいましたが
疾風くんはその分ワタシたちに
「お世話をする時間、介護をする時間」を作ってくれました。
那由他くんは13歳7ヶ月で何の前ぶれもなく突然逝ってしまいましたが
疾風くんはその分、あと3日で14歳というところまで
ワタシたち夫婦の傍に居てくれました。
幼少のころ、ちょっと凶暴な近所の小型犬に襲われてから
一定の距離に近付くと「先制攻撃」をするようになってしまった疾風くん。
那由他くんにも何度か、数針縫うほどのケガをさせましたが
那由他兄ちゃんがやりたかったけど出来なかったことを
那由他兄ちゃんの代わりにワタシたちにしてくれた
とても兄ちゃん思いの、素晴らしい弟分でした。
まだまだヨボヨボになるまで一緒に居たかった。
せっかく作った歩行器、もっと使って欲しかった。
歩けなくなったら今度こそ
平らなセンターコンソールの上にクッション入りのベッドを
付けようと思っていたのに。
まだまだ一緒に遊びに行きたかったよ。
もう1度、北海道にも連れて行きたかった。
那由他兄ちゃんと共に奥さんを元気にしてくれて、ありがとう。
まだまだ幼かった娘たちの良き遊び相手になってくれて、ありがとう。
最期までお世話をさせてくれて、ありがとう。
那由他兄ちゃんの分も長く傍にいてくれて、ありがとう。
ワンコたちとの車中泊の楽しさを教えてくれて、ありがとう。
我が家の子になってくれて、本当にありがとう。
2019年9月30日 午後0時45分。 享年13歳11ヶ月27日、疾風永眠。
疾風へ。
虹の橋にはジョンとサチコ姐さん、那由他兄ちゃんが待ってるから
おやぢがそこに行くまで、ちゃんと一緒に待ってるんだぞ。
サチコ姐さんにちょっかい出すとネコパンチされるからな。
那由他兄ちゃんに食いつくなよ。
ママさんが来る前に、みんなで先に橋を渡っちゃおうな。(笑)
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頂いたお言葉はありがたく、私の心の中に書き留めさせて頂きます。
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