
1999年6月某日、自分にとって3台目の愛車であり、そして生まれて初めてのスバル車であるレガシィB4 RSK(BE5A)が納車されました。
それから紆余曲折はありましたが、スバル車一途を通しまして、今年で何と20年になります!
飽きもせず、よくここままで続いたなというのが率直な感想ですが、20周年の節目ということで、愛車遍歴もといスバル遍歴で今まで乗ってきたスバル車を振り返ってみようと思います。
記念すべき第1回目はスバル遍歴前夜編ということで、スバル好きになったきっかけです。
このクルマからスバルが気になるようになりました。
レガシィ前夜(レオーネ、アルシオーネ)のスバル車はすいません、当時は全然刺さりませんでした。
街中で見かけるスバル車といえば、レックスやサンバーといった軽ばかり。
なので、80年代までのスバル=軽自動車といったイメージが強かったです。
それが平成元年登場のレガシィ以降は、ディーラーの数も増えて、徐々に見かけるようになりました。
カタログですが、高校生の頃、たしか2代目(BG)が出る直前に自転車で貰いに行ったものです。
店舗は建て替えで移動しましたが、このカタログを貰った営業所から26年後にレヴォーグを買ったのは何か運命みたいなものを感じます(笑)
ドルフィンディーラーが懐かしいです。
このイルカのロゴは最近は使っていないのですかねぇ・・・
90年代のスバルといえば、イメージキャラクターに外タレを起用し、第一号がブルースウィルスでした。
まだ頭髪がしっかり残っています(^_^;)
レオーネ臭が何となく残っているセダン(BC)よりも、商用車(ライトバン)を持たないワゴン専用設計のツーリングワゴンの方に強く惹かれました。
ダークレッドマイカがとても映えています。ルーフレールを世に知らしめたのもレガシィの功績ではないでしょうか。
このルーフレールは経年劣化で艶が無くなり、みすぼらしい姿になっていくのですが・・・
フルタイム四駆ターボのワゴンの象徴である"GT"、この2トーンも良いですが、ブルー(インディゴブルー)のイメージが強かったです。
逆に白や黒は、あまり見なかったような気がします。
当時オプションだったABSを付けると、リアガラスにもれなくステッカーが付いてきます(笑)
NA系のトップグレードである"VZ"。
スバルのお家芸であるエアサスがオプションで選べました。
掃除が大変そうな14インチのアルミホイールは、後の3代目レガシィ(BH)で復活します。
"ブライトン"は2代目(BG)の時に、一気に人気グレードへと駆け上がります。
90年代前半はダークグリーンのクルマをよく見かけました。
レオーネの残り香を感じる廉価グレード。
1.8リッターの設定が時代を感じます。
モデル末期の特別仕様車の一つである"VZtypeR"。
セダンのスポーツグレードであるRSの足回りを移植して、ハンドリングやスポーツ性能を訴求したモデルですが、何故かNAのみの展開でした。
こういうところが良くも悪くもスバルらしいです。
このVZtypeRですが、当時高校の国語の先生が購入しまして、「先生、レガシィ買ったのですか?」なんて聞くと、「何で知ってるの?」と照れながら答えていました。トヨタのカルディナと迷ったそうですが、こうやって人に自慢できる選択は間違っていなかったのかもしれません。
KENWOODのオーディオにオプションでCDチェンジャーを付けて、青春時代のチューリップを聴いているなんて話をしていました。
もう一人、アルシオーネSVXに乗っている国語の先生もいて、好き者が揃った学校でした(笑)
レガシィに始まり、アルシオーネSVX、VIVIO、インプレッサと90年代初頭のスバルは、他の国産車とは違った独特な雰囲気を放っていました。
そこにどんどん魅了され、免許取得年齢が近づくにつれ、スバルを凄く意識するようになります。
1993年、高校2年の時の東京モーターショーです。
幕張に移ってから3回目だったと思いますが、R33スカイラインGT-Rのプロトモデルがこのモーターショーでお披露目になるということで、ずいぶんと賑わっていたのを覚えております。
このモーターショーのタイミングで、レガシィが2代目のBG/BDにモデルチェンジ。GT-Rよりもレガシィ見たさに訪れたのか、それともGT-Rが人だかりで近寄れなかったのか、残っている写真はスバルばかりでした。
インプレッサのワゴンにWRXが追加(GF8B)。レヴォーグの先祖的なクルマですね。
トップグレードのGT/B-spec(BG5)。"B"はビルシュタインではなく、ホイール(BBS製)の方かもしれません。ビルシュタインが採用されるのは、これから2年半後のB型になってからであります。
セダン(ツーリングワゴンに対して、ツーリングスポーツなんて呼んでいましたが)のトップグレードRS(BD5)。ホイールは同じ16インチですが、こちらはBBS製ではありません。
90年代のスバルといえば、WRCとは切っても切れません。
この年の途中レガシィからインプレッサWRXにシフトし、フィンランドの1000湖ラリーより投入されました。デビュー戦を2位で飾り、以後破竹の勢いで快進撃を遂げます。
ちょうど1000湖ラリーに参戦したWRXが展示されていました。
スバリストが希望ナンバーで「555」を選ぶ所以はここからです。
写っていないですが、隣はインプレッサに入れ替わって引退したレガシィのGr.Aカーが展示されていました。
翌1994年の東京オートサロンより。
今は無き、晴海の国際展示場での開催でした。
サファリラリーに参戦したVIVIO RX-R(KK4)です。
VIVIO3台でサファリラリーに参戦。3台中1台のみの完走でしたが(総合12位)、まさかサファリを軽で戦うなど、スバル(STI?)にはびっくりしました。
初日でリタイヤしてしまいましたが、コリン・マクレーもこのVIVIOをドライブしております。
スバルへの思いは強くなる一方、スバルと同じぐらい、いやそれ以上好きだったのが日産でした。身内の事情で日産車しか選択できなかったということもあり、最初のマイカーは日産車からの選択となりました。
それでもスバル車に乗る機会はそこそこありまして、初めてハンドルを握ったのは、レガシィやインプレッサではなく、何とこれ!(^^)!
当時で既に10年以上前のクルマで、なかなかのスパルタンぶりでした。
4輪ドラムのブレーキはヤバいぐらい効かず、軽とはいえども重ステはしんどかった。
2気筒の550ccのエンジンは30馬力ぐらいでしょうか。とても非力で、上りでは60Km以上出なかったです。
リアガラスには熱線が付いてなく、エアコンも無かったので、すぐ窓が曇ってしまって厄介なクルマでした。
それでも4速MTはダイレクト感があって、クルマというよりもバイクに乗っている感覚で、妙に楽しかったです。
次に乗ったのが、高校の同級生Y君の親が買った当時最新のレガシィ(BG5)。レックスとは雲泥の差です。
最量販グレードの"ブライトン"でした。
ABS、TCS、デュアルエアバックと安全装備てんこ盛り。2リッターNA(SOHC)はたしか130馬力ぐらいしかなく、正直必要にして十分といった感じでしたが、それでも5ナンバーサイズのクルマにしてはしっかりしており、質感や剛性感はうちのオヤジが乗っていたC34ローレル(2.5メダリストV)と遜色ありませんでした。
中級グレードのブライトンとはいえ、これはなかなかの衝撃で、身をもってスバルの実力を知るきっかけとなったのでした。
大好きだった日産も90年代中盤から迷走が一気に進み、結果としてゴーンさんの登場となるわけですが、日産の衰退と合わせて自分も気持ちが離れていきます。
そして、スバルへの憧れはより一層強くなるのですが、前述の通り、身内の事情で日産車しか選択できず、尤も学生の身分ではレガシィもインプレッサWRXも高嶺の花。
実車が買えない代わりに、ゲーム(グランツーリスモ)でスバル車を買い漁るのでした。
たしか就職活動で都内を歩き回っていた時、立ち寄った西新宿のスバルビルのショールームで貰ったカタログです。
BGではなく、BDというのがマイナー志向の自分っぽい(笑)
ピュアホワイト(51E)のRS、まさにグランツーリスモでの愛車でした。
実車を手に入れることはありませんでしたが、今でも欲しい1台です。
この頃はKENWOOD推しでした。この後はMacintosh、Harman/Kardonと変遷していきます。
カシミヤイエローのRS、後に欲しくて探すことになります。
今思えば、もっと気合を入れて探せば、見つかったかもしれません。
20歳ころの写真です。
前述のY君とは別の同級生F君が、先行予約で購入したフォレスター(SF5)です。
スバルディーラーに就職が決まり、ちょうどその頃スバルから新車が出るというので買ったのがこのフォレスターでした。
ずいぶんと汚れていますが、まだ納車から数週間、慣らしで訪れた長野の林道での1枚。
グレードはS/tbで、ミッションはMT。その加速性能にはぶったまげて、自分もいつかはターボ車を買うぞと、誓ったのでした。
79馬力しかないマーチに乗っていた自分には、フォレスターとはいえども、刺激が強かったのかも(笑)
そのフォレスターですが、僅か半年ほどでお役御免となり、次は王道レガシィに買い替えます。
17インチタイヤ+ビルシュタインダンパーのGT-Bを買うと思いきや、彼が選んだのは250TというNA 2500ccの渋いグレードでした。
このレガシィにもちょっとした思い出があります。
たしか1998年の1月頃だったか、関東が大雪に見舞われることがありました。
今でこそスタッドレスを履いていますが、あの頃は自分のクルマでスキーへ出かけることはあまり無く、スタッドレスは勿論のこと、チェーンも持っていませんでした。
生意気にも通学にクルマを使ってまして、八王子から横浜での帰り道で、雨が次第に雪へと変わり、家まで10キロぐらいのところで道に積もり始めてきました。
何とか家までたどり着いたものの、借りていた月極駐車場の入口でスタックし、二進も三進も行かなくなり、PHS(懐かしいですね)でF君に助けを求めます。
スタッドレスを履いたレガシィは、水を得た魚の如く、スタックしているクルマを横目にスイスイと走る姿に、またまたヤラれてしまうことに。
雪道=四駆=スバルという構図がまさに出来上がった瞬間で、この経験から1年半後に念願のスバル車がやって来るのでした。
90年代のスバル車は人気が出てきたとはいえ、まだ一般的とは言えず、マニアックな部分がクルマ好きの琴線に触れたのかもしれません。
あの頃はガソリンが安く、燃費についてあまり気にしなかったというのも、スバル選択の後押しになりました。
スバル車が並の燃費性能を手に入れるのは、2000年代以降の話であり、リッター5~6Kmというのは当たり前。ターボだけではなく、NAでも似たような数値でした。
さて、次からいよいよ5台の愛車遍歴を綴っていこうと思います。