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ぐっさん@GUEAのブログ一覧

2019年06月09日 イイね!

【スバル遍歴】スバル乗り前夜編

【スバル遍歴】スバル乗り前夜編1999年6月某日、自分にとって3台目の愛車であり、そして生まれて初めてのスバル車であるレガシィB4 RSK(BE5A)が納車されました。
それから紆余曲折はありましたが、スバル車一途を通しまして、今年で何と20年になります!

飽きもせず、よくここままで続いたなというのが率直な感想ですが、20周年の節目ということで、愛車遍歴もといスバル遍歴で今まで乗ってきたスバル車を振り返ってみようと思います。

記念すべき第1回目はスバル遍歴前夜編ということで、スバル好きになったきっかけです。

このクルマからスバルが気になるようになりました。



レガシィ前夜(レオーネ、アルシオーネ)のスバル車はすいません、当時は全然刺さりませんでした。
街中で見かけるスバル車といえば、レックスやサンバーといった軽ばかり。
なので、80年代までのスバル=軽自動車といったイメージが強かったです。

それが平成元年登場のレガシィ以降は、ディーラーの数も増えて、徐々に見かけるようになりました。

カタログですが、高校生の頃、たしか2代目(BG)が出る直前に自転車で貰いに行ったものです。
店舗は建て替えで移動しましたが、このカタログを貰った営業所から26年後にレヴォーグを買ったのは何か運命みたいなものを感じます(笑)



ドルフィンディーラーが懐かしいです。
このイルカのロゴは最近は使っていないのですかねぇ・・・



90年代のスバルといえば、イメージキャラクターに外タレを起用し、第一号がブルースウィルスでした。
まだ頭髪がしっかり残っています(^_^;)



レオーネ臭が何となく残っているセダン(BC)よりも、商用車(ライトバン)を持たないワゴン専用設計のツーリングワゴンの方に強く惹かれました。
ダークレッドマイカがとても映えています。ルーフレールを世に知らしめたのもレガシィの功績ではないでしょうか。
このルーフレールは経年劣化で艶が無くなり、みすぼらしい姿になっていくのですが・・・



フルタイム四駆ターボのワゴンの象徴である"GT"、この2トーンも良いですが、ブルー(インディゴブルー)のイメージが強かったです。
逆に白や黒は、あまり見なかったような気がします。
当時オプションだったABSを付けると、リアガラスにもれなくステッカーが付いてきます(笑)



NA系のトップグレードである"VZ"。
スバルのお家芸であるエアサスがオプションで選べました。
掃除が大変そうな14インチのアルミホイールは、後の3代目レガシィ(BH)で復活します。



"ブライトン"は2代目(BG)の時に、一気に人気グレードへと駆け上がります。
90年代前半はダークグリーンのクルマをよく見かけました。



レオーネの残り香を感じる廉価グレード。
1.8リッターの設定が時代を感じます。



モデル末期の特別仕様車の一つである"VZtypeR"。
セダンのスポーツグレードであるRSの足回りを移植して、ハンドリングやスポーツ性能を訴求したモデルですが、何故かNAのみの展開でした。
こういうところが良くも悪くもスバルらしいです。

このVZtypeRですが、当時高校の国語の先生が購入しまして、「先生、レガシィ買ったのですか?」なんて聞くと、「何で知ってるの?」と照れながら答えていました。トヨタのカルディナと迷ったそうですが、こうやって人に自慢できる選択は間違っていなかったのかもしれません。
KENWOODのオーディオにオプションでCDチェンジャーを付けて、青春時代のチューリップを聴いているなんて話をしていました。
もう一人、アルシオーネSVXに乗っている国語の先生もいて、好き者が揃った学校でした(笑)

レガシィに始まり、アルシオーネSVX、VIVIO、インプレッサと90年代初頭のスバルは、他の国産車とは違った独特な雰囲気を放っていました。
そこにどんどん魅了され、免許取得年齢が近づくにつれ、スバルを凄く意識するようになります。



1993年、高校2年の時の東京モーターショーです。
幕張に移ってから3回目だったと思いますが、R33スカイラインGT-Rのプロトモデルがこのモーターショーでお披露目になるということで、ずいぶんと賑わっていたのを覚えております。
このモーターショーのタイミングで、レガシィが2代目のBG/BDにモデルチェンジ。GT-Rよりもレガシィ見たさに訪れたのか、それともGT-Rが人だかりで近寄れなかったのか、残っている写真はスバルばかりでした。
インプレッサのワゴンにWRXが追加(GF8B)。レヴォーグの先祖的なクルマですね。



トップグレードのGT/B-spec(BG5)。"B"はビルシュタインではなく、ホイール(BBS製)の方かもしれません。ビルシュタインが採用されるのは、これから2年半後のB型になってからであります。



セダン(ツーリングワゴンに対して、ツーリングスポーツなんて呼んでいましたが)のトップグレードRS(BD5)。ホイールは同じ16インチですが、こちらはBBS製ではありません。



90年代のスバルといえば、WRCとは切っても切れません。
この年の途中レガシィからインプレッサWRXにシフトし、フィンランドの1000湖ラリーより投入されました。デビュー戦を2位で飾り、以後破竹の勢いで快進撃を遂げます。
ちょうど1000湖ラリーに参戦したWRXが展示されていました。



スバリストが希望ナンバーで「555」を選ぶ所以はここからです。
写っていないですが、隣はインプレッサに入れ替わって引退したレガシィのGr.Aカーが展示されていました。



翌1994年の東京オートサロンより。
今は無き、晴海の国際展示場での開催でした。
サファリラリーに参戦したVIVIO RX-R(KK4)です。
VIVIO3台でサファリラリーに参戦。3台中1台のみの完走でしたが(総合12位)、まさかサファリを軽で戦うなど、スバル(STI?)にはびっくりしました。
初日でリタイヤしてしまいましたが、コリン・マクレーもこのVIVIOをドライブしております。

スバルへの思いは強くなる一方、スバルと同じぐらい、いやそれ以上好きだったのが日産でした。身内の事情で日産車しか選択できなかったということもあり、最初のマイカーは日産車からの選択となりました。

それでもスバル車に乗る機会はそこそこありまして、初めてハンドルを握ったのは、レガシィやインプレッサではなく、何とこれ!(^^)!



当時で既に10年以上前のクルマで、なかなかのスパルタンぶりでした。
4輪ドラムのブレーキはヤバいぐらい効かず、軽とはいえども重ステはしんどかった。
2気筒の550ccのエンジンは30馬力ぐらいでしょうか。とても非力で、上りでは60Km以上出なかったです。
リアガラスには熱線が付いてなく、エアコンも無かったので、すぐ窓が曇ってしまって厄介なクルマでした。
それでも4速MTはダイレクト感があって、クルマというよりもバイクに乗っている感覚で、妙に楽しかったです。

次に乗ったのが、高校の同級生Y君の親が買った当時最新のレガシィ(BG5)。レックスとは雲泥の差です。
最量販グレードの"ブライトン"でした。
ABS、TCS、デュアルエアバックと安全装備てんこ盛り。2リッターNA(SOHC)はたしか130馬力ぐらいしかなく、正直必要にして十分といった感じでしたが、それでも5ナンバーサイズのクルマにしてはしっかりしており、質感や剛性感はうちのオヤジが乗っていたC34ローレル(2.5メダリストV)と遜色ありませんでした。
中級グレードのブライトンとはいえ、これはなかなかの衝撃で、身をもってスバルの実力を知るきっかけとなったのでした。



大好きだった日産も90年代中盤から迷走が一気に進み、結果としてゴーンさんの登場となるわけですが、日産の衰退と合わせて自分も気持ちが離れていきます。
そして、スバルへの憧れはより一層強くなるのですが、前述の通り、身内の事情で日産車しか選択できず、尤も学生の身分ではレガシィもインプレッサWRXも高嶺の花。
実車が買えない代わりに、ゲーム(グランツーリスモ)でスバル車を買い漁るのでした。



たしか就職活動で都内を歩き回っていた時、立ち寄った西新宿のスバルビルのショールームで貰ったカタログです。
BGではなく、BDというのがマイナー志向の自分っぽい(笑)

ピュアホワイト(51E)のRS、まさにグランツーリスモでの愛車でした。
実車を手に入れることはありませんでしたが、今でも欲しい1台です。



この頃はKENWOOD推しでした。この後はMacintosh、Harman/Kardonと変遷していきます。



カシミヤイエローのRS、後に欲しくて探すことになります。
今思えば、もっと気合を入れて探せば、見つかったかもしれません。



20歳ころの写真です。
前述のY君とは別の同級生F君が、先行予約で購入したフォレスター(SF5)です。
スバルディーラーに就職が決まり、ちょうどその頃スバルから新車が出るというので買ったのがこのフォレスターでした。
ずいぶんと汚れていますが、まだ納車から数週間、慣らしで訪れた長野の林道での1枚。
グレードはS/tbで、ミッションはMT。その加速性能にはぶったまげて、自分もいつかはターボ車を買うぞと、誓ったのでした。
79馬力しかないマーチに乗っていた自分には、フォレスターとはいえども、刺激が強かったのかも(笑)

そのフォレスターですが、僅か半年ほどでお役御免となり、次は王道レガシィに買い替えます。
17インチタイヤ+ビルシュタインダンパーのGT-Bを買うと思いきや、彼が選んだのは250TというNA 2500ccの渋いグレードでした。



このレガシィにもちょっとした思い出があります。
たしか1998年の1月頃だったか、関東が大雪に見舞われることがありました。
今でこそスタッドレスを履いていますが、あの頃は自分のクルマでスキーへ出かけることはあまり無く、スタッドレスは勿論のこと、チェーンも持っていませんでした。
生意気にも通学にクルマを使ってまして、八王子から横浜での帰り道で、雨が次第に雪へと変わり、家まで10キロぐらいのところで道に積もり始めてきました。
何とか家までたどり着いたものの、借りていた月極駐車場の入口でスタックし、二進も三進も行かなくなり、PHS(懐かしいですね)でF君に助けを求めます。

スタッドレスを履いたレガシィは、水を得た魚の如く、スタックしているクルマを横目にスイスイと走る姿に、またまたヤラれてしまうことに。
雪道=四駆=スバルという構図がまさに出来上がった瞬間で、この経験から1年半後に念願のスバル車がやって来るのでした。

90年代のスバル車は人気が出てきたとはいえ、まだ一般的とは言えず、マニアックな部分がクルマ好きの琴線に触れたのかもしれません。
あの頃はガソリンが安く、燃費についてあまり気にしなかったというのも、スバル選択の後押しになりました。
スバル車が並の燃費性能を手に入れるのは、2000年代以降の話であり、リッター5~6Kmというのは当たり前。ターボだけではなく、NAでも似たような数値でした。

さて、次からいよいよ5台の愛車遍歴を綴っていこうと思います。
Posted at 2019/06/09 22:41:19 | コメント(8) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2018年11月25日 イイね!

JAPAN

JAPAN日産車ネタが憚れる!?時期ではありますが、まあクルマには罪がないということで。

一昨日横浜のヨドバシカメラまで行く用があり、9月発売のこちらのミニカーを漸く手に入れることができました。
このシリーズは生産台数がそう多くないので、早く買わないと廃盤になってしまいます。

西部警察シリーズも早いもので22台目。さすがにネタが無くなってきたのか、犯人が乗っていたクルマまでモデル化されるようになってきました。
尤も、西部警察とは違った理由でこのミニカーが欲しかったのです。

私のクルマ好きは、おそらく物心がついた時(2~3歳でしょうか)から始まっていると思われます。
クルマ好きのきっかけとなったクルマ、生まれて最初に好きになったクルマが、通称"ジャパン"と呼ばれていた5代目の日産スカイラインでした。



この頃、我が家にはまだマイカーがなく、クルマに乗る機会も限られておりました。
今みたいに当たり前にクルマがある時代でしたら、もしかしたらクルマ好きになっていなかったのかもしれません。その貴重な乗車経験こそ、田舎の祖父が乗っていたクルマ、そうスカイラインでした。

自分と同じ1977年式の4ドアのGT-EX(たしか)。
先代のケンメリから買い替え、平成元年までの12年間愛用していましたが、最後はあちこちぶつけてボコボコになっていたようです。

田舎へ行く一番の楽しみがじいちゃんのスカイラインに乗ることでした。
子供ながら水平指針メーターにワクワクし、L20Eの如何にも6発というサウンドに心躍ったのでした(笑)

小学生以降、クルマに詳しくなると、既に10年目だったということもあり、最新のR31スカイラインへの買い替えなどを勧めておりましたが、中学生になるまでしぶとく乗っていました。
じいちゃんも余程気に入っていたのかもしれません。
スカイラインの次に買ったのがトヨタのスプリンター(AE90)だったので、その格落ち感にずいぶんとがっかりしたものでした。



グレードは違えど、まさにじいちゃんのクルマがこれでした。
色も同じシルバーです。
ホイールも一緒で、ほぼ外観はこの通り。



ナンバーは"品川"ではなく、和歌山の"和"でしたが、実車の雰囲気をうまく捉えています。
スカイライン伝統のサーフィンラインの上にエンブレムがあります。



ジャパンといえば、トランク上面にある給油口が特徴です。
何故この位置にあるのか謎ですが、当時のガソリンスタンドは頭上からノズルを伸ばすのが多かったので、ボディサイドにあるよりも、実用面では上だったのかも?



GTの証である丸目4灯のテールライト。クルマに詳しくない人でもこのテールライトだけ見て、スカイラインだと判別することができました。
4気筒のTIは、たしか四角のテールライトだったような。
ディーラーステッカーの"P"(日産プリンス販売)も再現されています。



フロントも丸目4灯です。後期型は角目2灯になります。
じいちゃんのスカイラインはバンパーの四隅が凹んでいました。



後期型のジャパンです。"マシンX"のベースになりました。
(2002年8月、茨城の水海道にあったRED PARKにて撮影)

じいちゃんがスカイラインに乗っていた遠慮からなのか、父親は愛車にスカイラインを選ぶことをしませんでしたが、じいちゃんがジャパンを廃車にしてから13年後にオヤジがとうとうスカイラインを買うことに。



オヤジにとって最初で最後のスカイライン。
今となってはジャパンの影響を受けて買ったかは聞くことができませんが、親子2代でスカイラインを所有したことになります。

これで自分もスカイラインを買えば、3代に渡ってとなるのですが・・・
V37スカイライン、数少ない!?好きな日産車ではありますが、今では高嶺の花の存在になってしまいました。中古なら何とか手が届くとはいえ、いつの間にかクラウンクラスまで成長してしまったようで。

かつてのスカイライン的なクルマ(GT-Rを除く)が、今のスバル車に近いのかなとふと思ったりしたのでした。
未だにグレード名に「GT」を使っているのは、スバルと日産ぐらいですし。

Posted at 2018/11/25 18:20:38 | コメント(3) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2018年01月28日 イイね!

港303

港30341歳になってもトミカ集めはやめられず、気になるクルマが発売されるとつい、買ってしまいます。
さすがに床に並べて遊んだりすることはないですが・・・(^_^;)

トミカシリーズの中で注目しているのが「トミカプレミアム」。
謳い文句の通りディテールがしっかりしており、通常のトミカと比べると倍以上の値段ではありますが、1,000円以内で買えるので、お小遣い制のお父さんでも難なく買えます。
難点はまだ車種が少なく、ラインナップの豊富さやマニアックさを求めるのであればトミーテック製の「トミカリミテッドヴィンテージネオ」の方が面白かったりします。まあ、その分高いですが。

メジャーな車種が多いトミカプレミアムに、何と「日産レパード」が登場しました。



このクルマを見ると、大半の人は思い出すのがおそらくこちらかと。



地元TVKで絶賛再放送中であります。

トミカリミテッドヴィンテージネオの方でも、一昨年上映の「さらばあぶない刑事」に合わせて発売されました。あぶデカ仕様は即売れ切れ、通常モデルは前、後期型ありますが値段の割には今ひとつな印象で、未だ買っておりません。

先週偶々イトーヨーカドーで発見し、買おうと思ったところ、前にいたおっさん二人組に先に買われてしまい、まさかの在庫切れ。
昨日ですが、漸く買うことができました。
41歳の誕生日プレゼントだったりします(笑)



レパード、特にF31と呼ばれるこの2代目モデルについては語りだすと止まりません(^_^;)
大ヒットした初代ソアラに対抗すべく、それまでの2ドア、4ドアから2ドア1本に絞り、"日産ソアラ"という出で立ちで登場したものの、残念ながらそれ以上に進化した2代目ソアラの大ヒットによりまたまた完敗。
3代目ではJフェリーと呼ばれる尻下がりのセダンにコンセプトを変えましたが、ぶっ飛んだデザインが日本では受け入れられず、撃沈。そして当時のY33セドリック/グロリアの姉妹車となった4代目も決して浮上することなく、歴史を終えてしまいました。
4代目はうちのオヤジが所有していましたが、下取りの低さにはびっくりで、同グレードのセドリック/グロリアよりも50万円ほど安かったのを覚えております。



縮尺は1/63。ドアミラーは残念ながら付いておりません。



フロントマスクは特徴をきちんととらえております。
トップグレードの"アルティマ"だとグリルに「3.0 V6 TWINCAM」というエンブレムが付きますが、さすがにここまでは再現されませんでした。



リヤ周りも丁寧に作られております。
黒豹のオーナメントも確認することができました。



トミカなので、ドアが開きます。
ゴールドツートンのボディカラーがたまりません(笑)



雨滴感知式のワイパーのセンサー(赤丸部分)もきちんと再現されております。



サイドビューもきれいにまとまっております。
純正ホイールの表現力は、トミカリミテッドヴィンテージネオ版を超えています。



トミカなので、まあ内装は・・・(^_^;)



先に買っていたスカイラインRSターボ(DR30)と並べてみました。
同じ縮尺なので、違和感なし。



スカイラインの方ですが、タカラトミーモールオリジナルつき、レギュラーの赤黒(西部警察カラー)ではなく、首都高トライアルカラーになります。



"RS TURBO"や"TWINCAM 16"といったボディに貼ってあるステッカーに当時は憧れました。

スバル好きを自認しているつもりではありますが、この手のミニカーは日産車ばかり買っているような気が・・・
日産車でクルマを覚えたというのはありますが、思い出に残っているのは日産車の方が多いようです。
自動運転や電気自動車も良いけど、昔みたいに骨っぽいクルマを出してほしいですねぇ。





Posted at 2018/01/28 14:37:08 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2017年05月01日 イイね!

Prelude

Prelude"ホンダ「プレリュード」復活との噂が浮上"

「ベ〇トカー」よろしくな、飛ばし記事な臭いがプンプンしておりますが、真相はどうなのでしょう?
かつてのライバルであった「シルビア」も、それこそ86/BRZよりも前から新型が出るなどと騒がれていましたが、未だ見ておりません。
2ドアクーペの市場が枯れてから既に10年以上は経過していますが、全く以って蘇る兆しなどなし。
尤も海外(北米あたり)は事情が違うのかもしれませんが、多分に漏れず、日本では売れないでしょうねぇ・・・
今さら「デートカー」と言われてもなぁ・・・

とはいえ、市井のクルマ好きとしては、是非復活してほしい1台。
リトラクタブルライトとボレロのCMで一世を風靡した2代目、3代目が定番ではありますが、自分の中でプレリュード言えばこのモデルです。



最後にアイルトン・セナが言い放つ「Just move it!」というのが格好良かった!
今までの薄べったいデザインが4代目で一気にスポーツ寄りになり、ナンパなプレリュードがずいぶんと硬派になったなと驚いたのを覚えております。
たしか、当時の国産FF最速はプレリュードだったような気が。まだインテグラは「カッコインテグラ」でTYPE-Rは無かったですし。





助手席側まで伸びたメーター周りも印象的で、特に自発光式メーターになった後期型は一体感があって、wikiにもある通り近未来な雰囲気でした。




最終モデルとなった5代目ではATTSの採用によりスポーツ性能を上げつつも、FF最速は弟分のインテグラに譲ったということもあり、3代目までのスポーツよりもスペシャリティという路線に戻りましたが、残念ながら時代はもうクーペではありません。プレリュード史上、一番のマイナーモデルとなり、街中で見かけることも殆どなく、いつの間にか消えてしまいました・・・


復活は眉唾な話ではありますが、ミニバンや軽だけではなく、クルマ好きを振り向かす、そんなクルマを是非ホンダには出してもらいたいものです。
もうじき国内にも導入される予定のシビックが試金石になるのでしょうねぇ・・・


Posted at 2017/05/01 22:07:38 | コメント(5) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2017年01月21日 イイね!

60th

60th新年2回目のブログは、スバルネタではなく、日産車の話題を。

スカイラインが登場から今年でちょうど60周年になるそうです。

アラフォー以上のクルマ好きにとっては、一度は憧れたことのあるこのブランドも、紆余曲折を経て、還暦を迎えるわけですが、十分語り尽くされたクルマですので、私ごときが論ずるのも何だか憚れます。
ですが、色々と思い出のあるクルマですので、自分なりにちょっと語ってみようと思います。


ちなみに初代モデルはこんな感じです。



15年ぐらい前に茨城の水海道にあった「RED PARK」で撮影しました。
後にも先にも初代スカイラインを見たのはこの1回だけ。
これを見てもスカイラインというイメージが湧かないなぁ・・・

そして、物心付いた時、生まれて初めて好きになったクルマがこの5代目の「ジャパン」でした。



2~3歳ぐらいの頃、当時我が家にはマイカーがなく、また唯一運転のできる父親も長期の単身赴任で不在。どういう経緯でクルマ好きになったかは、正直覚えていないのですが、クルマに乗る機会になかなか恵まれないというのは結構辛いものでした。
そんな中、数少ない楽しみの一つだったのが、田舎の爺さんの家に遊びに行くことで、爺さんに会うのが楽しみというよりも、クルマに乗れるというのが大きな理由でした(笑)

そう、当時の爺さんの愛車が色は違いますが、丸目の前期型のジャパン。
あまりクルマに乗ったことが無かったとはいえ、他のクルマと比べてスカイラインは何か違うぞというのは幼心にも感じまして、「これはとっても良いクルマなんだぞ」と爺さんが自慢していたのを覚えております。

ブルーバードからケンメリのスカイラインに乗り換え、そして自分が生まれた年にジャパンを購入。8代目のR32登場の平成元年まで12年ほど所有し、最後の方はあちこちぶつけて可哀そうな姿になっていましたが、ガレージのシャッターの隙間から見える、◎◎のテールライトは輝いていました。
トランクの右上にある給油口も特徴的だったなぁ・・・

スカイラインの後はトヨタの大衆車に買い替え、「何でこれなの?」と中学生になった自分は物凄く落胆したのですが、これが最期のクルマとなってしまいました。

爺さんに影響されてスカイラインを買うかと思ったうちのオヤジは、トヨタのハイソカーの方が好みで、興味を示すことはありませんでしたが、爺さんがジャパンを手放してから13年後に、漸く親子2代でのスカイライン乗りを達成することができました。



アンチの多い10代目のV35スカイラインですが、GT-8というエクストロイドCVTを積んだモデルで、3.5リッターというこのボディサイズにしては大排気量ということもあり、なかなかの走りっぷりでした。
スバル道に入っていなかったら、自分でこのクルマを乗り継いでいたかもしれません。

爺さん、オヤジも鬼籍に入ってしまい、そして自分は気がつけば本日で40歳。二人が生きている間に残念ながら3世代でスカイライン乗りを達成することはできませんでしたが、スバヲタながらもスカイラインは未だに特別な存在。
実際に9代目のR34を購入しようとしましたが、その時競合させたレガシィB4(BE5)の方に流れてしまい、以後スバル車オンリーが続いております。

現行の12代目にあたるV37スカイラインですが、日産車の中でも数少ない好みの1台だったりします。
でも、知らぬ間にずいぶんと高級車になってしまい、ずいぶんと遠い存在になってしまいました・・・

Posted at 2017/01/21 00:07:41 | コメント(7) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ

プロフィール

「追浜工場 http://cvw.jp/b/127580/48552120/
何シテル?   07/20 07:35
1999年5月、スバルオート横浜(現神奈川スバル)金沢営業所でレガシィB4 RSKを契約。 何度も他社に乗り換えようと思いましたが、結局はスバルに落ち着き...

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