
去る8月3日の山形県豪雨は怖かった。大雨特別警報が発令される前から自宅の横を流れる川が氾濫しそうだったし、生まれて初めて避難した。ただ避難所には既に何人も詰め寄ってたからクラスター発生したら嫌だななぁと安全欲が働き、道の駅に駐車し深夜まで待機してた。デミオの屋根から凄まじい雨音が聞こえ、押し寄せるように避難してくる人々を眺めてると緊張と不安が高まるもんだ。辺りの状況を確認しようと車内のラジオ点けたらプリセットしてなかった。そんじゃ地デジ観るか思ったが、こちらもデフォルト状態。本当に妻は運転中に何も聞いてないんだと思った。ただメーカー純正というかディーラーOPのナビは限られた2DIN枠の中で大画面を実現させる為に全ての操作がタッチパネルか本体下端の小さなボタンで直感的な操作が困難だった。

特に緊急時は純正ナビやオーディオのようにツマミやダイヤル式、大きな物理ボタン等が効果的だと思い知らせらた。

やっぱり純正品ってホント良く考えられてるよな。説明書なんか見なくても操作できる安心感ほど有り難いものは無い。

そんで今日は、新型コロナウイルスの感染拡大により私と妻の職場が同時に開店休業状態になり、お互い公休を移動する事になった。自宅待機とは違うから少しだけ出掛けた。まずは食欲を満たす為に朝ごはん。

安定の松屋。私はネギとろろ牛めし(大盛り)。

妻は焼鮭朝定食(牛小鉢)ご飯大盛り。

国道13号を北上し、

尾花沢から最上郡、そして宮城県さ入る。すると、

あ・ら・伊達な道の駅。

ここは道の駅グランプリ日本一の場所。

入店するなり、北海道にしか存在しないチョコレート屋が女子の欲望に訴えかける。

残念ながら私は甘いもの食べないし、

妻もチョコレート食べられないからスルーした。

いやぁ広いな。

何でも揃ってるな。

ここからは妻の欲求を満たす為の時間だ。

妻は大量に野菜を買って私利私欲を満たしていた。

私には安いの安くないのかは判らない。

カールスモーキー石井が喜びそうな店も入る。

朝は軽めに食べたから、改めて食欲が湧いてきた。先を急ごう。

魁力屋あけの平店。

ここは宮城県富谷市かな?

だいぶ魅力的だな。

私はコク旨ラーメン全部のせ+焼きめし(並)。低温調理のチャーシューは柔らかくスープや麺は京都らしい美味しさ。

妻は特製醤油ねぎラーメン+餃子セット。よく食えるよな。

さて東北自動車道で帰ろう。

福島県に入り妻のトイレ休憩は国見サービスエリア上り。

こないだリニューアルしたから店内はキレイだ。

お土産コーナーも充実。

福島県じゃない場所の土産も売っている。

のどかな眺めも楽しめる。

さぁ、そろそろ帰りたくなってきた。

急に妻が指差し、緊急停止。

田舎の直売所だった。

こんだけ入って¥500だと。

ここでも妻はバカみたいに買ってた。

いやぁ疲れた。しかし人間ってやつは贅沢だ。考えてみたらカーナビ付いてるだけでも贅沢品だけど、付いてたら付いてたで私みたいに不満を持つ者が居る。少しでも画面を大きくとか、リルートを早くとか、マップの自動更新とか、そんで仕舞いにはシンプルな操作を望む。欲を言えばキリが無い。

軽自動車だって同じ。昔は華美な装備なんか無くでも、これで母ちゃん買い物に行ったり、父ちゃんタバコ買いに行く時に乗るような下駄代わりだったし、それで良かった。なのに最近は登録車と同じクオリティを求めるバカが多くなり自主規制で上限64馬力の軽自動車に豪華装備を詰め込んで車重が増した。しかし少しでも燃費は良く、車内は広く、荷室も広く、高速道路や山道もスイスイ走るべき。カップホルダーと小物入れ沢山付けろ?こんな事を軽自動車に求めるヤツもバカだしムキになって応えようとする開発者もバカだ。パジャマとスーツが合体する訳が無いんだよ。

私は今回の豪雨で「物事の適度な限界」を強く意識するようになった。良く言えば折合いをつけ、落し所とか摺合せだ。悪く言えば諦めや妥協点とも云う。そして物事には多様性が秘めてるから「こう或るべき」という発想を止めた。逆に限りない欲動を抑え限界を楽しむ方が幸せだと思うようになった。まるで初代デミオのような潔さに感銘を受けている。最初から割り切った商品だと売り出し、それを納得して買った客が多かったから最後まで4WDか未設定だっわりに全国で大ヒットしたしクレームも少なかったのだ。

日本語には昔から「按配」という素敵な言葉が存在する。これは自然の中で生きる人間のルールであり、消費者とメーカー間のマナーでもある。最近はモンスタークレーマーやモンスターペアレンツ等が増えたのも、全て自分のモノサシだけで物事を理解しようとするバカの証だ。しかも貪欲という言葉を履き違え、単なる自分の我儘や強欲を満たす為の努力は怠り、無意識に責任転嫁している。だから最近は「べき」という言葉を簡単に使う人が増え、話し合いの場なんかでも双方の異なった「べき論」が大きな摩擦を生じさせている。もちろん誰にだって自分自身のパラダイムは存在するが、この薄っぺらい「べき論」は他者との共感やコンセンサスを阻害する悪性因子である。

今は令和の時代、生産性のある世代は概ねスマホを所有し、地方なら自分専用の車を所有し、貧乏や金持ちを相殺しても標準的な生活は送れるようになった。この日本で、これ以上の何を望むんだろう。ここで原点回帰し、物事の落し所や按配を意識するだけで人間関係は豊かになるような気がする。多くの「べき論者」が軽自動車に色々と求めすぎた結果どうなった?多くの事が拮抗するようになっちまったじゃないか。ちなみに私の妻は「もしデミオ買い替える時が来たら次はキャロルの最廉価モデルで良いよ、乗る時は通勤と買い物くらいだし、やっぱり安いのは最大の魅力だわ」と言ってくれた時は嬉しかった。

しかし3日と経たないうちに「中古で良いからCX-3のAWDが欲しい。やっぱりカッコイイ方が良いわ」と話して来た。それも私は嬉しかった。どちらも買えない事を伝えたが。

動物が本能や習性で生きているとしたら、きっと人間は欲動により生かされている。食欲や性欲、物欲、そして睡眠欲に知識欲など「無意識に自分の欲を満たすべき」と思い込んでいる。そこで大切なのは、もし自分の欲が満たされなかった時の立ち居振る舞いなんだろうな。あれこれカーナビや軽自動車に期待する人ほど自分は楽して得したいだけの寂しい人間なのかもな。本当に良いモノは当然コストも掛かるし、限られた価格帯ではスペック的な限界は生じるもんだ。高性能なカーナビが欲しかったら高価な事は理解しないといけない訳だし、軽自動車に乗るなら自分の中で割り切る事は必要。これ1台で何でも出来て、荷物も積めて、税金は安くて、内装は豪華で、燃費が良い軽自動車を求めるなら、割高な車両価格とローパワーで遅い事は最初から納得する必要がある。しかし、それを本気になってメーカーやディーラーに「高かったわりに馬力が無い」とクレーム入れる輩が居るんだから、お前どんだけ無知で強欲なんだ?と私は呆れる。

結びに、これから皆がトラブル無く爽やかに生活できる秘訣を挙げる。まず自分の無意識にある「べき論」は他人の価値観とは違うかもしれない事に気付く事。自分の身の丈を知り欲しがり過ぎない事。そして理想のモノか自分で作れない素人はプロに任せて後から不満を言わない事。愛は地球を救うかもしれないが、「べき」は貴方を滅ぼすかもしれない。
Posted at 2022/08/07 17:32:34 | |
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