
仕事が終わった後、すぐに車を出して映画館に行ってきた、Aqours documentaryを観るために。
2025年6月にAqours 9人での最後のライブであるFinale(≠Final)があった。そのライブのメイキングのような内容になっている。
助けてラブライブ!。あれから10年なんだけど、色々あったことをキャストのインタビューとともに見せるドキュメンタリー映画となっている。ドキュメンタリー映画でどんでん返しも何もないのでネタバレで。文章しかないから読み飛ばし推奨。
最初に触れた話題は、μ's箝口令である。あの当時、μ'sファイナルの前にAqoursの話が出てきたもんだから「Aqoursのせいでμ'sが終わる」という勝手な憶測でAqoursを苦しめていく。ファイナルの後の風当たりは、ボクも当時を見ていたが、本当に酷かったとしか言いようがない。さらに拍車をかけたのが最初に書いた箝口令である。基本的にAqoursはμ'sの話をしたかったのにさせてくれない。それが運営側の戦略だったのだけど、ドキュメンタリーの中で出てきた大久保Pは、Aqoursネガキャンに励むμ's原理に対し、Aqoursを守るために箝口するというのが当時は最適解だと思っていたが、今になって思えば悪手だったよなって思う。
あの当時、μ'sの劇場版をやってる時にうっかりツイートしたら見とけ!と原理がキャストに命令したり、μ'sの内田彩さんがライブのMCでAqoursに苦情を言ったと嘘のツイートをする原理が出てきて、うっちーが原理にブチギレしたりとめちゃくちゃだった。そして、沼津のマンホールスプレー事件。市からの告訴で器物損壊で刑事事件となり、埼玉のFラン大学生と地元の高校生が自首して逮捕された。この辺りから「オマエラやり過ぎ……」の空気になって急によくわからないAqoursネガキャン・叩きがなりを潜めていった。
マンホール事件、Aqoursのキャラクタのマンホールを見に夜遅い時間に沼津にいって散らばっている10個のマンホールを見て回った。当時、曜ちゃんのマンホールたむろってた連中がいた。10個全部回ってホクホクして帰って、翌朝、マンホールにスプレーというショッキングなスレを2チャンネルで見たことを覚えている。曜ちゃんのマンホールに自転車でたむろってたあいつらなんだろう。
今、AiScReamで飛ぶ鳥を落とす勢いの降旗さんが総選挙で思い悩んでいた。得票数は常に下を這うので、自分の努力が足りないのか、自身のキャラが立ち過ぎているのか思い詰めていたようだ。
閑話休題。次の話題になったのがラブライブ!フェス。それまで、μ's原理から色々あったけど怒涛のライブ。彼女たちも息つく暇もない日々、東京ドーム公演、そして、SSAで行われたラブライブ!フェス。ボク自身はあのライブは無能運営のクソライブという認識なんだけど、彼女たちにとってはμ'sからAqoursにバトンが渡された瞬間だった。Day1のトリはμ's、Day2のトリはAqours。彼女たちに変に背負わされた業が下された瞬間だったようだ。
ここからAqoursは5大ドームツアーをする!ってなった時にきた災、コロナ禍で全ての公演がキャンセルされた。ちなみにボクは全部行くつもりでいた。そして、少しコロナ禍のピークが過ぎた時、静岡のつま恋の野外ライブが企画された。開催2週間前でも特に政府の鑑賞ルールどおりに実施できると思っていたが、開催1週間前になって、当時の静岡知事である川勝によって狙い撃ちで中止にされた。Aqoursは川勝の政治の道具に使われた。川勝は自分の判断によって静岡県民を守った立役者と言わんとばかりに。そんな川勝の身勝手な政策でJR東海は空輸送の臨時便を送り出し、つま恋側が準備したチャーターしたシャトルバスは全てキャンセル。あいつは一切責任を取らない。今考えても本当に酷い仕打ちだ。
逢田さんは心が折れ、高槻さんは心を壊した。高槻さんは総選挙で色々ガヤガヤしていたけど、ライブで自身のナンバリングシングルのセンターを勤めることができたはずだったのに。特にユニットライブでCYaRon!、Guilty KissはライブができたのにAZALEAだけ中止。3回中止になって、4回目で仙台でやっとAZALEAのライブができたけど(2日間行った)、そこには高槻さんはいなかった。即座にAZALEAだけ横アリでライブ(これも行った)があったが、やっぱり参加はできなかった。
こういう災難続きで目標・目的を失ってしまったAqoursは半壊状態で見かねた大久保Pは「10年」やってみないかと提案をした。
10年のために、ライブホールでの無観客ライブを仕掛けたり、幻日のヨハネをプレゼントしてみたりした。
この辺のくだりを見てると、Aqoursにはそれが「人参」にはなり得ないものだったのだろうと思った。それまでだったらみんな大好物な人参だったんだろうけど、個々人の好みは千差万別になっていたのだと思って観ていた。
斉藤さんや逢田さんが話していたけど、コロナ禍の時からAqoursのメンバとどう接していいのかわからなくなった。この頃から当たり前のように円陣を組まなくなった。そしてどうやって円陣を組めばいいのかわからなくなった。
斉藤さんはずっとリーダを続けている伊波さんの心がわからなくなったという。悩みを一人で抱えて一人で解決してしまって、こちらに見せてこない。伊波杏樹を絶対に見せない人。Aqours発足当時からそうだったんだけど、余計に見えなくなったようだ。一方、伊波さんはリーダという責任に押しつぶされそうになりながらも千歌と二人三脚でやってきた自負はあるようだった。
また、Finaleに対して思うところについて興味深かったのは逢田さんと斉藤さんでは真逆を話していた。逢田さんは10年は潮時だといい、斉藤さんはもっと続けたいという。
独白を見ながら、Finaleのライブシーンを見ていると、あの時の興奮を思い出すと同時に、彼女たちのコロナ禍以降の葛藤を見出す結果となり、持ってきたハンカチをペショペショに濡らしていく。ライブ前の円陣、あれは本当に久しぶりの円陣だったようだ。
逢田さんがいうように10年は潮時というのはそれを感じながら当時Finaleに2日間参戦したけど、改めて10年は一区切りにしないとAqoursはギリギリだったんだと感じた。
立ち上がりの時からAqoursは個々人の個性が強い集団だった。それをまとめ上げる伊波さんは苦悩しながらまとめ上げたのは素直にすごいと思う。立ち上がりからコロナ禍までは、攻殻機動隊SACじゃないけど(「我々の間にはチームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。有るとすればスタンドプレーから生じるチームワークだけだ」)、個々人の個性は基本バラバラだけど組織になったら何も考えなくともなんでもできた最強のスクールアイドルだった。コロナ禍を過ぎた時から、SACだと少佐がいなくなって公安9課がなんの組織かわかりにくくなったように、Aqoursはてんでバラバラの声優集団になってしまったんだと思う。
このドキュメンタリー映画、まともに話していたのが2年生担当3人と降旗さんだけなのよ。残り5人がどんなことをいっぱい話したのかは気になる。一番割を食ったAZALEA3人衆はぶっちゃけトークすぎて使えなかったような気がするのよねw
最後に、9人での活動、10年間おつかれさまでした。
Posted at 2025/09/28 22:59:45 | |
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ラブライブ!シリーズ | 日記