• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

ぐっさん@GUEAのブログ一覧

2019年08月17日 イイね!

みんカラ:モニターキャンペーン【ミシュラン クロスクライメートシリーズ / 20名様】

Q1. 装着予定車種のメーカー名・車種名を教えてください。
回答:スバル・レヴォーグ

Q2. 希望タイヤサイズを教えてください。
回答:225/45 R18

この記事は 「みんカラ:モニターキャンペーン【ミシュラン クロスクライメートシリーズ / 20名様】」 について書いています。


※質問項目を変更、削除した場合、応募が無効となる可能性があります。
Posted at 2019/08/17 11:26:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | タイアップ企画用
2019年07月26日 イイね!

日産ヘリテージコレクション

平日の休みを使って、前々からずっと気になっていた「日産ヘリテージコレクション」の見学に行ってきました。

神奈川の座間事業所(旧座間工場)の敷地内にあり、予約が必要ですが無料で見学ができます。
マイカー(日産車以外でも勿論OK!)で訪ねることができますが、レヴォーグで行くのも何だかアウェイ感もあるしということで、律儀!?な自分は電車で行きました。

しかし、これが失敗のもとでして、地元根岸線は遅れて、更に乗り換えた相鉄では座間事業所の最寄り駅のさがみ野で降りなくてはいけないのですが、特急に間違って乗ってしまった為、さがみ野を通過。終点の海老名まで一機に行ってしまい、慌てて戻ることに。乗るはずだったバスには間に合わず、タクシーも拾えません。
9時50分までに正門まで行かなくてはいけないのですが、この時点で20分ぐらいしかありません。自宅を早めに出発したにもかかわらず、余裕は使い切ってしまったのでした(-_-;)

この日も結構暑かったのですが、何としても間に合わなけばということで、早歩き+たまに小走りを繰り返して、集合時間ほぼぴったしで正門に到着。
ざっと50人近くは見学に来られていたと思いますが、どうも公共交通機関で来たのは自分だけだったようで、正門からヘリテージコレクションまでの送迎バスは贅沢にも自分だけ。一人大汗をかきながらの到着となりました。

見学の順路ですが、先ずが受付を済ませた後に、全体で集合し、個別で見学する人と、ツアー(無料です)を希望する人の二手に分かれます。
今回初めてだったということもありツアーを選択し、25分ほどかけて展示車の説明をしていただきました。

座間事業所ですが、現在は日産の生産技術の拠点として、新型車の量産試作、プレス金型、車体設備技術、樹脂成型技術、電動車両技術の企画・製作・設置やモーターインバータの開発とリチウムイオンバッテリーの開発・生産を行っています。座間工場時代(1965年~1995年)は完成車の組立を行っていました。

alt

ダットサン1300バン」です。座間工場はこのクルマの製造から始まりました。

alt

工場操業開始の翌年にデビューした「サニー」。
以後、1995年までサニーはこの座間工場での生産となります。
ちなみにサニーは座間工場以外で、何とスバル(富士重工業)でも組立を行っていたことがありました。

alt

日産車初のFF車であった「チェリー」も座間工場製でした。

alt

日産(VW!?)の黒歴史の「サンタナ」のノックダウン生産が行われていたのがこの座間工場でした。
日本製(日産製)のドイツ車は残念ながら当初計画されていた月産4,000台には遠く及ばず、7年間で50,000台ほどの生産で終わってしまったのでした。

alt

約300台が展示されているホールの手前では、「MID4-Ⅱ」がお出迎えしてくれます。

alt

1時間半の見学時間では写真を撮るだけでも結構な時間となってしまいました。
出来れば一日かけてゆっくり観たいぐらい、日産車の歴史が詰まっております。

alt

歴代の日産(ダットサン)のロゴマークです。

alt

1933年に登場した日産最古のモデルである「ダットサン12型フェートン」です。
ダットサンの由来については、こちらをご覧ください。

 

alt

プリンス自動車の前身、東京電気自動車が製作した「たま電気自動車」です。
1947年と今から70年以上前に電気自動車は生まれており、リーフの祖先にあたります。

alt

ホイールキャップは平仮名の"たま"を模ったロゴになっています。

alt

ケンメリのGT-Rは何と2台も展示。内1台はボンネットが開いておりました。

alt

伝説のエンジン"S20"が載っております。今どきのクルマと違って、スカスカのエンジンルームですね。


alt

チャリティ用に作られたGT-Rのウサイン・ボルト仕様です。
ゴールドのGT-Rは3台製造されて、その内の1台はボルト氏に贈呈されたとか。

alt

ボンネットにはボルト氏直筆のサインがありました。

alt

市販車だけではなく、競技車両も展示されています。
日産というとレーシングカーのイメージが強いですが、80年代ぐらいまではラリーでも大活躍でした。

alt

フェアレディZ(Z31)のラリーカーです。今と違って、この頃はFR車でもラリーで大活躍でした。



パルサーGTI-R(RNN14)のRACラリー出場車です。
ライバルのセリカGT-FOUR、ギャランVR-4、レガシィRSには歯が立たず、日産のWRCワークス参戦撤退のきっかけを作ったクルマになってしまいました・・・



「くうねるあそぶ」な初代セフィーロ(A31)も展示。
家のクルマを買い替える時に、オヤジに薦めたのですが、トヨタハイソカー3兄弟の方が好きだったようで残念ながら購入は叶いませんでした。
中古市場ではドリフト需要に支えられていましたが、今見ても古さは感じず、なかなかのおしゃれなセダンだったということを改めて感じております。



90年代の日産車の中で一番好きだったのがこのプリメーラ(P10)です。
当時はドイツ車よりもドイツっぽいなんて言われていましたが、開発には前述のサンタナのノウハウが活かされたそうです。
手が届かず、マーチやパルサーで妥協してしまいましたが、無理してでも買わなかったことを今でも後悔しております。
このまま譲ってくれないかなぁ(笑)



色は違いますが、うちの爺さんが12年乗っていたのと同じスカイラインジャパンです。
生まれて初めて好きになったクルマ、いわば初恋のクルマだったりします。
ジャパンの思い出について、よろしければこちらをご覧くださいませ。



パイクカー3兄弟もきれいに並んでおりました。
レトロなデザインが功を奏してなのか、当時も今もあまり様子は変わりません。
バブル期だから許されたというのもありますが、こういうクルマを出す余裕があの頃の日産にはまだありましたねぇ・・・



先ほどのジャパンが初恋でしたら、こちらは初めての彼女とでも言うべきでしょうか。
自分の最初の愛車、K11マーチです。
グレードは違いますが、自分が乗っていたのと同じ5ドアで、色(スタイリッシュブルー)も一緒。
ディーラーオプションのプロジェクターのフォグランプまで同じです。これを付けるとヨーロッパ仕様(マイクラ)の雰囲気に近づきます。
自分が乗っていたのはMTでしたが、CVT(N-CVTって名前でした)はスバル製。
この頃からスバルには何らかの縁があったのかもしれません。

展示車ですが、フォトギャラリーにもまとめてあります。

スカイライン・1
スカイライン・2
セドリック・グロリア・プレジデント
シルビア
フェアレディZ

残りについても、追ってアップしていきます。

ゴタゴタが続いている日産ではありますが、日産車ファンを大切にしているからこそ、このように300台に及ぶコレクションの無料開放には感謝しかありません。
ただ、敢えて言うならば、このヘリテージが今売っている日産車にあまり繋がっていないのが残念です。

EVや自動運転等、これからの時代を見据えて必須な技術なのは分かりますが、ここに展示しているクルマ達みたいに、ワクワクするクルマを作ってほしいものです。新しいスカイラインがちょっとした兆しに見えなくもないですが、売れ筋が軽とノート、セレナ、エクストレイルだけではあまりにも寂しいので、車種を増やしてほしいなぁ。海外向けには魅力的なクルマが多いだけに、頑張ってもらいたいところです。

なんて偉そうなことを言ってしまいましたが、地元企業で尚且つクルマを覚えたのが日産車ということもあり、離れても思い入れは今でも強く、不躾ではありますが書かせていただきました。
Posted at 2019/07/29 23:26:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2019年07月15日 イイね!

塞翁が馬

塞翁が馬なかなか梅雨が明けず、週末になると雨ばかり・・・
この3連休も「海の日」だというのに冴えない天気でした。
洗車ができないのがストレスでありまして、この1ヶ月は雨水で拭く程度しかしておりません。
幸い平日は機械式駐車場の地下部に潜っているので、それほど汚れてはいないのですが、ピカピカに磨きたいです。

そんなE型ですが、早いもので我が家にやって来てから3か月が経過。もうじき3,500キロほどになります。
まだ上げておりませんが、先月STIのフレキシブル3点セットを取り付け、E型STI Sportsでやりたかった弄りはこれでほぼ達成。
ここから先は小遣いと相談になりますが、大枚をはたいたので、しばらくは無理だろうなぁ(-_-;)

そう、書きかけのスバル遍歴ですが、思いの外まとめるのが大変でして、1台目で躓いております。今月中には何としてもまとめたいですが、全部書くとなると今年いっぱいはかかりそうな気がしてます。。。

久しぶりのブログネタですが、この2週間ちょっとしたアクシデントに見舞われております。

先週末は謎のバッテリー上がりで初の不動車となりました。
A型の時も子供がルームランプを付けっぱなしで同じ経験をしたのですが、今回はルームランプは付けっぱなしではなく、これといった原因は不明。
平日はプールの送迎で家族が週1回、数キロ乗るぐらいで殆ど稼働しないのですが、バッテリーが上がった週はプールが休みで、1週間ほど乗りませんでした。
いくらなんでも1週間でバッテリーが上がることはないと思いますが、思い当たるところを潰している最中です。

2Vまで落ち込んだバッテリーですが、幸いテスターで確認したところ、充電量も健全性も100%まで回復。この週末も普通に乗れているので、バッテリーは大丈夫そうです。さすがに納車3ヶ月でバッテリー交換は泣けてきます。

そしてこの週末はトレッド面にタッピングネジが刺さっており、見事にパンクしておりました。駐車場からレヴォーグを出したところ、左前輪のエアが完全に抜けています。家族が水曜日に乗った際に、どこかでネジを踏んづけてきたのかもしれません。

ここでおとなしくJAFを呼べば良かったのですが、バッテリーの時も結構待たされたというのもあり、自分で直そうと、車載のパンク修理剤をタイヤに補填。
ネットで色々見ていても、こと自分のことになると冷静さを欠くというか、まあ事前に調べていれば分かったいたのですが、パンク修理剤を使うと原則はタイヤの修理ができません。
ということで、3,500キロしか走っていない SP SPORT MAXX 050 1本をダメにしてしまったのでした・・・(T_T)

とりあえずディーラーでタイヤの外側から塞いでもらったので、今のところエアは抜けていませんが、この状態で乗り続けるのは危険です。
まだ新車のうちなので、1本だけの交換で済みそうですが、もう少し摩耗が進んでいると、2本?、4本?、恐ろしいです。

しかし、取扱説明書にはパンクの際はパンク修理キットを使うことが書かれており、その手順通りに作業をしたところ、タイヤを新品に交換というのは腑に落ちませんなぁ・・・
(取説には速やかに新品に交換してくださいとは書かれていますが)

2週連続でトラブルが続くと、今度の週末も何か起きるのでは!?と、疑心暗鬼になってしまいます。
納車の日にお祓いに行ったのですが、相性が悪いのか、何なんだろうなぁ。
まあ、考え過ぎなのかもしれませんが。

2週連続でディーラーへ行ったもんで、写真のキーリングを2個もいただけたのでした(・_・;)
Posted at 2019/07/15 20:53:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | LEVORG | クルマ
2019年06月23日 イイね!

2019 STI NBR CHALLENGE

2019  STI  NBR  CHALLENGE流石に全部は見ていないですが、SUBARU On-Tubeで観戦しております。

レースは折り返し点を通過し、只今クラス1位、総合32位につけております。
現地は間もなく朝を迎えます。後半戦も目が離せません。

シーケンシャルシフトを変速した時の「パツン」っていう音がカッコ良いです。
EJ20のエキゾーストも良いですね。
あと何年聴けるのだろうか・・・

各社最新のレーシングマシンと思いきや、オペル・マンタみたいな旧車も参戦してるいるのは、自動車文化国、ドイツならではですね。
マンタ先輩も頑張ってください(笑)

Posted at 2019/06/23 12:01:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ薀蓄 | クルマ
2019年06月09日 イイね!

【スバル遍歴】スバル乗り前夜編

【スバル遍歴】スバル乗り前夜編1999年6月某日、自分にとって3台目の愛車であり、そして生まれて初めてのスバル車であるレガシィB4 RSK(BE5A)が納車されました。
それから紆余曲折はありましたが、スバル車一途を通しまして、今年で何と20年になります!

飽きもせず、よくここままで続いたなというのが率直な感想ですが、20周年の節目ということで、愛車遍歴もといスバル遍歴で今まで乗ってきたスバル車を振り返ってみようと思います。

記念すべき第1回目はスバル遍歴前夜編ということで、スバル好きになったきっかけです。

このクルマからスバルが気になるようになりました。



レガシィ前夜(レオーネ、アルシオーネ)のスバル車はすいません、当時は全然刺さりませんでした。
街中で見かけるスバル車といえば、レックスやサンバーといった軽ばかり。
なので、80年代までのスバル=軽自動車といったイメージが強かったです。

それが平成元年登場のレガシィ以降は、ディーラーの数も増えて、徐々に見かけるようになりました。

カタログですが、高校生の頃、たしか2代目(BG)が出る直前に自転車で貰いに行ったものです。
店舗は建て替えで移動しましたが、このカタログを貰った営業所から26年後にレヴォーグを買ったのは何か運命みたいなものを感じます(笑)



ドルフィンディーラーが懐かしいです。
このイルカのロゴは最近は使っていないのですかねぇ・・・



90年代のスバルといえば、イメージキャラクターに外タレを起用し、第一号がブルースウィルスでした。
まだ頭髪がしっかり残っています(^_^;)



レオーネ臭が何となく残っているセダン(BC)よりも、商用車(ライトバン)を持たないワゴン専用設計のツーリングワゴンの方に強く惹かれました。
ダークレッドマイカがとても映えています。ルーフレールを世に知らしめたのもレガシィの功績ではないでしょうか。
このルーフレールは経年劣化で艶が無くなり、みすぼらしい姿になっていくのですが・・・



フルタイム四駆ターボのワゴンの象徴である"GT"、この2トーンも良いですが、ブルー(インディゴブルー)のイメージが強かったです。
逆に白や黒は、あまり見なかったような気がします。
当時オプションだったABSを付けると、リアガラスにもれなくステッカーが付いてきます(笑)



NA系のトップグレードである"VZ"。
スバルのお家芸であるエアサスがオプションで選べました。
掃除が大変そうな14インチのアルミホイールは、後の3代目レガシィ(BH)で復活します。



"ブライトン"は2代目(BG)の時に、一気に人気グレードへと駆け上がります。
90年代前半はダークグリーンのクルマをよく見かけました。



レオーネの残り香を感じる廉価グレード。
1.8リッターの設定が時代を感じます。



モデル末期の特別仕様車の一つである"VZtypeR"。
セダンのスポーツグレードであるRSの足回りを移植して、ハンドリングやスポーツ性能を訴求したモデルですが、何故かNAのみの展開でした。
こういうところが良くも悪くもスバルらしいです。

このVZtypeRですが、当時高校の国語の先生が購入しまして、「先生、レガシィ買ったのですか?」なんて聞くと、「何で知ってるの?」と照れながら答えていました。トヨタのカルディナと迷ったそうですが、こうやって人に自慢できる選択は間違っていなかったのかもしれません。
KENWOODのオーディオにオプションでCDチェンジャーを付けて、青春時代のチューリップを聴いているなんて話をしていました。
もう一人、アルシオーネSVXに乗っている国語の先生もいて、好き者が揃った学校でした(笑)

レガシィに始まり、アルシオーネSVX、VIVIO、インプレッサと90年代初頭のスバルは、他の国産車とは違った独特な雰囲気を放っていました。
そこにどんどん魅了され、免許取得年齢が近づくにつれ、スバルを凄く意識するようになります。



1993年、高校2年の時の東京モーターショーです。
幕張に移ってから3回目だったと思いますが、R33スカイラインGT-Rのプロトモデルがこのモーターショーでお披露目になるということで、ずいぶんと賑わっていたのを覚えております。
このモーターショーのタイミングで、レガシィが2代目のBG/BDにモデルチェンジ。GT-Rよりもレガシィ見たさに訪れたのか、それともGT-Rが人だかりで近寄れなかったのか、残っている写真はスバルばかりでした。
インプレッサのワゴンにWRXが追加(GF8B)。レヴォーグの先祖的なクルマですね。



トップグレードのGT/B-spec(BG5)。"B"はビルシュタインではなく、ホイール(BBS製)の方かもしれません。ビルシュタインが採用されるのは、これから2年半後のB型になってからであります。



セダン(ツーリングワゴンに対して、ツーリングスポーツなんて呼んでいましたが)のトップグレードRS(BD5)。ホイールは同じ16インチですが、こちらはBBS製ではありません。



90年代のスバルといえば、WRCとは切っても切れません。
この年の途中レガシィからインプレッサWRXにシフトし、フィンランドの1000湖ラリーより投入されました。デビュー戦を2位で飾り、以後破竹の勢いで快進撃を遂げます。
ちょうど1000湖ラリーに参戦したWRXが展示されていました。



スバリストが希望ナンバーで「555」を選ぶ所以はここからです。
写っていないですが、隣はインプレッサに入れ替わって引退したレガシィのGr.Aカーが展示されていました。



翌1994年の東京オートサロンより。
今は無き、晴海の国際展示場での開催でした。
サファリラリーに参戦したVIVIO RX-R(KK4)です。
VIVIO3台でサファリラリーに参戦。3台中1台のみの完走でしたが(総合12位)、まさかサファリを軽で戦うなど、スバル(STI?)にはびっくりしました。
初日でリタイヤしてしまいましたが、コリン・マクレーもこのVIVIOをドライブしております。

スバルへの思いは強くなる一方、スバルと同じぐらい、いやそれ以上好きだったのが日産でした。身内の事情で日産車しか選択できなかったということもあり、最初のマイカーは日産車からの選択となりました。

それでもスバル車に乗る機会はそこそこありまして、初めてハンドルを握ったのは、レガシィやインプレッサではなく、何とこれ!(^^)!



当時で既に10年以上前のクルマで、なかなかのスパルタンぶりでした。
4輪ドラムのブレーキはヤバいぐらい効かず、軽とはいえども重ステはしんどかった。
2気筒の550ccのエンジンは30馬力ぐらいでしょうか。とても非力で、上りでは60Km以上出なかったです。
リアガラスには熱線が付いてなく、エアコンも無かったので、すぐ窓が曇ってしまって厄介なクルマでした。
それでも4速MTはダイレクト感があって、クルマというよりもバイクに乗っている感覚で、妙に楽しかったです。

次に乗ったのが、高校の同級生Y君の親が買った当時最新のレガシィ(BG5)。レックスとは雲泥の差です。
最量販グレードの"ブライトン"でした。
ABS、TCS、デュアルエアバックと安全装備てんこ盛り。2リッターNA(SOHC)はたしか130馬力ぐらいしかなく、正直必要にして十分といった感じでしたが、それでも5ナンバーサイズのクルマにしてはしっかりしており、質感や剛性感はうちのオヤジが乗っていたC34ローレル(2.5メダリストV)と遜色ありませんでした。
中級グレードのブライトンとはいえ、これはなかなかの衝撃で、身をもってスバルの実力を知るきっかけとなったのでした。



大好きだった日産も90年代中盤から迷走が一気に進み、結果としてゴーンさんの登場となるわけですが、日産の衰退と合わせて自分も気持ちが離れていきます。
そして、スバルへの憧れはより一層強くなるのですが、前述の通り、身内の事情で日産車しか選択できず、尤も学生の身分ではレガシィもインプレッサWRXも高嶺の花。
実車が買えない代わりに、ゲーム(グランツーリスモ)でスバル車を買い漁るのでした。



たしか就職活動で都内を歩き回っていた時、立ち寄った西新宿のスバルビルのショールームで貰ったカタログです。
BGではなく、BDというのがマイナー志向の自分っぽい(笑)

ピュアホワイト(51E)のRS、まさにグランツーリスモでの愛車でした。
実車を手に入れることはありませんでしたが、今でも欲しい1台です。



この頃はKENWOOD推しでした。この後はMacintosh、Harman/Kardonと変遷していきます。



カシミヤイエローのRS、後に欲しくて探すことになります。
今思えば、もっと気合を入れて探せば、見つかったかもしれません。



20歳ころの写真です。
前述のY君とは別の同級生F君が、先行予約で購入したフォレスター(SF5)です。
スバルディーラーに就職が決まり、ちょうどその頃スバルから新車が出るというので買ったのがこのフォレスターでした。
ずいぶんと汚れていますが、まだ納車から数週間、慣らしで訪れた長野の林道での1枚。
グレードはS/tbで、ミッションはMT。その加速性能にはぶったまげて、自分もいつかはターボ車を買うぞと、誓ったのでした。
79馬力しかないマーチに乗っていた自分には、フォレスターとはいえども、刺激が強かったのかも(笑)

そのフォレスターですが、僅か半年ほどでお役御免となり、次は王道レガシィに買い替えます。
17インチタイヤ+ビルシュタインダンパーのGT-Bを買うと思いきや、彼が選んだのは250TというNA 2500ccの渋いグレードでした。



このレガシィにもちょっとした思い出があります。
たしか1998年の1月頃だったか、関東が大雪に見舞われることがありました。
今でこそスタッドレスを履いていますが、あの頃は自分のクルマでスキーへ出かけることはあまり無く、スタッドレスは勿論のこと、チェーンも持っていませんでした。
生意気にも通学にクルマを使ってまして、八王子から横浜での帰り道で、雨が次第に雪へと変わり、家まで10キロぐらいのところで道に積もり始めてきました。
何とか家までたどり着いたものの、借りていた月極駐車場の入口でスタックし、二進も三進も行かなくなり、PHS(懐かしいですね)でF君に助けを求めます。

スタッドレスを履いたレガシィは、水を得た魚の如く、スタックしているクルマを横目にスイスイと走る姿に、またまたヤラれてしまうことに。
雪道=四駆=スバルという構図がまさに出来上がった瞬間で、この経験から1年半後に念願のスバル車がやって来るのでした。

90年代のスバル車は人気が出てきたとはいえ、まだ一般的とは言えず、マニアックな部分がクルマ好きの琴線に触れたのかもしれません。
あの頃はガソリンが安く、燃費についてあまり気にしなかったというのも、スバル選択の後押しになりました。
スバル車が並の燃費性能を手に入れるのは、2000年代以降の話であり、リッター5~6Kmというのは当たり前。ターボだけではなく、NAでも似たような数値でした。

さて、次からいよいよ5台の愛車遍歴を綴っていこうと思います。
Posted at 2019/06/09 22:41:19 | コメント(8) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ

プロフィール

「やるじゃん・・・ http://cvw.jp/b/127580/48605547/
何シテル?   08/17 12:51
1999年5月、スバルオート横浜(現神奈川スバル)金沢営業所でレガシィB4 RSKを契約。 何度も他社に乗り換えようと思いましたが、結局はスバルに落ち着き...

ハイタッチ!drive

みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10 111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

愛車一覧

スバル インプレッサ(ハッチバック) スバル インプレッサ(ハッチバック)
2023年9月30日契約、2023年12月24日納車。 15年ぶりに"G系"に戻ってき ...
スバル レヴォーグ スバル レヴォーグ
A型からE型へ レヴォーグ"おかわり"です♪
スバル レヴォーグ スバル レヴォーグ
2014年7月5日契約。 2014年9月28日納車。 まさかこんなに早く買うことになる ...
スバル エクシーガ スバル エクシーガ
生活環境の変化(結婚)により買い替えを余儀なくされ、インプレッサWRX(GDAF)から買 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation