ここ最近はカングーばかりでしたので、今回はハチロクのお話です。
あ、ドライビングのお話ですかね。
18歳でミラターボTR-XXに乗り、FF車のダウンヒルでFドリマスターしまして(低次元)、友達には直角の○ちゃんと言われ(ノーブレーキから一瞬ブレーキ踏んで、おりゃ~ってハンドル抉って曲げて、リアタイヤ流して~と、多い時は週3山に行ってました。
そんなこんなで、インチキブーストアップ仕様でしたから、4万キロでタービンブロー。
で、ミラの遅さに嫌気差して、バラードスポーツからCR-X(EF7)に乗り換えた親友に続いて、自分も同じサイバーCR-Xこ購入。
この時下取り車としていたミラ。これで最後のドライブと称し友達と山中湖へ。でヘビーウェットでR246の丹沢湖から御殿場区間のトンネル出た場所で、いきなりスピン。当時2車線区間で(今は1車線)、怖いもの知らずの自分は、ぬふわkmとウェットではありえない速度でした。しかも後日タイヤ確認したディーラーの方にタイヤの山無いよと言われました。
(この時から車両整備って物を、自動車業界の親友からしっかりと教えてもらいました)
納車されたCR-Xですが、これは速かったですね。タックインが物凄く、下りで急なアクセルオフは危険が一杯な車でした。しかし、勝気な私は負けないと自負して、チーム内でタイムトライアルもどきで、峠で区間タイム計測していましたから、多い時は週4も峠走っていた記憶があります。
しかし、若気の至りは決して順風満帆な訳はなく・・
親友とタイムトライアル中、先頭の親友が区間の終了目印手前の目印手前で、何を思ったか急ブレーキ。車間距離ないのでこちらもフルブレーキ。でそこのトップスピードはぬうわkm。おまけに緩いGが掛かる場所。
で、先のタックインを思い出して欲しいです。そうですガッシャーンとガードレールにぶつかり、反動で1回転。対向車居なかったのが不幸中の幸いでした。
こうして、峠は辞めようと決意した瞬間でした。
CR-Xのローンが残り30回(36回均等払い)あるというのに、修理費当時120万円強。車両保険入ってなかったので、更に自腹で修理。そしてジムカーナの県シリーズ(JMRC戦)追いかける事になります。
当時AⅡクラスといって、ホンダ車はAⅠの(GA1・GA2)、AⅡの(EF7)後にEF8という最強ユニットブチ込んだVテックエンジン搭載車の登場により、殆どのエントラントが乗り換えたものです。ジムカーナにはピッタリの車だから、ホンダ車の独占場でしたね~
しかし、ここでも順風満帆な訳なく、親友に秘密の場所で運転させてあげたら、FF車のLSDバキバキ仕様に慣れていないせいで、巻き込んで車が終了となってしまいました。
(FF車のデフ入りは、アクセルオンでグイグイ引っ張っていきますので、セルフステアなんてないので、自分でハンドル戻す意識持たないと、危険です。カウンターも一瞬で終わらせ、アクセルオフもまた危険です。FFのLSD入りは進行方向へぶっ飛んでいくので、ハンドルの向きに注意が必要です。
これで、一端車人生からジェットスキーレースを8年位追いかけました。
ジェットスキーも辞めてステップワゴンだけで過ごしていましたが、そんな生活耐えられなくシビックタイプR購入。でまたまたシビックの楽しさに負けて、宮ケ瀬へ。ここで速いアルテッツアの方と少し仲良くさせて頂き、深夜から・・(完全に病気)
で、ノーマルクワイフデフ、ディレッツアのノーマルタイヤが喰わないので、いよいよサーキットデビュー(本当の意味でスピードレンジ的に峠は危ないと感じたので)
初サーキットは日光サーキット。改修工事前で、良くしてもらっていたダートラ屋さんの方に、初めてなら45秒入れないとねと言われ、結果は46秒前半。ケチョンケチョンに言われましたね。この頃から周りの方は、車一筋の方が増えていきました。
で、ホンダディーラーの当時工場長とも仲良くして頂いて、初筑波サーキット2000デビュー。
9秒切れれば良いと聞いていて、なんとか8秒6で終えました。
この後、一般道で自分の不注意でシビックは泣く泣く売却。富士の本コースをホームコースにしようとした矢先でした。因みに富士ショートは36秒8だったような。
そして、凝りもせず購入したカローラレビン。当時お世話になって居たショップの方々に、ハチロクは壊れるよ。お金掛かるよと言われました。元来FRの方が好きでしたし、憧れもあったので、ハチロクを迎え入れる事にしました。
4AG4バルブのフルチューン、クロスミッション入りでしたが、慣らし中から異変を感じていました。
販売してくれたお店と、エンジンチューンしたお店が違う事もあり、意思疎通が出来なくて、結局フルパワー味わったのが、富士ショート数回だけでした。
この後不調のまま乗っていました。(後日サークリップ再使用したことによる、サークリップが折れ、このサークリップがシリンダーをかじった痕跡発見しました)
ハチロクの調子良かったり悪かったり繰り返していた時に、富士ショートでドライビングレッスンがありまして参加しました。、プロは錚々たる先生方が座学→走行→外からチェック→無線で支持あり→座学→走行の繰り返し。1枠はプロが自分の車運転してくれます。私の車は黒澤琢弥プロが運転してくれました。景山正彦プロも他の人の運転してました。座学は関谷正徳監督(先生)です。
以前はジムカーナやっていましたので、ドライビングのポジションは、シートを起こし気味でハンドルさばき優先にしていましたが、関谷監督に座学時以外の時間に個別で質問したり。レーシングドライバーはシート面を大きく身体に密着させて、車のGをすごく大事に感じているようで、即翌日にはドライビングポジション変更しました。
これは一番効果あったかも知れませんね。車の動きがゆったりに感じます。
あ、黒澤先生の同乗走行で、パッと乗って2名乗車でたった数週で37秒前半入れてました。そしてハチロク懐かしいとしみじみ話しておられました。(車的に当時は絶好調ではないのでこのタイムです)
プロから教わり、車は物理以外の何物でもない。気合いや根性で運転するなんてもってのほか。
車からのインフォメーションは大事に汲み取る。常に周りを確認する。
若い頃の無茶を間違えと判断でき、理論的に運転というものを理解出来た大事なドライビングレッスン参加体験でした。
この教わった事は、今でも大いに役に立っています。
今は変速ポイントはプロと違います。
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Posted at
2017/06/10 05:49:17