みん友さんのタイトル見て、なんか自分も過去のお話書いてみたいと思いました。
今の時代では考えれれないくらいに、格差も少ないバブル時代のお話です。
若い頃長年付き合った彼女に振られ、当時ジムカーナ(JAF県シリーズ)追っかけていましたが、友達に車貸して事故して廃車。おまけにスキーでコブ斜面で転んで、5針縫う怪我を立て続けに1週間で経験しました。
写真のジェットスキー(カワサキの登録商標)をやり始めたのは、先の経験もありましたし貯金も300万くらい貯めていました(結婚話上がっていた)
程なくして友人のお父様が他界されて、お通夜の会場で高校時代の友人とばったり再開しました。
この友人、石垣島でダイビングのインストラクターやっているそうで、フラれた事からの経緯話したところ「ジェットスキーやりなよ」「モテモテだぞー」、「マジ凄いから」
マジ凄いってなんだろう~
フラれたばかりだし、男ならば、いや女性も含め、このモテモテって言葉の誘惑には弱いと思います。
それから、即行で4級船舶操縦士免許取りに茅ヶ崎のダイビングショップへ行きました。
そして、貯金をなし崩しのように使いまくり、JS550SXを購入。
で、買ったら練習練習に明け暮れました。そして南関東シリーズのレースを仲間達と追っかけました。
この船体、軽く100kgはあります。これを車から船へと運ばなければなりません。なので決して1人でレース出来るものではありません。レースもチームエントリー必須でしたし。
しかし、比較的体重重い自分には、このJS550SX(39ps・重さ114kg)は、深く倒しこんでから、立ち上がりで、船が安定する角度に戻る時間がかかりいまいち好きになりませんでした。そんな時、新しくカワサキのJS750SX(60ps・重さ144kg)が発売されました。速攻で買い替えです。
そして、スキーリミテッドクラスにエントリー。これはエンジンヘッドとキャブレターの交換はOKのレギュレーションでした。
船は速くなり、立ち上がりも安定して、優勝とかはありませんでしたが、結構シリーズポイント確保出来たので、全日本B級スキーモディファイクラスに昇格出来ました。(モディファイクラスはボアかストロークアップして785ccまでOKだった)。
しかし、色々問題発生致しました。それは、ジェットスキー屋と言われていた方に、チューニングお願いしていましたが、如何せん、ヘッド加工、交換くらいで20万円くらい支払った覚えがあります。そして、ヘッド交換2回で40万とか・・
ジェットスキーレース人気も上がってきた当時ですから、怪しいボッタくりみたいな方もいたようです。
そして、これじゃ敵わんって思っていたところ、練習場所で仲間どんどん増えるので、仲良くなった友達に「うちのチーム来ちゃいなよ」と誘ってもらいました。
それまでは、馬入川(相模川河口)や江の島がホームゲレンデでした。
しかし、友達に誘われたチームは利根川(我孫子)でした。だけど、小さなバイク屋さんの社長が一応監督なのですが、ウイスキーの白角持って行くと上機嫌で、色々教えて頂きました。
それはズバリエンジンの組み方です。2ストロークの2気筒にツインキャブ(三国)、カーボンリードバルブ、ポート研磨、社長お手製スペシャルチャンバー、MSD(点火システム)、これらに、ジェットスキーには推進量得るポンプ室の中に、プロペラありまして、そのプロペラの角度違いをテストしたり・・
本当に本当にお世話になりました。年間エンジン3基壊したり、お金も沢山使いましたが、ただただ感謝しかありませんね。
後に、この社長、「このパーツ持って行っちゃいなよー」「チームスーツ作ったから持って行きな」、持っていきな~が酔いながら口癖でした。そして友達と酔っていて気づいてないとパーツ使い、エンジン組んでしまうが、年末に社長がしっかりノートに誰々いくら¥~で、書き込んであり、しっかり請求されたのは笑い話になりましたね。
レースは全日本A級目指しましたが、A級は枠が40~50人くらいだったと記憶しています。
自分は不甲斐なくB級41番までが最高位でしたが、当時Bスキーモディフャイクラスは、170艇以上参戦していました。まさしく激戦区。
スタートラインに横一線に12艇並んで、仲間がジェットスキーの後部を持ち上げます。でエンジン吹かして、ポンプ室の水抜きます。この時、水しぶきが凄いです。
スターターの人が合図すると全艇一斉にポンプ室を深く沈めます。この時ライダーはアクセル開けていきます。仲間はボートが推進力で前に行ってしまいうのを、力の限り抑え込むのです。
で、スタートラインのゴムが切れると一斉にスタート。
モディファイクラスで、当時トップスピード86キロくらいでした。それが一斉にスタートと、海の波が入り混じって、引き波で凄い事ななります。
コースは赤いブイが左ターン、黄色のブイが右ターン。1周800メートルくらいを8周だか10周した記憶あります。それはそれは体力消耗凄いです。
後、競艇もそうですが、ジェットスキーのシングル(1人乗り)は特に身体の小さい人の方が有利ですね。
最後に、貯金もせずにこんな事やって来ましたが、後悔のない人生だったと言いたいですからね。
今は、ジェットスキーのレース人口も少ないと聞きます。当時はハチロクレースやシビックレースも盛んでしたからね。勿論バイクのレースも。
もう、輝ける日本は来ないのかも知れません。今の若い人達が気の毒に感じてしまいますね。
Pro Ski - 2002 IJSBA National Tour Rd. 3 - YouTube
(お時間ある方は見て下さい。迫力凄いですよ)
こんな、感傷に浸ったブログ最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
(写真はJJSFの連盟のカレンダーになった時の物です。。A級のチャンピオンでもなく自分がなったのは、たった一つの自慢です)
モテモテは何処いったぁ~?