生まれてから2年を過ぎた頃から、既に私は“クルマ”に
興味を持っていた、というより大好きだった。しかし当時は
都心に住んでいた事もあり、クルマを長く維持出来る環境
では無かった。確か車庫証明が必要となった車庫法が施行
された年と前後していたように思う。故に、しんげん家の初代マイカーであった、T4#/5#型の、3代目
トヨペット・コロナは、あっと言う間にその姿を消し、その後は長らく“ノンカー時代”となっていた。勿
論、だからこそ私のクルマに対する思いは強まり、常にクルマが有る生活を夢見続けていた。しかし
そんな私の懇願など何処吹く風とばかりに、親父はクルマを買おうとはしなかった・・・。
そして更に月日は流れ、既に親の力を借りずとも、自らの愛車遍歴は自動車評論家並みの数量
を誇るまでに積み重ねていた。逆に親父は、そろそろ運転免許証返納するべき歳を迎えていた。
そんな或る日、突然親父が私に言った。
「おい!どっか、クルマ屋を紹介しろ!」 と・・・。
訝しがる私に更に言った。
「〇〇の△△が良いのだが、新車でいくら位するのか?」
と聞いて来た。それは某国産メーカーの中型サルーンの名前だった。あまりにもイキナリの事で暫
く“口あんぐり”の状態だったが、兎に角、車種を決める前に、何故クルマが必要なのかという事と、
その目的用途を聞かずにはいられなかった。すると・・・。
「コンを乗せて、遠くの公園まで散歩に行きたいから」
との回答を得た。私は更に口あんぐりした。
「大事なはずの一人息子の長年の懇願を無視してまで、頑なに車の所持を拒んで来た
親父が、たった1匹のワンコの為に老体に鞭を打ち、車を購入しようとは!!」
嬉しいやら悲しいやら、私の心は複雑に揺れていた。
まあ兎に角、親父から私に対して頼みごとをする等、今まで殆ど無かったので、ココは山ほど有っ
た言いたい事をグッと堪え協力する事にした。が、やはり最初から喧嘩になったのは致し方ない…。
上でも言ったが、親父の要望は、中型サルーンで“新車”が絶対!という事だった。そもそものク
ルマの使用用途と、親父の運転技術を全く信用していない私からみれば、そのクルマ選択は無謀の
一言で却下するべき類のモノだった。まず、サイズからして、犬の為だけのクルマとしては無駄に大
きく、しかし逆にその室内は、大型犬には狭過ぎると来ている。それに、決して広いとは言えない我
が家の駐車スペースに、あのサイズの車をスムーズに、また、ぶつけずに頻繁に出入りさせる事が
出来るとも思わない。故に、私はコンパクトカー、若しくは、軽自動車の“中古”を勧めた。しかしソレ
に対する返答は、「頑として拒否!」であった…。
親父には潔癖症な部分が有り、更に軽自動車に対しては露骨に見下している節が感じられた。
そのような態度をとってはいたが、彼が車に乗っていた頃の社会環境故の態度であるという事は
理解出来たので、ココは強引に行かずに、搦め手で行く事にした。
「新車・中古車、セダン・軽自動車、買う・買わない、は置いといて
とにかく今のクルマがどういうモノかだけでも観に行こう!」
と言った。と、これには流石の親父殿も反論を見い出す事が出来なかった様で、渋々という態度
ではあったが、私と一緒にクルマ屋巡りに行く事になった・・・。
足が弱った親父を余り歩かせる事も無く、少しでも多くのクルマを見せようと、日本でも最大級の
中古車販売店へ向かった。ココは常時数千台のクルマをストックしている店で、何を隠そう、私が
最初に自腹で購入したプレリュードもココだった。当時はこんなにデカくなるとは思わなかったが…。
ま、今日は兎に角、親父に今のクルマがどの様なモノかだけでも知って貰いたいという事でココ
に来たのだ…。
ポルシェに親父とお袋を乗せて店の来客用エリアにクルマを停め、この地に降り立った親父は、
まず、広大な駐車スペースを埋め尽くすクルマの海に度肝を抜かれていた。更に展示してあるクル
マは、どれも中古車とは思えない程、ピカピカに磨かれていた。勿論室内も綺麗にされている。現
在では当たり前の事だが、親父がクルマに乗っていた頃は、こんな事アリエなかったのだろう!
彼の中で、軽いカルチャーショックが湧き起こっているのが手に取るように分かった。故にあんな
に強気だった親父が、
「お前が良いと思うの、適当に見繕ってくれ!」
と、イキナリ贔屓の鮨屋で注文する様に、私に丸投げして来た!(苦笑) そこで、ここぞとばかりに、
軽自動車のみを2~3台見繕った。
すると、また頑なに軽自動車は嫌だと言い出した。
「ま、別に買えとは言わないから、取り敢えず乗るだけは乗ってみようよ!どうせタダだし!」 と、
今まで黙っていた御袋がそう諭すに至って、ようやく選んだ3台の内の一つに試乗する事が出来た。
走り出してすぐに、親父の顔つきが変わった。昔乗っていたコロナの半分以下の排気量で、しかし
パワーはそれほど変わらず、しかもAT(3速だが)と来ているのだから、ここでも彼の中で、軽いカル
チャーショックが湧き起こっているのが手に取るように分かった。
「これ、中古車なのか?」
「そうだよ、しかも四駆だし…」
「コレ、四輪駆動なのか!?」
「そうだよ、ま、ちょっとパワーが無いけど、最近の軽自動車も、結構イイでしょ!」
それからダンマリと押し黙ってしまった親父は、次のクルマへ乗ろうと誘う私に対し、ひとこと言った。
「おい! 今のクルマ買う!」
「は?」
「もう、コレでイイよ!」
「へ?」
「お前が良いと思ったんだろ!」
「そりゃ言ったけど、他にも色々有るし、この車種の新車は、
今年からモデルチェンジして新型になるし…」
「もういいよ…、これで…」
私は久しぶりに親父殿に対し、“口あんぐり” をした…。
それから数十分後、いつの間にかキャッシュを懐に忍ばせていた親父は、商談していたテーブル
の上に、得意げに札束を放るように置くと、サッサとその場でこのクルマを購入してしまった。
そして、約半世紀ぶりに、しんげん家に親父の愛車が加わった…。
買ってみれば、やはり犬用としては最高とも言える程、使い勝手の良いクルマであった為、最初の
頃は毎日の様に嬉々として乗っていた。が、流石に寄る年波には勝てず、犬の散歩と同じくクルマに
乗る事も減っていった。逆に私はこのクルマの使い勝手の良さからほぼ毎日乗るようになっていた。
終盤は、家と病院で交互に生活するようになった親父に代わり、実質共に私がこのクルマの管理
をやっていた…。
そして、或る日。既に病院で寝たきりになっていた親父に、このクルマを売って、もう少し大きい
クルマに買い替えたいと言ったら、今度は一言も文句を言わずに、すんなりと許可してくれた・・・。
それから数日後、このクルマを売った日、その主である親父も、この世からいなくなった・・・。
世界中に在るクルマの中のたった一台にも、そんな≪ストーリー≫が仕舞ってある・・・。
でわでわ・・・