そろそろ陽が上がる頃になると、首都高の流れは極端
に悪くなってくる。もう後1~2時間もすれば、激しい渋滞
に見舞われるだろう。そんな狭間の首都高上にフィットは
居た。車内は私とまゆの二人だけの空間ではあったが、
会話が弾む事は無く、ただ暫く二人共、前方から流れて来る明け方の都心の景色を眺めていた…。
まゆを救出した後、取り敢えず車内に有る人が着られる様な布切れと履物等を探してまゆに与え
更に常備しているキャンプ道具の中からアルミホイルを取り出し、それを何枚かに引き千切りセン
ターコンソールボックスの中へ入れた。そしてその中にまゆの携帯を入れさせ蓋を閉めると、ようや
く一息つける事が出来た。が、当然車内は重苦しい空気のままであり、私も彼女の気持ちを慮って
中々話し掛ける事が出来なかった。まゆは泣く事は無かったが、その顔は徐々に放心状態へと変
わって行った。しかし、事がコトなだけに、急を要する事態でもあるので心苦しい気持ちはあったが
ココは切り換えて色々聞く事にした…。
まゆは一旦私の目を見ると、途端に顔が歪みだしながらも、ポツリポツリと質問に答え始めた。
それによると、まゆと現在のカレシである“疎のツレ”(今後この名称で呼ぶ事にする)に大きな諍い
が起こったのは、一昨日の晩という事であった。
予め決めていたまゆの母親との温泉旅行の日を、“疎のツレ”がうっかり忘れていたようで、その
日にまゆを自分の友達の家へと連れ出そうとした事から始まった。まゆがその日は母と温泉旅行
に行くからと断ったのだが、恐らく忘れていた事の恥ずかしさも手伝ってか、所謂“逆ギレ”を発動し
その温泉旅行の方を中止して、今すぐ自分と一緒に出掛けると言い張った。普段は大抵の事を聞
いていた彼女も、久しぶりに母親と一緒の旅行だからと、かなり前から決めて楽しみにしていた事
もあり、こればかりは譲れないと珍しく反抗した。
それに対する“疎のツレ”の返答は、鉄拳であった…。
しばらく殴る蹴るの暴力という “楔” を、まゆの体中に打ち込むと、まゆは抵抗する意志がなくなり
ぐったりとその場に倒れた。その倒れたまゆの身体を尚も蹴り続けていた“疎のツレ”は、未だ怒りの
収まらない口調で、
「俺が行くって言ったら、お前は黙って付いてくりゃいいんだよ! それに…」
ここぞとばかりに“疎のツレ”が鬱憤を晴らす様に、怒号を続けた。
「それに、あのクソイヌを本当は何処にやったんだよ!!
友達友達って、何処のどいつにだよ! 男じゃねぇだろうな!!」
と怒鳴ると、自分の言葉に更に興奮したか、未だ床に倒れたままのまゆの髪を掴み上げ、そのまま
寝室へと引っ張って行った…。
その後、強引に露出の激しい服に着替えさせられると、某繁華街で怪しい飲食店を経営している
“疎のツレ”の仲間の所に連れて行かれ、ソコで再び服を剥ぎ取られ、今度はその仲間達の前で凌
辱を受けたのち、そのままこの店に監禁されていたとの事。そして隙を見て、携帯と僅かに残ってい
た服の切れ端を身に包み、ようやく店外へと脱出出来たという事だった…。
一通り話を終えると、まゆはまた黙って俯いてしまった。
「という事は、少なからず俺にも原因があったという事か…」
口には出さない筈の独り言であったが、意に反してまゆの耳に聞こえてしまった。
「ううん! コン兄ィは全然関係ないよ! 全然関係ない!!」
慌てた様にガバッと顔を上げ、まゆがそう言った。
「ま、それはイイとして…」
私は具体的な質問に切り替えた。
「なんですぐに警察に連絡しなかったんだ?」
「だって、DVって、警察は動いてくれないんでしょ?」
「程度による!しかしこれは、れっきとした暴行傷害事件だ! それに…」
「それに?」
「お前の “疎のツレ”、どうも日本人じゃない様だ…」
「…そう…なの?」
彼女の瞳が僅かながら見開いた。
今まで聞いて来た彼女の話や、携帯に有った“疎のツレ”の画像を見るにつけ、私の中で或る確信
めいたモノが湧き上がって来ていた。ま、それは後々の事として、取り敢えず今はしなければならな
い事を優先した。
「但し、官憲が動き易い様に、コチラも予め準備をした方がいい事もある!」
「準備って?」
「暴行による怪我の診断書を作って官憲に提出する事だよ…」
実は、まゆからのSOSを受けると同時に、官憲への提出用診断書を出してくれる、しかも今まゆが
居る近辺の病院を調べていたのだ。
そして十数分後、その調べた病院のHP画像と全く同じ姿が目の前に迫って来た…。
数十分後、事情を聴いた当直医と看護婦は、寧ろ親身になって手当てをし、彼女の為に診断書
を作成してくれた。更には、知り合いの官憲にも連絡を入れてくれるという。私は礼を言い、しかし、
官憲への連絡はもう少し待って欲しいと頼んだ。担当医は私と彼女を見比べると、少し考える素振
りをして、
「分かりました。では診断書の中に、紹介状を一緒に入れておきますね」
そう言って、診断書の入った大きな封筒を手渡した…。
「まあ、掻い摘んで言えば、全身の打撲と火傷と擦過傷で、全治2ヶ月の怪我だとさ!」
クルマに戻った私は、早速、診断書に書かれている内容をつぶさに見ながら、そうまゆに言った。
まゆは申し訳なさそうにまた俯いたが、その顔には少し生気が戻って来ていた。車内にも、少し余
裕が生まれ始めたのが感じられた。すると、今度は私が持っていた疑問が湧き起こって来た。それ
は一気に膨れ上がり喉から零れそうになった。なんとか我慢してそれを飲み込んだが、やはりとい
うか、私はどうしても言わずにはいられなくなった。
「しっかし、お前さん、本当に…、男を見る目が…、無いな…」
「………」
まゆの身体がより一層縮こまった。
「大体、こんな事、確かこれが初めてじゃないだろう」
実は今の“疎のツレ”以外にも、彼女はDVを受けていた経験があった。勿論、私では無いが、今迄
何人かと付き合った男との最後は、拗れに拗れ泥沼化して別れるのが彼女の恋愛の常だった。
故に、
「イイ加減、学習しろよ!」
と言いたくなるのはやむを得ない事であろう。なので今度はしばらく、私の溜まっていた感情が色々
と噴出し始めてしまった。
私の投げかける語句一つ一つに反省の表情を浮かべ、後悔しきりのまゆではあったが、私の言葉
が途切れるのを待っていたかの様に、チラリと私を一瞥し、鷹揚の無い口調で淡々と話し出した。
「でも、そんな男を見る目が無い私が選んだ人の中に…」
「中に?」
一転、悪戯っ子が悪戯を成功させた時の様な笑顔を私に向けながら、まゆは誇らしげに続けた。
「コン兄ィも入っていたという事を、お忘れなく!!」
一瞬の沈黙の後、久しぶりにフィットの車内に笑い声が木霊した。やはりどんな時であれ、笑う事は
良い事だろうと、彼女の笑顔を見ながらそう思った。 だが同時に笑顔の裏で、まゆのその言葉は、
ブーメランとなって私の胸を突き刺していた…。
それから数十分後、彼女が暴行された場所の最寄りにある警察署へと向かい、正式に被害届を
出す事にした。 しかしそれは同時に、“疎のツレ” との決別をも意味する行動であった。心なしか、
警察署に近づくにつれ、彼女の表情も重く沈んで行くのを感じた。
到着後、しばらくは車内から動かなかった。ココから先は彼女の意志と行動のみでしか進む事が
出来無い。私はあくまでも第三者の、せいぜい親切なオッサンという立場でしかないからだ…。
数分後、どちらからともなく、
「じゃ、行こうか…」
と言った。二人はフットから出てドアを閉めた。まゆの胸には大きな封筒が抱き締められていた。
私は警察署の扉を開け、そして振り向いた。
「本当に…、イイんだな…」
「う…、う…ん…、うん!」
泣き笑いの表情を懸命に堪えながら、まゆは頷いた。
私は、まゆのそんな仕草が好きだった…。
つづく
※尚、東サロ・コンパニャー・シリーズは、愛車紹介ポルシェ911 の
フォトギャラリー内の → “
ココ” に アップしていますので、どうぞご覧下さい!