
ダイムラー・クライスラー社はつい最近クライスラーと離別して新しい会社名「ダイムラーAG」が誕生した。早い話が、10年前に結婚した相手と離婚して元の名前に戻ったのだ。いずれにしても新しい名前となった同社の会長D.チェッツェは10年前はAクラスのチーフエンジニア。
彼と最初にであったのは1996年ベルギーの首都ブラッセ
ルで行われた新型Aクラスの試乗会だ。
初代Aクラスのコンセプトは全長3.6メートルという超コンパクトなパッケージ。その開発の裏側にはいったいどんな苦労があったのか。チェッツ氏は衝突安全性能が難しかったと述べていた。いままでメルセデスが安全なのはクルマが大きかったからで、相手を潰すことでメルセデスに乗る乗員が助かっていた。当時のダイムラー・ベンツ社の安全技術を統括していたインゴ・カリーナ氏は相手の被害がベンツの乗員よりも悪いことに気がついたのである。そこで考案されたコンセプトがコンパティビリティ。大きなクルマはエネルギー吸収できる柔らかいボディ構造、コンパクトカーは硬いボデ構造を持つことで双方の乗員が助かる~という思想だ。
この年、Aクラスがスウェーデンの自動車雑誌のテストで横転しやすいと批判され、最終的に2千台以上のAクラスがリコールとなった。衝突安全のためにフロアを高く設計したことが仇となったが、ちょっと背の高いFF車をメルセデスともあろうメーカーが安全に設計できなかったことに驚いた。いったい何が社内で起きていたのだろうか。
しかし、メルセデスはただでは起き上がらなかった。ユルゲン・フベルト社長はオプションののESPを標準で採用することで危機を乗り切った。ユーザーは「ただでESPがついた」と喜んだという。この事件はESPが横転防止にも効果があることを証明した。
世界の自動車メーカーが400万台クラブを目指したのも、この頃。1997年は大西洋を挟んだ大合併が行われた。全米第三位の自動車メーカーのクライスラー社とダイムラー・ベンツ社が合併したのだ。燃料電池車など膨大な研究投資が企業の合掌連合を誘った。当時はVWもフォードもライバル会社を買いまくっていた。
偶然にも災難は降りかかるもの。パリ市内でダイアナ妃が謎の交通事故で亡くなった。ダイアナ妃はメルセデスSクラスの後席に乗っていたので、ダイムラーの安全担当役員は信じられないという顔をしていた。
1997年の出来事でもっとも重要なことは自動車に新しい仲間が加わったことだ。トヨタからハイブリッド・プリウスが誕生し、未来への扉を開けることができたし、欧州ではCO2削減の切り札としてコモンレールのディーゼルエンジンが誕生し一気に人気が高まっていった。
日本のハイブリッド、欧州のディーゼル。この二つの技術は、単に燃費が良いというだけではなく、ユーザーに新しい自動車の価値を提供している。ハイブリッドは静かで電気自動車ちっくな性能が今までの自動車にない点。欧州のディーゼルは、アウトバーンの追い越し車線を走ることができるほど、パフォーマンスも高まっていること。普及でできる環境技術は、ユーザーにとって魅力的でなければならないことを教えてくれた。
Posted at 2008/07/01 00:21:10 |
トラックバック(0) |
持続可能なモビリティ | 日記