
自動車の燃料であるガソリンの価格が最近は上がったり下がったり。これではまるでできそこないのエレベーターみたいだ。今日、世田谷のガソリンスタンドでちょっと燃費が悪い
新型ジャガーXFーSV8の燃料タンクを満タンにした。気がつくとリッター171円。とんでもなく高くなった気がしたが、考えてみればドイツやフランスではリッター200円を超えているから、日本はまだ安いかもしれない。先月訪れたサンフランシスコでもガソリン代はガロン3.6ドル。日本流に換算するとリッター100円となっている。自動車への依存度が高いアメリカ人のお財布にはとても辛い価格となっている。
ところで、最近はクルマに関する明るい話題はほとんどない。道路財源を無駄使いしたり、これ以上新しい道路は造りにくいし、高速道路ではタイヤが飛んでくるし、横断歩道では携帯メールを見ながら渡るノー天気な歩行者がいるし、そんな歩行者がクルマとぶつかっても傷害が少なくなるように、クルマのデザインを工夫したり、ボンネットをエアバックで隆起させワイパーの硬い部分に頭がぶつからないように工夫したり、クルマと対向しながら走るほうが安全だと思う自転車乗りもいるし、まあとにかく日本のクルマ社会は脳死状態に陥っている。
環境問題では日本のエネルギー使用量の約25%は運輸部門で消費されている。さらに自動車を作る時に消費されるエネルギーまで計算するとその数はもっと多いだろう。その消費されるエネルギーのほとんどは石油に依存しているのだから、自動車は「自然環境への負荷」という点では明らかに悪者である。クルマを愛するものはその事実に背を向けてはいけないだろう。
つい先日、
経済産業省の「ディーゼル乗用車の将来展望」を考える検討委員会で私が自動車の寿命は20年以上と述べると、某メーカーの技師(部長さん)は「それは言い過ぎ」と水を差した。我が家には18年目のNSXと11年目のメルセデスと、8年目のインプレッサがいるので、寿命20年説はあたりまえと思っていたし、欧米ではもっと長い寿命であると思う。しかし、この技師は自動車は消費するものと勘違いしている。もし、そのような考えでクルマを開発しているとしたら、とんでもない間違いを犯しているではないか。LCA(ライフサイクルアセスメント)で評価すると、某メーカーのエコカーはエセ・エコカーかもしれない。
しかし、クルマを単純に悪者にしても問題は解決しない。もしクルマがなかったら我々の生活はどのようなものになっているのだろうか。まるで19世紀の社会に戻ってしまったように人々は自由に移動ができなくなるはずだ。物も輸送できず、医療も食料も必要な場所に輸送できない。その結果、産業も停滞し経済は間違いなく衰退する。人が自由に移動でき、物資がスムースに輸送できる自動車社会は「豊かな生活」を支えてきた。しかし、ユーザーもあまり利便性ばかり追い求めることはできないだろう。行き過ぎると、安全と環境を両立するバランスが崩れてしまう。
日本は自動車技術は一流かもしれないが(これも疑問が残るが)、自動車の価値、自動車社会(モビリティ)の高度なマネージメントについては日本は遅れている。
フランスでは交通権(LOTI法)が保障されながら、人々の移動の自由が規定されているが、違法駐車を放置する日本では道路の再配分は不可能だし、縦割り制度ではモビリティの連係はとても期待できない。自動車か公共交通かという二者択一になってしまうだろう。
私たちが暮らす社会はこの先どうなるのだろうか。もう、政治家やメーカーには任せておけないと思うのは私だけ?
Posted at 2008/05/03 01:36:49 |
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