ひょんなことから、昔の写真を見つけてしまったのが運の尽き。ネガスリーブ帳を引っ張り出して自分の自転車の映ってるコマをスキャンしてみました。当時はCanon AE-1(←Programじゃないぞ!)と28mm/F2.8の組み合わせでした。途中で電池切れしたときは冷や汗もの。銀電池が銀の価格に左右される時価電池で高いのなんのって。大学生の懐具合を考えると半泣きになりそうでした。

『1993年夏合宿』と書かれていたネガフィルムから起こしたものです。大学2回生(関西の大学なのでn年生ではなくn回生)の8月下旬から9月頭にかけてのもので、合宿の先は信州だったはず。さて、何処って言われても思い出せないんですよねえ、困ったことに。友人の海軍少佐ならすぐに答えてくれる筈だ。
これが当時の旅の道具「またたび君3号」。FUKAYAのセミオーダーで作ったヤツですね。当時のニューサイクリングというヲタ向け自転車雑誌で強く謳われていた700Cオールテライン(CAT)を意識しました。前田サンツアーのコンポで作り、サドルはブルックスのプロフェッショナル(通称ブルプロ)の小鋲です。革サドルはお世話を欠かさなければ永久変形を繰り返して自分の尻だけのサドルができあがるんですよね。バーテープはフジトシの皮テープ。NITTO Crystalのステム。このステムは直線と曲面の作りが美しくて大好きなんですが、今は生産されていなくて残念です。今はPearlだけじゃないかな。
この装備はかなり軽装。宿を使った合宿なので着替えさえあればどうにでもなるので、着替えとお茶セットぐらいは入っていたと思います。
追記 しらびそ峠に行ったのでそこかもしれないけどしらびその峠道の情景が思いつかない_| ̄|○

こっちはフル装備。いわゆる2サイドです。4サイド(リアにもカバンを2つ)にするほど荷物はないです。というかちゃんと荷物を厳選すればこれで十分1ヶ月は余裕でイけます。サイドバッグは今はなき神田アルプスの幌布。
前に荷物があると重そうに見えますが、後ろに荷物を集めるとRRの車とおなじでケツが振られる上に、フレームがたわむので非常に乗りにくいです。前にあるとハンドルは重くなりますが、しっかりコントロールできる分、坂が格段に登りやすくなります。
これでも荷物は少ないかな。PETボトルがフレームに1本刺さってるだけ。酷いときはさらに2本追加されてました。テント、シュラフ、マット、着替え、炊事道具1式、米2キロ、水1.5キロ、SLR、、ヘッドライト、傘、ツーリングマップルとか。
写真は上高地スーパー林道。どの区間かは分かりませんね。ここでも海軍少佐ならすぐに…わからんわ。あいつ、北海道に行ってたからな。この年は天候不順だった記憶がある。8月中は晴れた日が殆どなかったはず。いつも雨だったから傘をバックホークに刺していたんだな。傘はかっこ悪いからやめれとよくつっこまれました。

当時のツーリングマップル信州甲州版。当時は信州は峠が多い特別な場所だったので中部と関東の甲信地区だけ抜き取ったものが存在していました。この地図の書き込みによると、上高地で2泊してから安房峠(当時はトンネルが工事中)をパスハントして、そのまま上高地スーパー林道に入ったようです。わたし自身の書き込みによると、安房峠は大したことないと… わたし、どんなけヘンタイなんだろう… 白骨温泉が登別の湯だったことに気付かずただで入り、その後、キャンプ場で一泊、さらに野麦峠をパスハントするという、どんなけ体力馬鹿だったんだろうと今更ながら思います。思い出した。野麦峠に登ってる途中でチェーンが切れたんですよ。峠茶屋の前でコマの余りを使ってチェーンをつなげたんですよね。で、そのままチェーンカッターを忘れて高山に向けて降りたんだわ。

これが当時のツーリングマップル。時代を感じるなあ。広げるとB5サイズで、フロントバッグのマップケースに綺麗に収まるんですよ。なので、当時自転車で旅に出ていた奴らは絶対に昭文社のこのシリーズを持っていたはず。今はどうしてるんですかね。情報量は相変わらずですが、分厚いしA4になってるし使い勝手がよくないですよね。この当時のツーリングマップルには新潟県が含まれていませんでした。関東版、甲信版、中部版、東北版の何処にもなかったのです。当時はバイクは不良が乗る乗り物って決めつけていたPTAなり日教組なり教育委員会があったりで掲載を見合わせるように圧力があったんじゃないかと邪推。
Posted at 2013/01/30 22:59:52 | |
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愛車のこと | 日記