神保町で、力いっぱいラーメン食べた黒AW家。
神保町から九段下へ、古本屋街を見学しながら歩きます。
終戦記念日も近いことから、戦争について子供たちにも考えてもらいたいので
「しょうけい館」という展示場へ。
ここは、戦争で体の一部を失った人たちが、どうやって社会復帰をしたのかを展示してある施設なのです。
あの漫画家の「水木しげる」さんも戦争で腕をなくされています。
入場無料なのですが、中での写真撮影は禁止なんです。
企画展「義肢に血が通うまで」がやっていまして、非常に貴重な資料が展示されていました。
しょうけい館でいただいたパンフレットから。
義肢は、天皇陛下からの「恩賜」という形でいただいていたそうです。
戦争が終わってからも義手、義足の方は大変苦労されたとのこと。
また、このしょうけい館の2階では、タバコ入れや眼鏡に銃弾が当たって、間一髪助かった時の当時の物や穴が空いている軍帽、ブーツが展示されています。
すぐ近くにある「昭和館」へ。
こちらも企画展が開催されてました。
空襲時の半分黒い電球、当時のポスター、バケツリレーの練習写真。
衝撃だったのが、有楽町駅前の空襲写真。
今ではビルが立ち並び、大都会となっていますが、その写真には大勢の人が有楽町の駅前で亡くなって横たわっていました。
あの駅前でも、あんな惨劇があったとは、、、、
西新宿にある「平和祈念展示資料館」へ。
私もここは、今回が初めて。
シベリアに抑留された方の貴重な資料が展示されています。
なかでも、漫画家の故 斉藤 邦雄さんのインタビューと自身で描かれた漫画が印象に残りました。
満州でロシア兵に武装解除され、日本に送還されるとウソを言われてシベリアに強制収用された話。
収容先での過酷な労働と、ほんの少ししか配給されない食糧。
食料の分配には、間違えたら仲間から殺されるかもしれない、という恐怖がつきまとったといいます。
また、極寒のシベリアでの作業なのに、空腹のため防寒着の両袖を食料と交換してしまい、チョッキのようになってしまった防寒着も展示されていました。
朝、目が覚めると隣の人が起きてこない。
そのまま亡くなっていることもあったそうです。
極寒のシベリアでは、土が凍ってしまい、埋葬できず、そのまま雪の中に埋めたこともあったそうです。
3年間、シベリアで生き抜いて、日本に帰ってこれて、群馬の実家まで帰った日のことですが、
父親と妹が、家から12km歩いて、親戚から借りたリアカーで迎えに来ていたそうです。
「シベリアで足を悪くしているかもしれない」
と思ったとのことです。
極寒のシベリアですから凍傷の危険があったからでしょうね。
帰りは斉藤さんがリアカーを引き、泣いている父親を乗せて、妹と一緒に帰ったそうです。
斉藤さん「戦争は絶対してはいけない」
「人生が狂ってしまう。私も好きな人がいたが、戦争で引き離されてしまった」
「これからはあなた達の時代だ。あなた達が考えて、戦争を起こさないようにしてください」
斉藤さんは昨年、亡くなったそうです。
ご冥福をお祈りします。
実は3箇所回るとスタンプラリーになっていて、参加賞をいただけるんです。
子供達は、これが欲しいので、回ったようなものですが、、、、
少しでも、戦争と平和について考えてくれればなぁと思っています。
しかし、靖国通りの街宣車はひどいなぁ。
Posted at 2014/08/16 08:14:27 | |
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