実家の仕事が早く終わりましたので、茨城県の霞ヶ浦付近にある「予科練平和記念館」に行ってみました。
実家から下道で1時間程度で着きました。
この平和記念館がある阿見町も、戦時中はかなりの空襲を受けて、大変だったそうです。
一番下のチビは隣接する公園で遊びまわり、記念館にすら入場もしません。
真ん中の子供は車の中でグーグー。
嫁さんと一番上の子も途中でいなくなるなど散々でしたが、私はいろいろと拝見させていただきました。
場内は撮影禁止のため、入口にあった土浦海軍航空隊のモニュメントをパチリ。
予科練卒業生の戦死者は1万9千人にもなるそうです。
また、航空隊とは全く異なる「特攻兵器」に志願して亡くなった方も多数いらっしゃるとのことでした。
人間魚雷回天や潜水特攻の伏竜、人間ロケットの桜花など、予科練卒業生が多数、特攻兵器として出撃されたそうです。
いろいろと説明していただいた、予科練14期生の方の言葉が今でも胸にしみます。
「伏竜は酷かった。潜水技術が乏しかったので訓練中に無くなる先輩何人もいた」
「精一杯がんぱっている人に「がんばれ」なんて簡単には言えない」
「僕たちは先輩が出撃で飛び立つのを何も言えず、ただひたすら帽子を振り回して見送っていた」
「13期の先輩たちまでが亡くなった。私は先輩たちの犠牲で今まで生きてこれた」
「戦後、私は教壇に立ったが、一度も戦争の話を生徒の前でしなかった」
「戦争の記憶を封印していたからだ」
「でもこのままではいけないと思った」
「人間は2度死ぬと言います。一度は命を落とすこと」
「二度目は人々の記憶から完全に無くなること」
「皆さんには、ぜひこの事実を記憶に留めて、予科練の先輩たちのことを忘れないでいてほしい」
本当に胸にしみました。
Posted at 2011/11/21 21:53:59 | |
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