制作している時から気になっていた「RUSH」。
やっと見ることができました。
高校生のとき「グッバイヒーロー」という昔のF1から1987年までのドキュメンタリー映画を見て、ニキ ラウダのことを知りました。
1988年の最終戦のオーストラリアGPにもマクラーレンのピットにいて、「アランプロストとマクラーレン、第一期黄金時代を築いた、、、」とアナウンスされていました。
映画が始まって、なんとあのハーベイ ポスルスウェイトが登場したことにびっくり!
若かりしころ、ヘスケスチームにいたとは!
ティレル018 019 020 022などをデザインした、レーシングデザイナー。
お金が無いなかでも、いい車を作る、いいデザイナーだったですよね。
ジャン アレジがドライブした018、019と片山右京がドライブした022は、とにかく速かったですよね。
今でも記憶に残っています。
ハーベイがデザインしたヘスケス308。
ノンスポンサーだけどかっこいいなぁ。
ジェームスハントもかっこいい。
残念ながら心筋梗塞で亡くなっています。
この前、プライベートエンジンチューナーのブライアンハートも亡くなっています。
お金無くてもいい仕事をしていた職人さんがF1からいなくなってしまうのは寂しいです。
ニキ ラウダ役の方、本当にしゃべり方やうなずき方、そっくりなんです。
映画の撮影中に、何度もニキご本人に電話して、当時のお話を聞いていたとのこと。
ニキの嫁さんもそっくりでした(笑)
また、現代F1では当たり前のことを、時代を先駆けて実施した人だったんです。
ネタばれになるので、内容はないしょということで、、、、
当時としては、かなり思い切ったことをして、自分を売り込んだんですね。
映画の中で、フェラーリ312T2やマクラーレンM23 ティレルP34の6輪車が走るシーンは圧巻です。
そのシーンだけでもゾクゾクしちゃいました。
映画の中のクライマックスが、1976年の最終戦の富士なんです。
長谷見さんがドライブした、幻のホールポジションのあのコジマ KE007も、この富士でデビューしましたよね。
全損のKE007を日本のメカニック総出で修理したという伝説、今でも有名ですよね。
フェラーリで2度ワールドチャンピオンを獲得してから、1979年に引退。
その2年後、マクラーレンで復活します。
やはり現役を引退するのと、当時でもマシンの性能向上は日進月歩でしたから、体力的にも大変だったと思います。
また、4レース中に良い成績が取れなかったら、マシンから降りる、という内容の契約書にもサインしていたとのこと。
1982年、マクラーレンはエンジンがDFVだったのにもかかわらず、ニキはロングビーチで優勝します。
1983年からは、マクラーレン初のターボエンジン、TAGポルシェにも順応し、翌年はアランプロストとタイトル争いをして、3度目のワールドチャンピオンとなります。
引退した後に復帰してワールドチャンピオンとなったのは、ニキとアランプロストぐらいじゃないでしょうか?
やっぱり「生ける伝説」なんだと思います。
この映画、ファンにはたまらない作品ですよ!
「生ける伝説」ニキ ラウダと45歳で亡くなったジェームス ハントの友情、ぜひ見てください!
Posted at 2014/02/14 00:32:11 | |
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