ポルシェブースは、今回の東モの中で、最も混雑して
いたブースの一つであった。会場の入り口から自然の
流れで歩いて来ると、最初に辿り着く場所だったという
事も言えるが、やはり今回屈指の目玉車両が展示され
ていたという事が一番大きな理由であろう。ロサンゼルスでの発表から遅れる事、約30分後に
お披露目されたという事で、実質的にワールドプレミアカーとなったそのクルマは、やはりという
か、ブースの中でも一段高い場所に鎮座していた…。
このブースの周辺は、完全にラッシュアワー並みの混雑だった。兎に角、身動きする事すら困
難な状態だった。確かに今回も、多数のスーパーカーを擁するイタリア勢が不参加だったという
事もあり、唯一のスーパースポーツカーメーカーとして君臨するその姿は、流石に神々しくさえ見
えた。そんな大混雑の人垣を掻き分け、何とか最前列に到着すると、目の前に目玉車両である
“マカン”の姿が目に飛び込んで来た…。
第一印象は、“まずまず”である。しかし遠目に見ても、思ったより小さくは無い様に感じた。
「実際に近くで見たいな…」
ブース内は、恐らく招待された客のみが入る事が許されていた。先程のアウディブースと同じだ。
ココでは私達が一般人となっている訳だ。しかし、散々悩んだ次期愛車選定は、このマカンの存
在でペンディングとなっていた。このクルマの出来次第で、最終判断を下そうと考えていたからだ。
故に本気で間近に真剣に観たかった。
「わー!すごーい! あれがマカン? カッコイイなぁー!」
すぐ隣で感嘆の声を挙げたえりかが、ふとコチラを見て言った。
「コン兄ィ、ココは入れないの?」
えりかの視線と言葉が2つの矢となり、私の胸に重く突き刺さった。
しかしそれは私にとって良い起爆剤になった。私はブースの奥にある受付に歩を進めた。
完全にセレブの集いと化していた受付周辺は、他の場所とはまったく違った雰囲気を醸し出し
ていた。しかし私は更にその人の波を掻き分けて、壁際に佇む或る人物の前に立った。それは
恰幅の良い初老の男性だった。
「はて? あなたは…どちらかで…」
「昔、お世話になった事が有ります」
「そうでしたそうでした!」
「もうずいぶん前の事ですから…」
「いえいえ、失礼しました」
「私もこのマカンを購入しようかと思って、久しぶりにブースに来てみました」
「ありがとうございます! そう言う事でしたら、どうぞ中へ
お入りになって、ゆっくりと御覧ください!」
「あら? いいんですか?」
「ええ、どうぞどうぞ!」
「じゃ、遠慮なく…」
そう言って、ポカンと口を開けているえりかの袖を引き、ブースの中へと入って行った。
「知り合い?」
彼女が私の耳元で呟いた。
「…ん、ま…、あ、ね…」
私は口を濁らせた。
「誰なの?」
今度は私の眼を見据えてえりかが言った。私は一つ息を吐くと、彼女の耳元へと口を近づけた。
「ココの社長だよ…」
途端に3つの輪っかを顔に作ったえりかをソコに置いたまま、私はマカンの方へと歩いて行った…。
私は、ポルシェのディーラーがまだ六本木の飯倉にあった頃、よくその店の前を通っていた。
学生時代、この辺りを配達エリアとしていた某ピザ屋でバイトしていた関係からだった。学生時
代はとにかく暇を持て余していた。本来なら学業に追われていた筈ではあるが、私は其の学校
そのものに余り行っていなかったからだ。しかし学校に行かないからと言って、腹が膨れる訳で
は無い。と言う訳で当時はバイトを3つ程掛け持ちしていた。一つは家庭教師であり、残る2つは
飲食関係だった。何故なら、ソコの賄いで取り敢えず食事は確保出来、またピザのデリバリーに
関しては、まだ二十歳そこらの若造が入る事等出来ない場所に入れる事が多くあったのが興味
をソソリ、また社会勉強と自分自身認識していたからだ。本当に若造はおろか、一般の人が入れ
ない所に普通にデリバリーで入って行った。場所柄、各国の大使館はおろか、アメリカ大使公邸
や、防衛庁、芸能人の自宅パーティー、某大企業の役員室、また、そのお偉いさんの愛人宅等、
それはそれは多岐に亘った。そうこうしているうちに、段々とそれら大組織の末端の連中と顔見
知りになり、その中で馬の合う連中と仲良くなり、よく天下国家を語り合ったモノである(笑) 更に
は数人の仲間と会社を立ち上げた事もあった。兎に角当時は学校へ行くよりも充分勉強になり、
また楽しい事が周りにいっぱい満ち溢れていた。そしてそのうちの一つが“ポルシェ詣”であった。
ほぼ毎日ウインドウ越しに見る911はとにかく輝いていた。スーパーカー世代のど真ん中であった
私にとって、マストのクルマと言えば、カウンタックと911であった。カウンタックが“夢”ならば、911
は“現実”であった。夢は夢のまま終わらせた方が良い場合もある。カウンタックは正にそれだった。
それに対し、現実的に本気で購入を考えた場合の頂点に立つ車が、911であった。故にショップの
前を通るのは楽しくてしょうがなかった…。
それから数年後、六本木に居を構えていたこのディーラーは、ポルシェ正規ディーラーの地位を
追われ、それに伴いショーウィンドウから911の姿が消える事になる。変わって“夢クルマ”であった
ランボルギーニがココに展示される事になったのは、皮肉としか言い様が無いない。しかし私の心
は“現実クルマ”の方へ既に大きく傾いていた。
そんな時、袂を分けたその旧ディーラーから、ポルシェジャパンの社長が誕生した。それからしば
らくして、東京某所にポルセンがオープンする事になり、そのこけら落としの催物に招待される事に
なった。既にこの時まで、私は世界中のあらゆる車に乗っていた。本当に数は乗っていたように思
う。多い年は、年間30台以上乗り継いでいた位だった。稼いだ金の90%以上は、クルマとバイクに
つぎ込んでいた。そんな時、或る副業で歳不相応の入金が有った私は、迷わず今まで乗った中で
最高と感じたクルマを手に入れようと、キャッシュを握りしめ、某ポルシェ専門ショップに向かった。
そこは正規ディーラーでは無いが、六本木時代の営業マンが勤務していた関係から贔屓にしてい
た。そこで吟味に吟味を重ねて決断した初めてのポルシェを購入した。92年式の964カレラ2だった。
まだ996が出たばかりの頃だったが、水冷には全く興味が無かった。当時、私が最高のクルマだと
断言出来たクルマが “964” であったから…。
そして家から近かった事もあったか、その営業マンのコネで、正規ディーラーであるポルセンの
こけら落としに招待されたという訳だった…。
つづく
※ 尚、東モの模様は、各愛車紹介フィットのフォトギャラリー内にアップしておりますので
どうぞ御覧下さい! 因みにPCであれば 、“
ココ” と、“
ココ” からでも御覧になれます!