随分前から気になってはいた。風の便りで運ばれて来る
彼の噂は、どれも芳しいモノでは無かったから…。
彼と知り合ったのは、もう20年以上前の事だった。どちら
かというと、いがみ合っていた様な関係だった。故に、最初
の頃は互いに距離を置き、牽制し合っているという感じの間柄だった。お互いプライドが高く、体も
丈夫で大きく、おつむの方もそれなりにではあるが悪くは無いから必然的にぶつかり易い関係と言
えた…。
彼は日本人では無い。大雑把に言えば、“欧州人”と言う分類に入る。そんな彼との仲が急速に
良くなったのは、実に単純でバカな勝負をしてからだった。
最初は腕相撲からだった。右手は彼が勝ち、左手は私が勝った。そしてゲームセンターに場を
移し、今度はパンチングマシーンでお互いの威力を競った。こちらは、左右の腕、両方で私が完勝
した。アツくなった彼は、
「じゃあ今度は、酒で勝負だ!」
と言って、急遽飲み放題が有る居酒屋に移動し、ビール、焼酎、酒、で大酒飲みを競った。流石に
ビールでは大差をつけられたが、焼酎と酒で何とかソレを挽回し、引き分けに持ち込む事に成功し
た。お互い既にボロボロではあったが、ココで私の反骨精神がムクムクと湧き上がり、
「よ~し、次は、大食いで勝負だ!」
と、彼に宣言した。これは、某武道家が昔、
「自分が苦しい時は相手も苦しい!その時に自分が先に
攻撃を仕掛ける事が出来るかで勝敗が決まる!」
という格言を実行したのだ!
その時の私の宣言を、真っ青な顔して頷いた彼の顔が未だ脳裏に浮かぶ…。
そんな事が有ってか、その後は自然とお互いの実力や性格を認め受け入れる様になると、一気
に二人の仲は親密になった。互いの人格を認め、互いの国の文化を尊重し、そうしない輩に対して
の憎悪を一致させ共有した…。
或る時、たまたま身分不相応の某クルマに彼と乗っていた時、
「ガキが! エラそうに、そんなクルマ転がしてんじゃねぇ!」
と沿道から罵声が浴びせられた。まだ血気盛んだった私は、スグに車を停めドアを開け、私に罵声
を浴びせた輩をとっちめるべく歩道へと走った。
「う! グェ!! ギャー!」
すると、私が手を出すより先に、助手席に居た彼がいつの間にか輩に襲い掛かっていた。
「ギャ!ギャ!ギャー!!」
余りに一方的に、ボコられている輩が心配になり、慌てて彼と輩の間に割って入り、いつの間にか
主役であるはずの私が、お互いを宥める役になっている事が滑稽に思え苦笑しながらも、仲裁役
に励んだ…。
また或る時は、黒人数人が、彼の国を侮辱する言葉を発して挑発して来た事が有った。当然彼は
怒り心頭の、まるで赤鬼の様な顔で相手に向かって行ったが、その時は既に、私が先に相手と一
戦を交えていた。そしてそんな私と黒人の間に割って入り、喧嘩を止めようとしたのが、他ならぬ彼
であった事も鮮明に記憶に残っている。
もっとも、この時は、更に野次馬が発した別の挑発に、今度は二人がかりで野次馬に飛び掛かっ
た、というオチも有るのだが…。
ま、そんな仲の二人であった…。
そんな偉丈夫な彼だったが、或る時から、病魔に襲われる事になる。治る見込みの無いそれは
難病だった。“ブルート”の様な体躯と立派な胸毛がトレードマークだった彼も、会う度に小さく、胸
毛も薄くなっていた…。
そんな彼ともしばらく音信不通の状態が続いたが、突然彼が直接私に連絡をして来た。
「久しぶりに、会おうぜ…」
既にこの頃、彼が歩行すら困難な状態となっている事を風の便りで聴いていた。
「分かった。俺はいつでもイイよ!」
それから数日後、昔よくツルんだ繁華街にある、酒しか置いていない様なシンプルなバーカウンター
に二人の姿が有った。どちらからともなく乾杯の仕草をし、1杯目を呷った。とはいっても、彼は既に
酒が飲めなくなっており、タブレット錠の栄養剤の粒をチビチビ齧りながら、これまた少ない水で飲
んでいた。
「俺、明日、国に帰る…」
そう彼は言った。昔はココに骨を埋めると息巻いていた彼だったが、やはり病気で気弱になって来
たのかと思い、
「お前らしくネーな! オネーチャンは、日本が一番!って、常々言ってたじゃんか!」
と、軽口を向けたが、その返答は余りにも意外なモノだった。
「もう一度…。もう一度、故郷の森の中で、一人静かに寝てみたいんだ…」
それは、余りにも真剣で真摯で、そして悲しいばかりの望郷の念に満ちていた。そして、あんなに
鬱蒼と茂っていた頭髪が、今は全て抜け落ち、まるでミイラのような容姿となっている彼を見た私
は、その言葉を継ぐ事が出来なかった。ただ一言、
「そうか…」
としか言えなかった…。
「おい、また飲み比べしないか!?」
突然彼が言った。私が訝しげな顔を向けると、
「お前は、ウィスキー。俺はミネラルウォーター! どうだ! やってみないか?」
傍から見たら、滅茶苦茶な勝負ではあるが、事ここに至って、私は、彼の想いが痛い程分かった。
彼は…、彼は、もう一度…、バカ をしたかったのだ!
「よ~し、判った! またお前を泣かしてやるよ!」
私の宣戦布告受諾を、彼は弱々しく、しかし、心から楽しそうに微笑んだ…。
当然だが、飲んでないヤツに勝てる訳も無く、先にダウンしたのは私だった。いつの間にかカウ
ンターに突っ伏し、深い沼底へと沈んで行った…。
気が付くと、彼の姿は無かった。酒臭いであろう息を一つ吐くと、ムクリと起き上がり、その場で
背伸びした。頭がクラクラする。そしてぼやけたままの焦点を怠慢な意思で少しずつ戻していくと、
カウンターに紙が置かれているのに気がついた。
「・・・。」
それはお金だった。ピッタリ割り勘された金額が置いてあった。
「最後までキッチリと…。律儀な奴だ…」
欧州人らしからぬ律儀な性格が思い出された。一瞬微笑んだ私であったが、スグに表情が険しく
なった。それが、もう二度と、私と会う事は無い…という意思表示とも取れる事に気が付いたからだ。
「貸し借りナシという事か…。最後までカッコつけやがって…」
私は、氷が解けて殆ど水の様になったグラスの残りを一気に呷り、吐き出す様に呟いた。
「お前にそんな良い役は与えねーぞ!」
私はカウンターに置かれた札を乱暴に掴むと、急いで店を出て、すぐ隣に有る怪しいネオンを寂しく
燻らす店に入った。
「これで飲める奴、全部持って来て!!」
そう言うと、握りしめていた札を更に寂れたカウンターに叩き付けると、荒々しく椅子に腰を落とした。
「俺は割り勘の金を勝手に他で散財した! これで俺は
お前に借りが出来、お前は俺に貸しを作るのだ!」
そう自分に宣言した瞬間、ふと鼻の奥が熱くなった。私は誰にも聞えない小さな声で呟いた。
「永遠にな…」
すぐにバーボンのボトルとグラスと氷が目の前に置かれた。私は、ボトルに手を伸ばし、直接その
琥珀色の液体を喉の奥へと流し込んだ。
「お嬢、坊! コン兄ィは今日酔い潰れるから、お前サン達は、早よ寝ろよ!」
そう呟くと、今度は荒々しくグラスに琥珀を注いだ…。
さらば…、友よ…。
※尚、昨年のモーターサイクルショーコンパニャー特集は、愛車紹介ビモータ
TESI 1Dのフォトギャラリー内の→ “
ココ” にありますので、どうぞご覧下さい!
でわでわ!