深夜、保土ヶ谷バイパスを走るフィットの中に、二人の
強面オッサンが居た。私と奴だ。一人で愚弟の亡骸の前
に居ても、気分が塞ぐばかりだったので、奴を家まで送る
事にしたのだ。とはいえ、車内は終わらない葬式の様に
暗く沈んでいた。ずっと無言の二人。しかし環状二号線に
入ってからは、どちらともなく、ポツリポツリと言葉を交わし始めました。勿論、コンの思い出話ばか
りでした…。
コンがまだウチに来たばかりの仔犬の時、奴と愚弟が手拭いで引っ張りっこをしていました。愚弟
は自分と同じレベルで一緒に遊んでくれる奴が大好きでした。なのでその時も全力で奴と遊んでい
ました。手拭いの端を咥え、これでもか、これでもかと、引っ張っていました。奴も童心に帰ったよう
な表情で、綱引きを楽しんでいました。その時、私は別室で寛いでいたのですが、しばらくすると奴
が血相を変えて私の部屋に飛び込んで来ました。
「おい!コンが、コンが!」
奴らしくない慌てふためきさに、一瞬ポカンとしましたが、その奴が持っている手拭いが、真っ赤に
染まっていたのに気がつき、私も何事かと奴に問いました。すると奴は私に摘まんだモノを突きつ
けました。それは、コンの犬歯でした。犬の犬歯なので、まごう事無く“本物の犬歯”という事でしょう
(笑) 私は奴に落ち着くよう言いました。それが、どういう意味なのか直ぐに解ったからです。
「コンは今、歯の生え替わりの時期だから、焦らんでもイイよ」
「でも…」
「コンは今、生え替わりで歯が痒いから、お前さんと敢えて綱引きしてたんだよ」
「ホントか?」
私は論より証拠とばかりに、足元でうろつく小さなコンを抱き上げ、口を開かせました。つい最近も
2~3本抜けていたので、その跡を見せようとしたのです。
「あ! ホントだ!」
抜けた場所から、既に次の歯の頭が見えて来ていました。それを見た奴は、ホッと胸を撫で下ろし
ていました…。
それから数日後、また奴がコンとジャレ合っていました。その時もまた、私は別室で寛いでいたの
ですが、しばらくするとコンが私の部屋に飛び込んで来ました。
「ん? どした?」
すると、何やらコンが慌てています。何かあったのかなと、奴の居る場所に向かいました。と、そこ
には、血まみれの奴が蹲っていました。
「おい! どうした!?」
すると奴は額から血を流し、鼻血を拭きながら、情けなさそうに言いました。
「コンチと、にらめっこしていたら、ふとした拍子で顔面に頭突きを喰らったんだよ…」
仔犬とはいえ、ソコは屈強な大型犬種。頭部の骨の硬さと来たらコンクリート並と言う程、身体の
基礎が違います。”頭突き”は、”鋭い牙”と並んでコンチの強烈な武器となっていたのです。
人間相手には結構な強さを誇っていた奴も、コンからリベンジの、文字通り”1発KO”を喰らって血
塗れになっていたという、微笑ましい? エピソードでした…。
そのような昔話に花が咲き始めた時、突然黒の1BOXカーがフィットの直前に割り込んで来ました。
いつもなら、もう少し前の車と車間を詰めて走行しているのですが、昔話に夢中になり、車間をかな
り開けてしまったが故の、割り込みを許したのでした。
「ま、いっか…」
と、話を戻そうと横を向いた時、突然奴が叫びました。
「ああー! やっちまったぁ――!」
慌てて前方を見ると、中央分離帯の隙間からUターンして来た原チャリライダーを撥ね飛ばし、踏み
つける瞬間の光景が私の眼に飛び込んで来ました!
「なんだ!どうした!?」
道路全体にクルマやバイクの破片が散乱していました。そしてその中に、血ダマリの中で俯せに
倒れている女性ライダーの姿もありました! 急いでフィットを脇の路地に停め、奴と二人で現場
へと向かいました。奴が警察と消防に連絡を入れ、私は他の野次馬2~3人を呼び、道路の真ん
中で倒れている女性ライダーを、そーっと歩道へと運びました。更に大きなガラス片や突起物の
有る部品等、道路に散乱しているモノを端に寄せました。その時、“頭の中がイイ気なお花畑の
様な野次馬”の一人が、
「この状態を保存する為に、勝手に現場を荒してはいけません!」
等と、したり顔で言ってましたが、私はそいつの前に行って、
「アホか!このど素人が!知ったかぶりすんじゃねえ! ココは大きな幹線道路だ!
このままにしておけば、2次被害が発生するだろうが!それに倒れた人を通行量の
激しい道の真ん中に置いたままにすんのか!」
途端に、この知ったかぶり野郎は顔を蒼ざめさせましたが、追い打ちをかける様に、周りから拍手が
沸き起こり、更に、
「そんな馬鹿に付き合うこたぁーねーよ!」
と援護射撃がアチコチから飛んできました(笑) この輩はコソコソとこの場から去り、私は改めて倒れ
た女性ライダーの元に駆け寄りました。既に救急看護に長けた人が、彼女の介護をしておりました。
その彼女に怪我人を任せ、私は奴と一緒に、事故を起こしたもう一人の当事者の元へ行きました。
彼は呆然と立ち尽くしていました。バイクを撥ねた車は、つい先程、フィットの前に割り込んで来た、
アノ黒い1BOXでした…。
警察と消防からの簡単な事情聴取を受けた後、私達はフィットに戻り、奴の家へと向かいました。
車内はまた沈黙に包まれていました。が、考えている事は同じだと思いました。
「コンが、注意をしてくれたんだな…」
と…。
もしあの時、沈黙が続いていたら、あれほど車間を開ける事無く、事故現場へと到達していた訳
で、それはつまり、私が事故の加害者となっていた可能性が非常に高くなっていた事を暗示してい
るのです…。
私と奴しか居ないフィットの車内ではありましたが、ソレとは別に、何か暖かい力の様なモノを感
じた出来事でした…。
小1時間後、奴を送り届け帰宅した私は、目が冴えている今の内にと、部屋に戻りブログを書き
始めました。しかし、改めて画面に向かうと、筆がドンドンと重く感じる様になりました。そしていくら
我慢しても、画面がぼやけて見えてしまいます。
「今日はもう無理だな…」
私はPCの電源を落とすと、枕を持ってコンの元へと向かいました。そして、真っ暗な居間の中央に
居るコンの傍に腰を下ろし、その顔を撫でました。私は、みるみる暖かい気持ちに包まれました…。
「お前さん、さっき、俺らと一緒にフィットの中に居たろ!」
「し、しらないよ! 兄ィと奴っちゃんだけでしょ!」
「お前は相変わらず、嘘が下手糞だな!」
「しらないったら、しらないよ!」
「ま、いいや……。 ありがと…な」
コンは照れ臭そうにそっぽを向きました…。
「それより、兄ィ、これからまだまだ忙しいんだろ? 早く寝ろよ」
突然現実に戻されたように感じた私は、改めて目の前に横たわるコンを見つめた。
「確かにそうだ。俺は、これからお前さんを、しかっかりと
“天国” に届けてやりゃにゃあ、いけなかったな…」
私は冷たくなったコンの身体を、思いっきり抱き締めました…。少しでも、その冷たい身体を暖める
事が出来ればいいと思いました…。
つづく