
この本なんと1936年に出版されたドライブコースのガイドブックなんです。1936年といえば昭和11年。日本では二・二六事件が起こった年。世界的にはヒトラーのオリンピックと言われたベルリンオリンピックの年です。

当時はモータリゼーションの黎明期とはいえ日本のドライヴァー(この本の仮名遣いだとこうなる)の数は30万人を越えていたらしいです。1908年にT型フォードが発売され一気に大量生産され自動車の価格がぐんぐん下がっていった時期です。流れ作業のその生産方式が生まれチャップリンの映画モダンタイムスで人間を生産システムの一部として機械同然に扱うことが社会問題になり始めていたのがまさにこの1936年なんです。
当時の日本の状況から30万人とは言っても、やはりドライブはかなりの上流階級の人に限定される愉しみではあったのでしょうね。
日本においてのモータリゼーションの始まりは更に戦後の1970年と言われています。
この本は国立国会図書館が所蔵し「近代デジタルライブラリー」としてインターネット上に公開している資料をKindle化したもので、内容は「
ドライヴ十二か月」、
「全国花の名所」、
「ドライヴの知恵」などのお役立ち情報や、東京近郊、房総、甲信、中京、京阪神などのドライブコースを紹介しています。
例えば
ドライブの知識ではドライブによる疲労回復策として入浴を薦めている。血液循環を旺盛にして精神的疲労回復に効果があるそうだ。またドライブすれば皮膚に埃が付着して皮膚呼吸が低下するので入浴は絶対必要なのだそうだ。(当時はT型フォードのような屋根無しのクルマが多かったのでしょうかねぇ?それともやっぱ未舗装なので砂埃かなぁ?)
ドライヴ二十訓では、「抜くな譲れよ」とか「起すな眠れ」など今でも言ってるような話もあるし、「縄を忘るな」は、タイヤのすべり止めや車を引っ張る縄を必ず持てと言う意味らしい。「クラクソンを持て」は山や峠では遠慮なくクラクションを鳴らせという意味かな?「避けるより當たれ」は、難所は下手に避けるなと書いてあるのだがどういう意味だろうな?チャレンジしてみろってことなのだろうか?でも、「近廻りより遠廻り」近廻りは衝突のもととも書いてあるしなぁ?
之だけの注意は必要の章では4ページ使って、誤って自動車で人を轢いた時の対処が細かく書いてあります。当時急速に社会に浸透し始めていた自動車ですが、人も車に慣れていないし道路も全然整備されていなくて事故も多かったのでしょうね。
時代と言いましょうか、ドライブしていると出来わす
「要塞地帯の心得」では陸軍の要塞や海軍の軍港などでは絶対に写真を撮らないように書かれています。
「うっかりして思はぬ災難に一日のドライヴを滅茶苦茶にしてしまふ事があります。」と注意されているのです。これは筆者が痛い目に何度か遭っているに違いありません(T_T)
当時は東京湾要塞(横須賀、房総半島の東京湾側、葉山、逗子)や青森の大湊、函館、淡路島の由良要塞、舞鶴要塞地帯、下関要塞、佐世保要塞、大分の豊予要塞などいかにもボクが好んでドライブに行きそうなところがリストアップされています。あぶないあぶない(^_^;)
ドライヴお弁当では、アソルテツドコールミートなるものやさらに高級なカナツペー、そしてオススメは
「サンドウヰツチ」なのだそうです。
さて、
ドライブルートの紹介では東京近郊、房総水郷、豆相(伊豆と相模)、甲信、上奥(会津や那須、水上、伊香保、妙義、長瀞など)、中京、京阪神(近江八景、城崎、白浜、伊勢)など40ものコースが解説されています。当時は道路情報も全くなかった時代ですので、調査もタイヘンだったのでしょうね。
当時
「戸塚ドライヴ・ウェイ」と言う道があったらしいです。ここで書かれている
「平凡な中に、案外捨て難い味がある。此処にドライヴァーの探求眼を開かなくてはならぬ。」などと
はがねいちくんのようなことを当時のドライヴ好きも宣っていたのである。この道は東海道五十三次の面影を残す古色蒼然たる松並木と書いてあるので、今の横浜新道あたりなんでしょうね。
箱根自動車専用道路という有料道路も出てくる。これは熱海峠から箱根峠をつなぐ自動車専用道で今の静岡県道20号熱海箱根峠線だろうと思われます。駿豆鉄道の記録では1932年 昭和7年8月7日箱根峠~熱海峠間
十国自動車専用道が7月15日完成、箱根~熱海間バス営業開始(熱海~箱根峠無線局間片道1円、箱根峠無線局~箱根町間片道25銭)とあります。さらにこの十国自動車専用道は1936年この本が書かれた年に全線舗装が完了。この本によると自動車の通行料は八十銭。四哩八十銭はお安くないと書かれていますね(^_^;)
さて、
伊豆半島巡りでは熱海から下田に下って松崎へ抜け土肥まで北上して十国峠経由で熱海に戻るコースが紹介されています。まず熱海から伊東までの南下でも凄く悪い道って書いてます。今井浜から白浜まではさらにとても狭い道、注意を要するそうです。
「極めて狭い山道で殊に注意を要する。待避所が諸所にあり、かはれない所はKlaxonをならし問答する様に標識がある。」と書かれています。かなりスゴイ道だったようですね。
白浜付近では伊豆七島を眺めて、
ヒユツテクロフネで昼食とか書かれている。これは後の東海汽船の下田温泉ホテルのことらしい。
松崎から土肥までの八哩は新しい良い道で景色がいいと書いてありますね。土肥から船原峠を越えて大仁から長岡へ、十国峠に向かう道は非常に良好で
トップでのんびり登れると書いてあるけど、どんだけローギアードなんだよ!(^_^;)
とか突っ込みながら読んでました。
上高地に向かう道は、
「どんな車でも、一度ストップしたら前後進共困難だから、一気に登らねばならない。」とか、京都から老ノ坂が悪道とか、大阪から白濱へは当時からそれなりに屈曲してる道だけどけっこう整備されていたようですね。
当時の道路を想像しながら読むとなんとなく愉しくなってきます。東伊豆でも1985年くらいはまだ素掘りのトンネルとかもありましたし、本当に良くなったのはこの30年なのかもしれません。
この本、愉しめますのでゼヒ買って読んでみてください(^-^)ゝ
上の本の画像をクリックするとAmazonのKindle本の購入サイトに飛びます。たった50円です!(^_^;)
実は無料でも読めます。国会図書館近代デジタルライブラリへリンク。
Posted at 2015/02/01 17:25:19 | |
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