自動ブレーキ(AEB)やアダプティブ・クルーズ・コントロール(ACC)に代表される、先進ドライバー支援システム ADAS(Advanced Driving Assistant System)の導入が進んでいる。このシステムの進化は近い将来、運転者が運転不能になっても自動で状況を判断し事故を回避することを実現するだろう。そしてその先には道路を選ばない完全自動運転を実現するかもしれない。完全自動運転を「かもしれない」と書いたのはそこへ行き着くまでに、倫理や法律、そして技術の大きな壁が横たわっているからである。
現在のADASでは、あくまでドライバーの運転支援システムであり、事故となった場合はドライバー自身が責任を持つ。しかしGoogleが2014年5月に発表した自動運転車はステアリングもアクセル&ブレーキペダルも存在しなかった。12月に公表した際には公道実験用に装備したものの、最終的には無くしたいと考えていると思われる。そこにはGoogleの思想が反映されている。
GoogleのSelfDrivingCar部門のDirector Chris Urmson氏はインタビューでこう語っている。
「我々は運転するという無駄な時間を過ごしている。地球規模で人口が増え続ける中、交通渋滞はさらに問題になってくる。Googleは自動運転車でこういった問題を解決したいんだ。それに運転する時間を子どもと会話る時間にあてたほうがいいでしょう。」
運転は無駄な時間か?もうそこだけで世の中のカーマニアは全否定である。ただこの主張は社会正義的に正論すぎて反論できないな。ボクのように一人乗車でで3Lのクルマに乗って特に目的もなく何万キロも走り回るなんて、無駄に大気汚染を引き起こしているだけなのだ。全体最適を考えればGoogleの考え方が正しいのは明らかである。
このようなGoogleの考え方はモータリゼーションの終焉をもたらすかもしれない。クルマはただ目的地に安全に自分を運んでくれるだけのもの。だから乗り込めばインターネットを楽しんでればイイですよってのがGoogleさんのビジネスモデルなんだろう。そこにはクルマへのこだわりなんて無いし、デザインもこうでいいわけなのだ。スピードも40Km/hで十分。駆け抜ける歓びどころかもうボクたちがイメージするクルマですら無いのだ。地球規模で人口が増え続け、資源は枯渇していくなかこのようなパラダイムシフトが起こるのは必然かもしれない。もともと様々な要因で自動車を保有することが難しい香港やシンガポールでこのようなパラダイムシフトは起こるのかもしれない。
で、自動車メーカーはどう出るのだろうか?
ある日本の自動車メーカー幹部はGoogleCarを見て「あんな 箱」と言ったそうだ。走る楽しみがないという意味で言ったらしいが、はたしてこの人の会社は走る楽しみを自らが生産するクルマでどの程度提供できているのだろうか?
すべての自動車メーカーはGoogleが起すパラダイムシフトになんとか抗おうとしているが、そのビジョンはGoogleほど先を見ていない。実際には2020年ころに高速道路渋滞時の60Km/h以下での自律自動運転を実現することまでが明確なビジョンだ。Audiは2017年に最上級モデルA8の新型車に高速道路時速60キロメートル以下の条件下で自動で運転する機能を実現すると発表している。これはあくまで今のADASの進化であり実現するのはすごく限られた条件下での半自動運転である。Googleが投げかかるパラダイムシフトへの回答ではない。
ダイムラーは2015年のCES(世界最大のエレクトロニクスショー)で自動運転中に前席が180度回転して後席と向かい合わせに乗ることが出来る完全自動運転のコンセプトカーを発表した。会長自ら「これが自動運転車の最終形態。クルマは居住空間になる」と宣言したのだ。なるほど〜メルセデスは居住快適性だけを追求していくわけだ。でも相変わらずステアリングはあって一応自分で運転もできますよってものだ。どうもそこにGoogleのような思想は無さそうだ。
BMWのR&DのトップWerener Huberは自動運転車でも「駆け抜ける歓び」を提供すると言っている。自動運転技術はあくまでアシスタントであり、渋滞など運転を楽しめない時だけにアシストしてくれるものとの考えを示している。GoogleCarとは哲学が違う。40Km/hのGoogleCarとは違ってBMWのクルマは250Km/hで駆け抜けるもの。GopoglはITサービスをクルマで使って欲しいのだろうがそれはBMWが目指すものではない。と言っている。
250Km/hと来たね。日本の自動車メーカーじゃ絶対言えないね。社会正義的に問題ありだよね(^_^;)
でもさ、これ「ボクはクルマを運転してぶっ飛ばしたいんだよ。それが楽しいのさ。」って言ってるんだよね。まさにコレ。
自動車メーカーはGoogleが投げかけた「未来のクルマとは、運転する必要のない無人で走る便利なもの。」にどう答えるのだろう?走る楽しみを残した面倒くさい時だけ運転を代わってくれる半自動運転車って譲れない線をどうやって守っていくのだろうか?
Googleの考えは社会正義的に正しいが、その理想の社会にどのようなプロセスを経て実現するかが難しい。既得権益をもつ自動車メーカーが「走る楽しみ。運転する楽しみ。」という社会正義的にはほんとうに正しいんですか?というものを守ってどこまで戦えるんだろうか?
コレを話すと自分で運転を楽しむなんてサーキット行ってやればいいなんて言われるんだけど、それこそクローズドのサーキットを速く走るなんて自動運転の中じゃ一番簡単なレベルの問題なんだよね。タイム出すだけならF1チャンピオンより速いタイムは簡単に実現できると思う。レースは追い抜くことが必要だからさらに難易度は上がるけど、一般道の自動運転に比べればテクノロジーは簡単だ。
自動運転車で駆け抜ける歓びは得られるか?
半自動運転車じゃないと駆け抜ける歓びは得られないってのが結論のようだね。そこでテクノロジーの進化が止まるはずはなくキビシイ感じ(^_^;)
気が向けば自動運転のテクノロジーについても書いてみたいと思ってます。
運転するのがたまらなく好きなボクですが、自動運転のテクノロジーそのものは本当にエキサイティングなものなんです。
Posted at 2015/04/05 15:04:57 | |
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