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ぐっさん@GUEAのブログ一覧

2022年04月04日 イイね!

LEGEND

LEGEND先月16日、レジェンドレーシングドライバーの一人である"クニさん"こと高橋国光さんがお亡くなりになりました。
日産本社グローバルギャラリーで追悼の展示があったので、昨日出かけてきました。

モータースポーツ黎明期の1960年代からご活躍され、元々は2輪でホンダのワークスチームでデビューし、日本人初の世界GP(西ドイツGP)で優勝。
その後四輪に転向し、日産ワークスに加入。ハコスカ50勝の時のドライバーだったのは有名な話です。

70年代は"無冠の帝王"などと呼ばれていましたが、F1やグループC等でも活躍。1999年、59歳で現役を引退。その後「TEAM 国光」の監督として、SUPER GTにNSXで参戦.晩年は体調を崩して、入退院を繰り返していたようでした。

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2輪時代や日産ワークスの頃は史実でしかなく、初めてクニさんを知ったのはADVAN alpha962Cだったと思いますが、"ドリキン"のファンだった自分にとって、92年の高橋国光、土屋圭市コンビでの全日本ツーリングカー選手権(Gr.A)への参戦は感慨深いものがありました。ハコスカでドリフトをするクニさんに憧れてレーシングドライバーになり、そのクニさんと初めてコンビを組んでドライブしたのがSTP TAISAN ADVAN SKYLINE GT-R Gr.Aでした。

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Gr.Aとして最後の年である1993年の参戦車両です。
カルソニック、ユニシアジェックス、共石、AXIA等々、実質R32GT-Rでワンメイク化していたクラス1でした。星野一義、長谷見正弘そして高橋国光と往年の日産ワークスドライバーを中心に鎬を削る戦いを繰り広げていたのでした。

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まだネットで自由に情報が手に入る時代ではなく、レースの情報源といえばドリキンのFM番組「ADVANサウンドコクピット」とテレビ東京で放映されていた「モーターランド2」でした。
土曜日18時のFM東京、ちょうど中学~高校生あたりでしたがよく聴いていました。この頃、今井美樹や杏里を聴くようになったのもドリキンの影響かも。

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グループAということもあり、外装は勿論、内装も基本的に市販車と同じ。
とはいえ、ミッションがHパターンだったのは意外でした。
競技車両なので、パワーウインドウはありません(笑)

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ADVANのこの赤黒カラーには本当魅せられました。
レースはクニさん、ラリーは古くはランタボの山内伸弥さん、最近だとランエボ⇒GRヤリスの奴田原さんでしょうか。

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Team TAISAN
タイサンって缶詰の会社かと思っていたのですが、太産工業という電磁ポンプのメーカーが母体になります。

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ホイールはSSR製。
市販車の2インチアップの18インチになります。
タイヤは言うまでもなく、YOKOHAMA/ADVANです。

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ADVANカラーに"KENWOOD"はポルシェ962Cからでしょうか。
KENWOODはどうやらパーソナルスポンサーだったようです。

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ドリキンのブレーキパッドのブランド"イマージュ"のステッカーが懐かしいです。
そういえば、免許取り立ての頃でしょうか、長野の圭オフィスを訪ねたことなどありました。

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日産R382
"スカイラインの父"である桜井眞一郎氏が開発責任者となり、1969年の日本グランプリに参戦。3台で参戦し、うち2台(黒沢元治、北野元)が1-2フィニッシュ。クニさんの23号車は残念ながらエンジントラブルでリタイヤとなってしまいました。

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6リッターV12のエンジンは当時で600馬力。
桜井氏を筆頭に旧プリンス系のエンジニアがポルシェを超えるレーシングカーを作り上げました。

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ダックテールと太いタイヤが迫力を増しております。
タイヤの溝のパターンが時代を感じますね。

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ケンメリGT-Rのレース仕様です。
1972年の東京モーターショーに出展されましたが、その後の日産のワークス活動休止により、一度もレースに出場することなく幻となった車両です。
1台しか現存しないレース仕様をレストアで蘇らせたとのことで、実際にクニさんもこの車両をニスモフェスティバルでドライブしていました。

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市販車のケンメリもオーバーフェンダーが付いていますが、レース仕様だけあって、更に大きいものが付いています。
テールライトの丸型4灯はこのケンメリから始まりました。1972年デビューなので、ちょうど今年はケンメリ50周年になります。



青山のホンダでもルマンに出場したNSXの展示があったのですが、時間が無くて行くことができませんでした。
闘争心の塊のレーサーでありながら、この優しそうな表情。
人柄の良さは現役の頃から業界では有名だったようです。
セッティングが決まらないクルマでも速く走ってしまうので、ある意味でエンジニア泣かせなんてことを聞いたことがあります。

謹んでお悔やみ申し上げます。
Posted at 2022/04/04 22:05:14 | コメント(0) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2021年05月05日 イイね!

最初の愛車はコレだ!

1995年5月1日、最初の愛車がやって来ました。

身内の事情で当時は日産車以外の選択肢はありませんでした。
この頃からスバル車には既に興味を持ち始めていたものの、それ以上に日産車ゾッコンだったとうこともあり、最初の愛車を日産車から選ぶのことには何ら迷いはありませんでした。

当初は昭和の年式で既に値のつかないR31スカイラインやN13パルサーの下取り車を横流ししてもらう予定でしたが、大人の事情!?でやってきたのが新車のK11マーチ。
贅沢にも愛車遍歴を新車でスタートすることになったのですが、何せ日産の新車で一番安かったのがマーチだったので・・・
親ローンにて購入し、バイトで半分ぐらいは返したかと(^^ゞ



この代からハイパワー版の「スーパーターボ」が無くなり、スペック的にはライバルのスターレットと差がついてしまいましたが、欧州向けに開発されたこともあり、スペックよりもバランスといった通好みのクルマに仕上がっていました。
兄貴分のP10プリメーラに通ずるものがあり、手前味噌ではありますが、なかなか渋い選択をしたと自負しております。

グレードは1300ccのA#で、ミッションはMT。5ドアを選んだのはVWゴルフの影響があったと思いますが、おそらく実用性を考えてだったかと(笑)
今なら非力なエンジンをMTでぶん回して走るということで1000ccの方を選んだかもしれません。プラス300ccの余裕とタコメーターの有無で1300ccにしましたが、正直そんなに変わらなかったかも・・・

クラッチが軽すぎて、どこで繋がるか分かり辛く、悪戦苦闘の連続でした。
ちょうど26年前のゴールデンウィークはオヤジと坂道発進の特訓。
教習車がディーゼルのクレスタだったので、ずぼらな半クラッチでもほぼエンストすることは無かったのですが、同じように運転したら、いきなりエンストで意気消沈することに。特訓の成果もあり、エンストとホイールスピンを繰り返していくうちに、2週間ほどで普通に乗れるようになりました。
その後、よほどの癖のあるMT車でも運転することができたのは、このマーチのおかげかもしれません。

830キロの車重に79馬力のエンジンですので、動力性能は推して知るべしで、それを全開で乗るのがこのクルマの楽しみ方だったと思いますが、若気の至りで足回りを弄ってしまったのが運の尽き。



GABのショックとタナベの純正車高のスプリング(当時はローダウンするには改造申請が必要だった)、ADVANの14インチホイール(RC)を換装。
足を固めたことにより、無駄な挙動を抑えられたので、コーナリングは楽しくなりましたが、ボディへの負担が大きかったのが、一気にクルマがやれて、あっちこっちから軋み音が止まらなくなりました。

インターネット黎明期で、まだ情報源がなかったので、ショップに言われるがままに弄ってしまい、結果クルマを壊していくことに。
何か勿体ないことをしたなと、今でも後悔しております。



家庭の事情でAT車が必要になり、2年とちょっと、45,000Kmで下取りに出されてしまいましたが、クルマ弄りは勿論、運転を含めてこのマーチから色んなことを学びました。ヒール&トーが初めてキマったのもそうですし、コーナーでドアンダーステアで刺さりそうになったのもこのマーチでした。
燃費はあまりよくなく、それでもリッター10キロぐらいだったかな。
ガソリンがレギュラー100円を切っていた時代ですので、毎週ガソリンを入れても1万円ちょいぐらいと、学生には大変ありがいたい時代でした。

今まで手放して後悔したクルマは2台あるのですが、実はその内の1台はこのマーチで、本気で買い戻すかを考えたほどです。

思い出は美化されるので、がっかりするかもしれませんが、機会があればもう1回ハンドルは握ってみたいなぁ。
Posted at 2021/05/05 14:55:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2021年03月27日 イイね!

Mechanical Doctor

Mechanical Doctor昨晩、仕事帰りに某自動車雑誌を買ったところ、付録で付いていたのが懐かしの「よろしくメカドック」

キャプテン翼、北斗の拳、奇面組とほぼ同じ頃のジャンプの連載で、アニメ(たしか土曜の18時半からフジテレビ系で放映されていたような)にもなりました。
小学生の頃に買ったコミックは全巻(12巻)、今でも本棚に並んでおります。

先ごろ来年で生産終了が発表されたS660 モデューロXとのコラボですが、往年のメカドックファンにはたまらない内容。まさかZのナベさんまで登場するとは!

それにしても、ホンダの"1代限り"は相変わらずで・・・
売れないクルマに投資できないのは仕方ないと言えばそれまでですが、ホンダの4輪乗用車の原点こそ"S"であり、NSXなんかよりもこっちの方を続けて欲しかったのが本音です。
一時期、N-BOXとS660の2台持ちなどを本気で考えたことがありましたが、駐車場問題がクリアできず、最後は妄想で終わってしまいました。

ビートの時もそうでしたが、無くなると思うと欲しくなるのが人の常(汗)
せめてコペンは厳しくなる衝突安全基準や騒音規制、衝突軽減ブレーキ等の規制に何とか対応してもらいたいものです。
子育てが落ち着いたら、オープンスポーツは手に入れたい1台ですが、その頃は純内燃機関のクルマは無くなっているかも。。。



話はメカドックに戻って、作者の方はたしか愛車がレヴォーグだったような。



メカドックと太陽にほえろの影響からか、小学生の頃はセリカXXに憧れたものでした。
「キャノンボール・トライアル」が懐かしいです。
ニトロの使い過ぎで、ゴール寸前でたしかエンジンブローで2位に。
"ゼロヨン"なんていうのもメカドックで知ったのでした。
久しぶりに読み返してみようっと。
Posted at 2021/03/27 23:40:56 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2019年09月28日 イイね!

EJ FINAL

EJ FINALEJ20 Final Edition
クルマそのものよりも、ホイール(BBS製?)の方がとても気になります(笑)
18インチ版で出ないかなぁ・・・

今のご時世であのようなハイパワーユニットはたしかに貴重ではありますが、ただEJ20をやたら賛美する風潮には、ちょっと違和感があります。
燃費はもちろん、扱いやすさ(特に低速トルク)や整備性等々はFA/FBの方が勝っていますし、直噴の制御の難しさはあるにせよ、FA/FBはまだまだ伸びしろを感じます。
ただ、EJの方がたしかに拭け上がりは軽快で、水平対向ならではのビート感やサウンドは上、いかにもエンジンを回しているという官能的な部分では勝っているのかなという印象はあります。

あとは、VABに乗ると今まで乗ってきたスバル車を思い出させる”懐かしさ”みたいなものがあって、これはEJ20に因るところが大きいです。
等長等爆になってからずいぶんと良くなりましたが、それでもスカスカな低速トルクはEJ20の伝統かも(笑)

20年前に初めて買ったEJ20(EJ208と呼ばれる2ステージツインターボ)は、低速がスカスカ、そして重たいクラッチと、今思えばなかなか癖のあるものでした。
280馬力、34.5Kg-mとハイスペックでしたが、パワー感は当時同期が乗っていたシングルターボのEJ20(EJ207)の方が上回っていました。
それにしても、ツインターボ(レガシィ系)とシングルターボ(インプレッサWRX系、フォレスター)と作り分けていた当時のスバルは本当凄かった。
(今のFA20とEJ20の関係も同じかも?)

EJ20搭載車は都合3台買いましたが、一番良かったのはGDAのEJ20(EJ205)で、250馬力、34.0Kg-mとスペック的にはちょっと平凡ではありましたが、低速トルク重視で、燃費もそこそこ(街中でもリッター7~8キロは走りました)。
ハイパワー版やNAは等長等爆になり、所謂ボクサーサウンドが聞こえなくなってしまいましたが、EJ205は最後まで不等長エキマニが残りましたので、マフラーを交換して、ドコドコとさせていたのでした。

自己所有はしませんでしたが、EJ20で一番完成度が高かったのは4代目レガシィ(BP/BL)のターボ(EJ20X、EJ20Y)かなぁなんて気がします。
燃費、パワー、トルクのバランスが一番良くて、2003年に初めてBPを試乗した時に、「これって本当にEJ20?」とえらく驚いたのを覚えております。

ハイブリッド全盛のご時世に、こうやってエンジンを語れるというのはさすがスバル。
トヨタの2ZR-FXEって、回すと気持ち良いなんて話など聞いたことないですし、ここ10年ぐらいでエンジンが黒子になってしまったのは守旧派のクルマ好きには本当寂しい限りです。
そういった意味でもマツダからもうじき出るだろうと言われている、新世代のガソリンエンジン(スカイアクティブX)には興味津々であります。
Posted at 2019/09/28 14:09:33 | コメント(5) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ
2019年07月26日 イイね!

日産ヘリテージコレクション

平日の休みを使って、前々からずっと気になっていた「日産ヘリテージコレクション」の見学に行ってきました。

神奈川の座間事業所(旧座間工場)の敷地内にあり、予約が必要ですが無料で見学ができます。
マイカー(日産車以外でも勿論OK!)で訪ねることができますが、レヴォーグで行くのも何だかアウェイ感もあるしということで、律儀!?な自分は電車で行きました。

しかし、これが失敗のもとでして、地元根岸線は遅れて、更に乗り換えた相鉄では座間事業所の最寄り駅のさがみ野で降りなくてはいけないのですが、特急に間違って乗ってしまった為、さがみ野を通過。終点の海老名まで一機に行ってしまい、慌てて戻ることに。乗るはずだったバスには間に合わず、タクシーも拾えません。
9時50分までに正門まで行かなくてはいけないのですが、この時点で20分ぐらいしかありません。自宅を早めに出発したにもかかわらず、余裕は使い切ってしまったのでした(-_-;)

この日も結構暑かったのですが、何としても間に合わなけばということで、早歩き+たまに小走りを繰り返して、集合時間ほぼぴったしで正門に到着。
ざっと50人近くは見学に来られていたと思いますが、どうも公共交通機関で来たのは自分だけだったようで、正門からヘリテージコレクションまでの送迎バスは贅沢にも自分だけ。一人大汗をかきながらの到着となりました。

見学の順路ですが、先ずが受付を済ませた後に、全体で集合し、個別で見学する人と、ツアー(無料です)を希望する人の二手に分かれます。
今回初めてだったということもありツアーを選択し、25分ほどかけて展示車の説明をしていただきました。

座間事業所ですが、現在は日産の生産技術の拠点として、新型車の量産試作、プレス金型、車体設備技術、樹脂成型技術、電動車両技術の企画・製作・設置やモーターインバータの開発とリチウムイオンバッテリーの開発・生産を行っています。座間工場時代(1965年~1995年)は完成車の組立を行っていました。

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ダットサン1300バン」です。座間工場はこのクルマの製造から始まりました。

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工場操業開始の翌年にデビューした「サニー」。
以後、1995年までサニーはこの座間工場での生産となります。
ちなみにサニーは座間工場以外で、何とスバル(富士重工業)でも組立を行っていたことがありました。

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日産車初のFF車であった「チェリー」も座間工場製でした。

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日産(VW!?)の黒歴史の「サンタナ」のノックダウン生産が行われていたのがこの座間工場でした。
日本製(日産製)のドイツ車は残念ながら当初計画されていた月産4,000台には遠く及ばず、7年間で50,000台ほどの生産で終わってしまったのでした。

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約300台が展示されているホールの手前では、「MID4-Ⅱ」がお出迎えしてくれます。

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1時間半の見学時間では写真を撮るだけでも結構な時間となってしまいました。
出来れば一日かけてゆっくり観たいぐらい、日産車の歴史が詰まっております。

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歴代の日産(ダットサン)のロゴマークです。

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1933年に登場した日産最古のモデルである「ダットサン12型フェートン」です。
ダットサンの由来については、こちらをご覧ください。

 

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プリンス自動車の前身、東京電気自動車が製作した「たま電気自動車」です。
1947年と今から70年以上前に電気自動車は生まれており、リーフの祖先にあたります。

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ホイールキャップは平仮名の"たま"を模ったロゴになっています。

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ケンメリのGT-Rは何と2台も展示。内1台はボンネットが開いておりました。

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伝説のエンジン"S20"が載っております。今どきのクルマと違って、スカスカのエンジンルームですね。


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チャリティ用に作られたGT-Rのウサイン・ボルト仕様です。
ゴールドのGT-Rは3台製造されて、その内の1台はボルト氏に贈呈されたとか。

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ボンネットにはボルト氏直筆のサインがありました。

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市販車だけではなく、競技車両も展示されています。
日産というとレーシングカーのイメージが強いですが、80年代ぐらいまではラリーでも大活躍でした。

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フェアレディZ(Z31)のラリーカーです。今と違って、この頃はFR車でもラリーで大活躍でした。



パルサーGTI-R(RNN14)のRACラリー出場車です。
ライバルのセリカGT-FOUR、ギャランVR-4、レガシィRSには歯が立たず、日産のWRCワークス参戦撤退のきっかけを作ったクルマになってしまいました・・・



「くうねるあそぶ」な初代セフィーロ(A31)も展示。
家のクルマを買い替える時に、オヤジに薦めたのですが、トヨタハイソカー3兄弟の方が好きだったようで残念ながら購入は叶いませんでした。
中古市場ではドリフト需要に支えられていましたが、今見ても古さは感じず、なかなかのおしゃれなセダンだったということを改めて感じております。



90年代の日産車の中で一番好きだったのがこのプリメーラ(P10)です。
当時はドイツ車よりもドイツっぽいなんて言われていましたが、開発には前述のサンタナのノウハウが活かされたそうです。
手が届かず、マーチやパルサーで妥協してしまいましたが、無理してでも買わなかったことを今でも後悔しております。
このまま譲ってくれないかなぁ(笑)



色は違いますが、うちの爺さんが12年乗っていたのと同じスカイラインジャパンです。
生まれて初めて好きになったクルマ、いわば初恋のクルマだったりします。
ジャパンの思い出について、よろしければこちらをご覧くださいませ。



パイクカー3兄弟もきれいに並んでおりました。
レトロなデザインが功を奏してなのか、当時も今もあまり様子は変わりません。
バブル期だから許されたというのもありますが、こういうクルマを出す余裕があの頃の日産にはまだありましたねぇ・・・



先ほどのジャパンが初恋でしたら、こちらは初めての彼女とでも言うべきでしょうか。
自分の最初の愛車、K11マーチです。
グレードは違いますが、自分が乗っていたのと同じ5ドアで、色(スタイリッシュブルー)も一緒。
ディーラーオプションのプロジェクターのフォグランプまで同じです。これを付けるとヨーロッパ仕様(マイクラ)の雰囲気に近づきます。
自分が乗っていたのはMTでしたが、CVT(N-CVTって名前でした)はスバル製。
この頃からスバルには何らかの縁があったのかもしれません。

展示車ですが、フォトギャラリーにもまとめてあります。

スカイライン・1
スカイライン・2
セドリック・グロリア・プレジデント
シルビア
フェアレディZ

残りについても、追ってアップしていきます。

ゴタゴタが続いている日産ではありますが、日産車ファンを大切にしているからこそ、このように300台に及ぶコレクションの無料開放には感謝しかありません。
ただ、敢えて言うならば、このヘリテージが今売っている日産車にあまり繋がっていないのが残念です。

EVや自動運転等、これからの時代を見据えて必須な技術なのは分かりますが、ここに展示しているクルマ達みたいに、ワクワクするクルマを作ってほしいものです。新しいスカイラインがちょっとした兆しに見えなくもないですが、売れ筋が軽とノート、セレナ、エクストレイルだけではあまりにも寂しいので、車種を増やしてほしいなぁ。海外向けには魅力的なクルマが多いだけに、頑張ってもらいたいところです。

なんて偉そうなことを言ってしまいましたが、地元企業で尚且つクルマを覚えたのが日産車ということもあり、離れても思い入れは今でも強く、不躾ではありますが書かせていただきました。
Posted at 2019/07/29 23:26:31 | コメント(1) | トラックバック(0) | 思い出のクルマ達 | クルマ

プロフィール

「お泊りオフ in栃木 ~2日目~ http://cvw.jp/b/127580/48517440/
何シテル?   06/30 23:09
1999年5月、スバルオート横浜(現神奈川スバル)金沢営業所でレガシィB4 RSKを契約。 何度も他社に乗り換えようと思いましたが、結局はスバルに落ち着き...

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