先日、
陸前高田の震災遺構を巡りました。
その後、「地元の震災遺構も見とくべきじゃない?」と思い立ち、連休の二日間でぶらっと出かけて参りました。とりとめのない内容ですがよろしければご覧ください。
今回はすべての画像をクリックで拡大できるようにしました。興味があれば画像内の文字もお読みください。(低画質・ピンボケはご容赦ください。)
<旧仙台市立荒浜小学校>
まずは
旧仙台市立荒浜小学校です。
震災遺構があることなど最近まで知らなかったのですが、どうやら私が仙台を離れている間に震災遺構と指定されたようです。知らなくて当然でした。
津波は2階に達する勢いだったようです。
内部は私がイメージしているとおり(コンクリの壁、長く薄暗そうな廊下、廊下の端にある水飲み場 等)の小学校でした。
そして、津波の痕跡は残っているものの、がれきの類いはほぼ片付けられていました。
とは言え、痕跡は当時のまま残っていました。
このほかに写真やパネルの展示、津波襲来と避難に関しての映像がありました。当時避難したと言う屋上にも上がれましたが写真はなし(撮り忘れ)です。
この後紹介する施設と比べるとあっさりしたものですが、無料ですし十分ではありました。ただ、無料なのはありがたいのですが、施設の維持管理費用もそれなりにかかるでしょうし、ちょっとくらいお金を取っても良いのではないかと思いました。
<旧鈴木英二氏邸>
次に行ったのは、名取市の旧鈴木邸です。
個人邸ですが、津波の脅威を示す遺構として個人で残しているのだそうです。
正面から見て右側が海。なので右側の破損が激しいです。
こちらは陸側。海側に比べ破損が少ないです。
周囲はすっかり更地になっているので、ぽつんと一軒だけ家があるのが印象的でした。そして、普通の民家が流されず残っているのが意外でした。
特に係員がいたりするわけでもなく、中に入れるわけでもありませんが、民家と言うことで被害がより身近に感じられる場所でした。
<旧山元町立中浜小学校>
次は県南の山元町にある
旧山元町立中浜小学校です。
つい最近一般公開が始まったらしいので足を伸ばしてみました。
ここは平成元年に建築された学校とのことで、見た目も内部も自分の思い描いている”小学校校舎”とはイメージが違いました。
最初ナビに案内されたときは、道の駅か何かだと思ったくらいです。
内部も木をふんだんに使った作りでモダンだと感じました。
そして、ここは破損した場所や流れ着いたがれきをそのままにして展示していました。
この建物は中庭があるのですが、2階のこの位置まで水が来たのだそうです。
屋上に上がることもできました。目の前が海です。
目の前の更地は集落があったそうです。そして海の前には松林があり、津波前は海が見えなかったのだそうです。陸前高田もですが、根こそぎ奪われてしまった格好ですね・・・。
駐車場には一本松もありました。陸前高田との共通点が多いです。
ここは有料施設だけあり、展示物は手の込んだものが多かったです。案内の方(主に町職員、当時の校長先生もいらっしゃいました)も多く、パネルに書かれていないような説明や当時の様子なども話してくれました。
こう言った点も含め、結構力が入っていると感じました。
<東日本大震災遺構・伝承館>
次は県北の気仙沼市にある
東日本大震災遺構・伝承館に行きました。
ここは旧気仙沼向陽高校です。ここも有料施設で、主な展示となる校舎とエントランスや映像上映をする建屋が別になってました。
ここもがれきなどは片付けずにそのまま展示するスタイルでした。
この車が置かれているのは3階です。わざと置いたのではなく、実際に3階に流れ着いたとのこと。
PC-9801が! 2011年まで現役だったんですね。
ちなみに、ここを襲った津波は校舎の4階まで達したそうです。想像もつきません。
この屋上で救助を待ったそうです。
今日は好天ながら風が強く、長時間いるのは寒くてつらいくらいでした。でも当時は3月で雪もちらつくような天気でしたので、過酷な状況だったと思います。ヘトヘトになりながらも自宅で過ごせた自分は幸運だったと思うより他ありません。
ここの施設は、前の2つの学校校舎と違い高校の校舎なので規模が大きいです。そして津波の高さも大きかったため、被害も相当のようでした。
がれきを残している展示室がある一方、立ち入り禁止も含めきれいに片付いている部屋もありました。広すぎるためか立ち入り禁止箇所が多かったですが、後々解放されるのかもしれません。
<旧仙石線野蒜駅>
最後、気仙沼からの帰り道に
旧仙石線野蒜駅にちょっとだけ立ち寄りました。
ここも津波で被害を受け、駅は内陸に移転したため駅のホームだけが残されています。
当時は津波で沿岸の駅数駅が流された他、確か列車も一編成流されました。私は普段から通勤で仙石線を使っているので、違う意味で衝撃を受けました。
この写真だけ見ると津波被害の跡地には見えません。ここに電車が来ることはもうありませんが、今は別ルートで完全復旧して元気に走ってますよ。
と言ったところで、二日間の震災遺構巡りは終了。月並みですが、改めて津波の恐ろしさを思い知った(見たことない映像なんかもたくさん見られたので)とともに、備えの大事さを再認識しました。
自分自身徐々に記憶が風化してきている3.11の地震と津波被害、こう言った施設を訪問することで意識をリセットできるのは良いのかなと思います。
ご覧の皆様におかれましても、こんな駄BLOGが災害やその備えを見直すきっかけになれば幸いでございます。
そして今日の晩酌。気仙沼で買ってきた男山の大吟醸です。
つまみは鮫ジャーキー。よくよく見たら「ビールにお勧め」ですって。食べてみたけど確かにビールの方が合いそう。
一日の最後で思慮の浅さを指摘されたような気分です💦