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2012年12月19日 イイね!

可夢偉・・・無念・・・・

可夢偉・・・無念・・・・ やはりと言うか、残念なニュースが飛び込んで来ました。

小林可夢偉の13年F1シート断念の報です。

元々こういった状態でのシート獲得競争は、日本人を含む、

有色人種にとっては大変不利な事であり、また、将来もその

流れが変わる事は無いでしょう・・・。

 前にも述べましたが、そもそもF1を含むモーターレースの発祥が、“ヨーロッパ貴族の遊び”から

始まっている事に全てが集約されます。貧乏人や、白人以外の人種が参加してはならないのです。

 表向き、人種差別は無い事になっておりますが、あくまで表向きで、いまだに根強い“差別”が蔓

延っております。しかしそんなことは承知の上でチャンレンジしている日本人ドイラバーだからこそ、

私は敬意を払うのです! 不利な環境をものともせずに、バッタバッタとチャンピオン経験ドライバー

を次々とオーバーテイクした琢磨や可夢偉の姿を!

 ・・・と言う意味において、やはりスーパーアグリという存在はF1における有色人種の橋頭保且つ、

絶対必要は存在でもあった訳です・・・。


 とはいえ、決まった事ですから、ココは気持ちを切り替え、その次の戦いに挑むべきでしょう!

 今や昔ほど日本色が薄れているF1界において、もう一度、“Japan as No,1”の心意気を、業界

全体で示す時だと思います! 

 TOYOTA、HONDA、YAMAHA、SUBARU、BRIDGESTONE、そしてSAF1・・・

 「同じ日本人なら、立ち上がってみろ!」

 と、声を大にして叫びたいです!


  でわでわ!!
 
Posted at 2012/12/19 11:49:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | モータースポーツ | ニュース
2012年12月19日 イイね!

訃報・・・

訃報・・・
 また一人、昭和を代表する偉大な棋士がこの世を去った。

言わずと知れた、“米長邦雄” 永世棋聖(現:将棋連盟会長)

である。私が将棋指しの中で最も敬愛し、最も好きな棋士で

もあった。お堅い将棋界の中にあって、常に異端児として歩

んで来た彼は、一応“無頼派”とも言えるが、氏は一味違って、“洗練された無頼者”というにふさわ

しい人物だった。


 山梨の貧しい4人兄弟の末っ子として生まれた氏は、幼年時からその将棋の才能を買われ、佐瀬

勇次名誉九段の内弟子に入った。これには色々な逸話が存在するが、山梨でも有名な“秀才一家”

だった米長家の3人の兄は全て東大に進学しており、それに対しての感想が、

 「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」

という言葉は、余りにも有名である(真偽の程は不確かであるが・・・)

 確かに、当時の囲碁将棋界の風潮として、学校に行く時間が有れば将棋の勉強をしろ!と言った

暗黙の了解が有り、また実際、高校や大学に進学した者は、皆将棋が弱くなる現状もあった。しか

し、秀才の兄達を揶揄した氏自身はと言えば、シッカリと高校・大学へと進学した。しっかりと青春を

謳歌したのである。ココでも色々な逸話が残っております。当然進学に大反対だった佐瀬勇次師匠

は、厳しく米長少年を叱責した。

 「将棋指しに学歴なんざ必要ない! そんな暇が有ったらもっと将棋に精進しろ!

                                大体何で学校なんかへ行きたがるのだ!」

それに対して邦雄少年は飄々と反論した。

 「師匠の様に弱くなりたくないからです!」

この発言で、顔の形が変わる程ブン殴られた邦雄少年であったが、結局自分の意思を貫き通した。


 そして月日が経ち、その才能はあっという間に開花し、瞬く間にトップ棋士へと上り詰めた。史上

三人目の四冠王となり、将棋実力世界一を自称した時期も有った。しかし普段からメディアへの露

出も多く、イイ男ともいえる容貌の彼の言動や振る舞いに対し、将棋界の中では、常に多くの敵を

作った。その殆どが妬みや中傷と言った嫉妬の類であったが、故に決して本流にはなれない宿命

も帯びていた。将棋は実力の世界だから、“四冠王”の氏に文句を言える筈も無いように感じるが、

確かに米長氏には、どうしても届かない頂が有ったのは事実だった。それは“名人”という正に将

棋界の頂点であった。氏はその頂に何度も挑戦し、ことごとく敗退した。そこには彼の終生のライ

バルであった中原誠名人が立ちはだかっていたからだ。

 「自分はもう、名人には成れないのか…」

そう意気消沈する彼は、しかしへこたれなかった。当時の(今でも通じるが)度肝を抜く行動に出た

のだ。それはつまり“子供の様な若手に教えを乞う”というモノだった。仮にもタイトル保持者のトップ

棋士が、まだプロになりたての若手の研究会に頭を下げて入門したのである。氏はそこで、のちに

将棋の革命と言われる序盤システムを会得する。その研究会に出入りする若手の中には、森下卓、

佐藤康光、森内俊之、丸山忠久、そして羽生善治等、のちに将棋界を席巻する俊英が常に居た…。


 そうして彼は、七度目の名人挑戦に臨んだ。そしてついにストレートで名人位獲得を達成した。実

に49歳11か月という、史上最年長での名人位獲得だった。京王プラザホテルで開催された名人就

位式・祝賀パーティーには、2000人を超える異例の人数の参加があり、米長氏の人気の程が現れ

ていた。そして翌年、その地位を羽生善治に奪われる事となる…。


 第一線から身を引いた氏は、日本将棋連盟の理事となり、将棋界の発展を目指す立場に衣を変

えた。それからの氏は怒涛の行動力を発揮して、北陸先端科学技術大学院大学特任教授、日本

財団評議員、 東京都教育委員等を歴任する傍ら、将棋界内の大改革も推進した。そう書くと、い

かにも聖人君子とも見える人物だが、そこは米長氏、チト違う。それは常に彼が身にまとうユーモ

アというアイテムが有ったという事だ。その一例として、日本将棋連盟公式HPに記載されている

理事一覧表では、世界のネット上でも話題になった或るプロフィール写真が掲載されています。



という、将棋連盟というお堅い役員紹介の公式ページにこの様なスタンスで臨んでいるだけでも、

氏の人柄が見える思いがします(笑) さらには女性関係も派手で、当時の有名女優との浮名や、

氏の色事に対する持論として、

 「『させてくれ』と女にお願いしているうちは半人前である」「鍛練して『してください』と頼まれる

      ようにならなければいけない。なおかつ、そのお願いに充分に応えられなくてはならない」

と述べている姿勢は、私にも強い影響を与えたものでした(爆)

 とにかく好奇心旺盛で臨機応変。しかし伝統の根っ子の部分はしっかりと守り継承するといった、

将棋指しとしてでは無く、人間として大好きな大人物でした…。



 最後に、氏の遺した思い、

 「自分にとっては消化試合だが相手にとって重要な対局であれば、相手を全力で負かす」

という所謂「米長哲学(米長理論)」理念は、今では将棋界全体の理念へと昇華しています…。


 米長氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます…


  でわでわ…
Posted at 2012/12/19 09:47:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 将棋 | ニュース

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