一昨日に続いて自動車安全の話しをしましょう。ラリーやレースを35年以上も続けてきたので、色々な事故と遭遇しました。私が本格的に自動車安全に興味を持ったのは90年代でしたが、みずからの経験で「自動車では死ねるか」と思ったからです。1997年にHNK出版から「クルマ安全学のすすめ」という本を上梓しました。まだ事務所に20冊くらい残っているので、サイン付きで送料込みで1,000円(定価1019円税込み)でお送りします。希望者は
info@startyourengines.jpの各種お問い合わせで「清水カズオの本希望」と書いてお送りください。ただしお友達登録している人に限定させてくださいね。
さて、この本ではエアバッグが普及し始めたタイミングで書いたので、シートベルトとエアバックの関係を詳しく解説しております。あえて自分のミスによる体験から、何を学んだのか、興味がある人はさわりを記しておきますね。本当はジャーナリストを志す若い人達に読んでもらいたいのですけどね。
第1章 生きててよかった
1-1 マカオグランプリで大クラッシュ
目の前に灰色のコンクリートの壁が迫った。もうだめだと感じた。ボクは生まれて初めて神に祈った。「どかん!」マシンが斜めにコンクリートの壁に衝突した。本能で全身に力を込めて衝突で備えた。奥歯を満身の力でかみながらステアリングを握りしめた。マシンがコンクリートに衝突してから千分の10秒にも満たない時間に自分の番が回ってくる。
「今度は自分がクルマに衝突するときだ。」
「ドーン」
衝撃が全身を襲った。
最後の記憶に残った感覚だ。完全にマシンはボクのコントロールを離れていた。原因はともかくもコンクリートの壁に激突する瞬間、ボクは渾身の力を振り絞って、ステアリング握り締めた。本能で衝突に備えたのである。
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マカオグランプリは東洋で行われる国際レースとして知られる。コンクリートの壁で囲まれた公道を使ったコースが、多くのドライバーに恐れられている。失敗が許されない。一切のエスケープゾーンがないのである。F1で知られるモナコグランプリもここマカオと同じような公道サーキットである。
(この年、あのMシューマッハと同じスポンサーのチームでエントリーしていたのです)
グループAというクラスでホンダのシビックでボクは過去2連覇している。今回は3連覇をかけてマカオに乗り込んだ。予選が行われた金曜日、ボクは朝からイライラしていた。マシンのセティングがなかなか決まらないのだ。事前に日本で行ったテストでは凄く調子が良かっただけに、原因が分からない不調はドライバーにとって最悪である。
予選でうまくタイムがでないのはどうやらサスペンションに原因がありそうだ。公道レースなので充分な練習走行が与えられない。そこで一回目の予選をマシンの調整にあて、2回目の予選にかけた。ボクは大きなミスを犯した。150キロを越えるスピードで右斜め前方から正面衝突。マシンはアッという間に速度を減じた。レース用のシートベルトで固定された体は、まるでゴム紐のように伸び、体は前方に移動している。ステアリングは事故では凶器になる。キャビンは潰れ、生存空間がどんどん減少していく。わずか千分の数秒の出来事だ。
100Gを越える衝撃でマシンは大破した。時速150キロで走っていたマシンが僅か0.1秒に満たない時間で速度がゼロになった。この衝撃でボクの体には7トンの力が加わり、1トンの重さを首は支えなければならなかった。僕自身にどれほどの衝撃が加わったのかはそのときは想像さえできない。しかし満身の力で衝撃に対抗した。
自分が今何をしているのかしばらく解らなかった。ポルトガル領であるマカオの国立病院のベッドに横たわり目の前の無影灯を見ていた。意識が戻ったのだ。医者はポルトガル語らしき言葉で語りかける。看護婦は広東語だ。必死で意識が戻ったことを医者に知らせる。前身が火で焼かれたようにあつい。頭は鉛を詰められたように重く不快だ。右足の膝の周辺に激痛が走っている。しかしとにかく生きている。そして彼らの言葉が日本語でもなければ、英語でもないことを悟っていたので、意識は完璧だ、とおもった。
しかし医者はボクの耳からの出血を気にしている。頭部に重大な損傷があるのではないかと疑っていた。そのままレントゲン室に連れていかれ、頭部の写真をとっている。直ぐに現像された写真をボクの目の前で鋭く見つめる。緊張した医者の顔が緩んだ。耳からの出血は眼鏡のフレームによる傷であると判明した。
もう一つの心配事であった胸部の損傷は右の胸に大きなあざが残っただけであった。肋骨による内蔵への損傷はレントゲンでは認められなかった。大きく呼吸すると胸の奥が痛むのは打撲によるものである。
すでにマシンは大破し、ドクターストップが言い渡されていたのでボクのレースは予選で終わった。スタッフが心配し、ボクはレース当日の朝早く日本に帰国した。
あとで解ったことであるが、ボクのヘルメットは完全に割れており、マシンはまるで圧搾機にかけられた解体クルマのように潰れていた。コックピットはまるで人が座れるような空間は残存していなく、レースチームの殆どはこのマシンをみてボクの安否を気遣ったようだ。
人体が受ける衝突のダメージは見た目と現実は異なるものであるが、クルマの潰れ方で衝突時のエネルギーの大きさだけは想像できた。マシンは程良く潰れ、その結果衝撃力をうまく吸収してくれたようだ。また室内に張り巡らされたロールゲージによって、キャビンの潰れ方が最小限に抑えられた。
シートベルトはレース専用の4点式を装着。バッケットシートと呼ばれるレース専用の頑強なものをフロアに頑丈に取り付けてある。
さらにヘルメットを装着してレースに挑んでいる。それにしてもあれだけ離れていた、体とキャビンの距離が、衝突時になくなってしまうことにおどろいた。ヘルメットは恐らくAピラーにぶつかって割れたのであろう。衝突時にボクの頭は首を中心にして前後に激しく回転したはずだ。シートベルトで肩が頑丈に固定されているだけに、まるで大砲で打ち出されたボーリングのボールのようにボクの頭は大きく激しく動いた。
ステアリングホイールに胸をぶつかると、その衝撃で頸椎にも負荷がかかる。いやその前に頭部には回転モーメントも作用していた。お豆腐のように柔らかく、重い脳味噌は頭内で数ミリは激しく動いたはずだ。
人体が受ける損傷は衝突時の衝撃力だけでなく、その後の人体の移動によるキャビンと二次衝突も大きな問題になることをボクは悟ることができた。衝突によってくるまの速度はゼロになるが乗員はある速度でクルマに向かってぶつかっていくのである。 シートベルトがなければ誰が弾丸のように飛んでいく乗員を防いでくれるのであろうか。ステアリングホイールは衝突時には凶器となることを知っているのであろうか。
ボクが生存できた条件は次のように推定できる。
1)衝突時の衝撃をクルマのボディが吸収したこと
2)乗員がしっかりとシートに拘束されていたこと
3)生存空間が確保されていたこと
4)ヘルメットによって頭部の衝撃が緩和されたこと
5)運が残っていたこと
あるレーシングドライバーはボクの潰れたヘルメットを見て「これじゃだめだ。紹介するからメーカーを代えたほうがいいよ」と親切にアドバイスしてくれた。そのときは本気でそのことを信じた。しかしヘルメットの役目は頭部への衝撃を吸収する事であって、割れないことではない。鉄のヘルメットをかぶっていればぼくの頭はダイレクトに衝撃が加わり、脳は破壊されていたにちがいない。ボクのかぶっていたヘルメットは自ら割れることで、衝撃を吸収し、頭部への損傷を最小限に抑えてくれたのである。気になることは普段はほとんどやらないギャンブルを初めて予選の前の日にやった。そしてちょっと勝ってしまった。運を残す、これがその後の私の哲学になっているのだ。
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クルマの安全 | 日記
Posted at
2008/03/17 16:04:50