2008年12月02日
ところでビッグスリーのクルマが売れなくなったのはリーマン・ショックからではなく、それ以前からじょじょに販売は勢いを失っていました。それでもアメリカのユーザーは自動車ローンを使いながら、高級車を買いまくりました。その結果、本来の自動車のニーズとはかけ離れた販売が増加していたのです。こうした高級車ブームがいつ頃から起きたのか、90年代までさかのぼって考えてみましょう。
原価1万ドルのSUVを2万ドルで売る美味しいビジネスは終わりました。日本やドイツメーカーがSUVをアメリカで販売するようになったからです。乗用車と小型車が日本と欧州メーカー、SUVトラックはアメリカ、という棲み分けが崩壊したのです。
そこで商売の限界を感じたフォードはまるでお年玉をもらった子供のように高級車メーカーを会社ごと買いました。ボルボ、ジャガー、アストン、ランドローバーなどなど。
「良いクルマをどうやって作る?」なんて会議よりも、どうやってお金も儲ける?と考えたMBA出身のボードメンバーやコンサル会社が肩で風を切ってましたからね。このころ、ボードメンバー主宰の晩餐会に招かれると、主賓席は証券や金融アナリスト達で占拠されてました。自動車専門のジャーナリストよりも、株価に影響力を持つアナリストの発言を気にしていたのです。
でも、当時凄腕で知られたフォードのジャックナッサー元CEOはそんな保守的で変化を嫌うフォードを根本から変えたかった改革者として登場したのです。ところが、不運にもタイヤが原因したエクスプローラーSUVの横転事故で、フォードを追われてしまいました。「ジャックこそ、フォードを変えることができる最後の切り札だった」と関係者は残念がっていました。BMWを追われたライツレー氏をフォードのプレミアムオートグループ(PAG)の指揮官に据え、欧州フォードのパリージョーンズ氏と連係をとりながら、フォード改革に乗り出した矢先の失脚でした。この三人はまるで三銃士と同じで、フォード改革の騎士達でした。
でも、ナッサーCEOとライツレー氏がフォードから去ると、一人残されたパリージョーンズ氏は一人で孤軍奮闘しながら欧州フォードを牽引してました。でも、最近定年となりフォードを去りました。今、誰がフォードを、、と思うのです。
Posted at 2008/12/02 19:01:46 |
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持続可能なモビリティ | 日記