2009年01月14日
デトロイトショーで囁かれていたことがいよいよ現実のものになりそうです。今年の東京モーターショーがキャンセルされるかもしれないのです。日本自動車工業会の青木会長は現在見送るかどうか検討中とのこと。どうなるのでしょうか?
しかし、二年前からフィアットやアストンは東京モーターショーに参加していなかったのです。アジアパシフィックという地域で見ると、日本市場は美味しくないようです。ですからこ今年開催しても多くの海外メーカーが参加しないかもしれないのです。そう言えばデトロイトでは日産、三菱、スズキがいませんでしたね。その代わりに中国のメーカーが二社、韓国はキアとヒュンダイが参加してました。
いままでさんざんアメリカで利益を出してきた日本メーカーが、デトロイトが病んでいるときに、社長不在、メッセージ不在では日本の存在感が示せないのです。いまこそ、世界の自動車産業がいったいとなって、新しいクルマ社会を作り上げる、という強い意志を示すべきではないのでしょうか?日本が環境技術でリードしているなら、なおさら、この危機を乗り越え、新しい時代を作ると宣言してほしかったのです。
もし、東京モーターショーもキャンセルしたら、日本メーカーはどこで、どんなコミュニケーションをするのでしょうか?日本は世界から忘れられてしまうかもしれない、と私は危機感を覚えてます。
派手にお金をかけることは控えてもいいけど、こういう時期だからこそ、ビジョンを示すチャンスではないでしょうか?危機意識を高めることは賛成ですが、行動は前向きに明るく行きたいのですが。
時期T社の社長からも自工会に進言してもらいたいと思います
Posted at 2009/01/14 00:29:59 |
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持続可能なモビリティ | 日記
2009年01月13日
つづき~
6)メルセデスとGMは独自技術でリチウムイオンバッテリーの開発と生産を行うと発表してました。
7)三代目プリウスのチーフエンジニアの大塚さんはリチウムだけが次世代のバッテリーではないと述べてました。要は色々なタイプのバッテリーを巧く使い分かることが重要だとのこと。小さなクルマには容積密度が高いリチウムは都合がよいのですが、ニッケル水素もまだ進化するし、その特性に見合った使い方を考えるべきだそうです。
8)アメリカメーカーからは「Range Extender」というコンセプトのハイブリッドがたくさん登場してます。広義ではハイブリッドですが、プリウスとは異なり、ICE(内燃機)を発電機として使うというもの。つまり電気自動車の種族に属すると言われてます。ICEを燃料電池スタックと置き換えると、燃料電池車となるわけです。
つまりEVとハイブリッドと燃料電池車が一つのアーキテクチャーで繋がります。
Posted at 2009/01/13 17:16:34 |
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持続可能なモビリティ | 日記
2009年01月12日
今年のデトロイトは色々な意味で収穫がありました。現在、本業の原稿書きで悩殺されているので、箇条書きで雑感を述べておきます。説明不足もあるので、あくまでも聞き流してください。
1)ビッグ3(アメリカの自動車産業という意味)は間違いなく復活します。初めての黒人の新大統領が生まれるのに基幹産業である自動車産業が潰れることは誰も望んでいないのです。
2)愛国心に満ち溢れたビッグ3のロウンチでした。
3)ドイツメーカーがアメリカの応援団にまわりました。クライスラーの社長だったチェッツ氏は、アメリカに同情的です。
4)ニューディール政策の元数年以内に世界で一番多くの電気自動車が走る国となるでしょう。リップサービスも目立ちましたが、、、。
5)ヘンリーフォードミュージアムに行きましたが、第三代アメリカ大統領のトーマス ジェファーソン氏を讃えるイベントが行われてました。独立宣言し、自由を勝ち取ったと讃えられてます。その自由の象徴が移動の自由であるわけですね。
あくまでも雑感として書きつづりました。
Posted at 2009/01/13 08:47:18 |
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持続可能なモビリティ | 日記
2009年01月11日
私の書き方が悪かったせいか、何人かの方を誤解させてしまいましたこのサバイバルは10年前のことです。今回の寒波はそこまではひどくないようです。さて、10年くらい前の話にもどりますね。
無事デトロイト・メトロポリタン空港からフリーウェイにでると、四車線の道路は雪で積もり真ん中の一車線しか走行レーンがありません。両サイドのレーンは乗り捨てられた乗用車で一杯でした。こんな時はブルドーザーのような大きなエンジンとAWDを武器にするSUVが威力を発揮しているみたいです。二輪駆動の乗用車で走っているクルマは一台もありませんでした。アメリカで生活するなら、アコードを買うよりもアメ車のSUVに限ると思いました。サバイバルできるかどうか。こんな時のクルマのありがたさったら、、。
送ってくれるドライバーは突然「明日モーターショーの会場に送るから自分の家に来ないか」と誘うのです。えっと何度も聞き返しましたが、最初はその真意が分かりませんでした。可能性は二つ。とても親切なアメリカ人。二つ目はオカマ野郎かも。万が一のことを考え、なんとか誘いを断り、ホテルまで連れて行ってもらいました。でも、安ホテルをネットで予約したので詳しい場所まで分かりません。ストリート名が書いてある看板も雪と氷で読めないし、という状況でした。
当時のデトロイトのダウンタウンはシカゴについで犯罪発生率が高い都市と言われていたのは知っていたのですが、ダウンタウンの入り口でクルマから降りてしまいました。
で、地図を片手に氷点下30度Cくらいのゴーストタウンと化したデトロイトのダウンタウンを呆然と歩き、なんとかホテルを探しだしました。
しかし、不運はまだ続くのです、、、。つづきは明日ね(10年前のノンフィクション)
Posted at 2009/01/11 02:20:41 |
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2009年01月10日
マナブくんはフライトの関係で日があるうちに1/9にデトロイトについたみたいですね。こちらはJFK経由でPM1150くらいにデトロイトにつきますぜ。
でも、今回のデトロイトはひさいぶりに寒そうですね。たしか97年頃のデトロイトを思いだします。このとき100年に一度と言われる大寒波が東地区を襲い、ほとんどのフライトが欠航したのでした。幸か不幸か、シカゴ行きのJALは、シカゴ・オヘヤ空港上空で旋回してたところ、たまたま雲の隙間が生まれて、タッチダウンに成功したのです。ところが、どっこい、ここから不運が続きました。
まず、滑走路の端でタクシングで旋回したとき雪の吹きだまりにはまりスタックしたのです。助けにくるべき地上職員は雪のために飛行場に出勤できない状態。
二時間くらいしてなんとかスタックから脱出しましたが、こんどはターミナルに着いてもボーディング・ブリッジを操作する職員がいないのです。なんだかんだで6時間くらいしてようやくターミナルにつきましたが、毛布をくばっているのです。今夜はここで泊まるという意味ですね。
もう、あきらめムードです。
この時、同じ飛行機に乗っていたスバルとホンダのお偉いさんが、私をみつけて「ねえ、レンタカー借りるから、デトロイトまで運転してって」と頼まれたのです。彼らは新車発表があるので、絶対にこの日につかなければなりません。
ブリザードの中、八甲田山の進軍のようなことはしたくありません。曖昧な返事をして混雑する人混みの中で隠れました。こっちはプレスなので、一日くらい遅れても影響はないからです。ごめんなさいK田さん!
でも、不運はさらに続きます。シカゴ~デトロイトの最終便だけが、なんとか飛べるとのアナウンス。JALのフリークエントトラベラーの私は優先的に乗れたのです。これは超ラッキーと喜んだのです。
深夜に近い時間にデトロイト空港につきました。ところが、バゲージクレームのターンテーブルは動いていなし、飛行場の職員が通勤できない状態なのです。自分の荷物をケアするどころではありません。
タクシーでホテルに行こうと外にでたら長蛇の列。外気温は「マイナス8度F」と表示されているではないですか。すぐに摂氏に換算できなかったのですが、真冬の旭川の早朝よりも寒い感じでした。マイナス22度です。ところがタクシーは30分に一台来るかこないか。
途方に暮れているとメルセデスの看板を持ったお迎えの人が欧州からのフライトを待っているのですが、そのフライトも欠航です。その人を口説いて、なんとかデトロイト市内のホテルまで連れていってもらいました。
しかし、不運はまだ続くのです、、、。つづきは明日ね
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Posted at 2009/01/10 10:35:45 |
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