
R32GTRチーフエンジニアの伊藤さんとインタビュー その2
マークⅡ三兄弟との激闘
清水 伊藤さんは、スカイラインは欧州に出さないけど欧州車と戦えるようにと考えたのですか
伊藤 はい、欧州のスポーツカーに対抗できるように。
清水 BMWをイメージしたのですか?
伊藤 BMWとかベンツとか、コレというのはなかったのですが、最終的にはポルシェ944(ターボ)をベンチマークとしました。
清水 901活動が実際に86年に発足すると、開発エンジニアだけでなく評価ドライバーたちも、崇高なプロジェクトに巻き込まれていくわけですね。
伊藤 スカイラインの開発を前提にして第一回901活動は87年の3月に栃木のテストコースで行いました。シャシーベッドを使って前後のサスペンションを組み合わせて実車走行しました。
加藤(日産が誇る評価ドライバー)私は901委員会という意識はなかったですね。伊藤さんの記憶スゴイ。901活動とはR32スカイラインが発表になってから会社が言い出したと記憶しています。
清水 加藤さんは人間国宝だから、901活動の崇高な評価は日常業務でやっている(笑)
伊藤 シャシーが最初に言い出しましたね、90年に世界一を目指すと。その活動の横展開は国内はスカイン、欧州がプリメーラ、アメリカがZ。(R32,Z32、P10)
加藤 そこで車両運動設計グループと新しい呼び方に変わりましたが、やっていることはかわっていない。
清水 加藤さんはやっていることは変わらないと仰いましたが、従来の開発と901を意識したR32スカイラインの開発はどの程度の違いがあったのですか?
伊藤 そりゃ違う。R31を復調するのにタイヘンだったのです。新RBエンジン、新しい4バルブも評判はよくなかった。ツインカムの4バルブはほかにもあったけれどマーク2がダントツでした。性能的にはスカイラインはちょっとだけヨカッタのですが。昭和52年くらいまでは、日産のほうがローレルとかスカイラン、Lクラス、などシェアがトヨタよりも高かったのです。その後、トヨタがマークⅡファミリーにチェイサーが追加、そしてクレスタ。トヨタの高級路線がうまく行って、日産とトヨタとの差が縮まっていく。そこで昭和52年くらいにシェアは同じになった。
清水 記憶に残っていますね。マークⅡ三兄弟で一月に三万台以上も売っていましたから。
伊藤 それでもスカイラインとマークⅡは単独では1980年代初めまではスカイラインのほうが多く売れていました。マークⅡ連合軍では1981年くらいから逆転されましたが。
清水 そんなことがあったから、R31を企画するときに走りのスカイランではダメだと思ったのですね。あんちゃんが作業服を着て、隣に仲間を乗せて、よーいどんで交差点グランプリ。それに比べてソアラは背広を着て、洒落た香水つけて、おにいちゃんがカワイコチャンといちゃつくクルマ。80年代ってカオスだったのかしら。
伊藤 スカイランは信号が青になったらぶっ飛ぶというイメージが強く、スカイラインのイメージが悪くなったと言われていました。そのイメージをR31は取り返すために大人っぽい領域に足を踏み込んだのです。清水さんが理解できなかった都市工学ですね。だから走りのイメージをなくし、アバンギャルドな大人のイメージを作りたかった。ですから2ドアも出さなかったのです。でも、結果は失敗し叩かれた。
清水 叩いた記憶があるな(笑)
伊藤 だから僕はスカイラインをもう一回原点に戻って開発しようと心に決めました。それは求められる性能や機能はいっぱいあって、モノを運ぶとかね。でも、スカイランとは何?と歴史をひもといて、評判がよかったときも悪かったときもある。しかし普遍的なことは走る歓びだろうと。
欧州車は室内が広くて豪華で喜ばれた例はあまりない。スカイラインに期待されるモノを書き出し、何を優先するのか議論しました。走りとスタイル。でも、全部はできない、お金もかかるしね。優先事項は絶対にやると決めました。
清水 なるほど。ほかのクルマにないようなヤツが必要なのですね。7thのCDプレイヤー6連装を自慢していましたが「何だこりゃ」と思いました。そんなことやるくらいなら走りをよくしろとね。スカイラインに期待しないモノをいくらやっても喜ばないですから。
伊藤 期待される的を外しちゃいけないと肝に銘じました。ターゲットを絞ったクルマにしよう。スカイライン=走り。軽量でコンパクト、強力なエンジンに立派な足回り。荷物を積むとかキャビンが広いとかはクルマとし大切ですが、スカイランとしてどっちの優先は何か。それまでの日産は新車を開発するときに前のクルマよりマイナスになることはやらなかった。提案しても通らなかった。
清水 結局頭で考えるかた、ワケのわからないクルマだらけになったのですね。ところで開発主管がやりたくても通らないというのは、主管以上に、権力を持った人がいるのですか?
伊藤 そりゃいろいろと、、、営業サイドとか、売れなかったらオレが責任持てないから協力できないとか。大会社だから、プロジェクトの主管がこれをやりたいと思っても、プラモデルならできるけど。
清水 そのクルマでメシを食っている人がたくさんいる。日産の人、ディーラーの人、部品メーカーの人。
伊藤 だから失敗すると、ホントにミジメ。悪かったヤツをマイチェンで直そうとしても手遅れ。ぼくは何回もやって、マイナーだけ担当したこともあるけれど、失敗したヤツをマイチェンで直そうとしても直らない。イクラ手を打っても回復できない。だから最初から、失敗しちゃイカンと。スゴイ緊張感があるけれど社内の合意を得ないといけない。それでみんながよしこれでやろうという気になってくれれば、いいクルマは作れないのです。
清水 そこに901活動があった。
伊藤 世界一をやろうと。
Posted at 2012/07/02 16:04:29 |
トラックバック(0) |
感動シリーズ | 日記