三沢市の青森県三沢航空科学館で今月、旧日本海軍の艦上偵察機「彩雲(さいうん)」の垂直尾翼の正式展示が始まった。大崎市の愛好家から科学館が借りて紹介。機体の一部を含めて国内に実物はほとんどないといい、科学館は「一緒に展示されている旧陸軍機の実機と合わせ、本物の機体から全体の姿を想像してほしい」とPRする。
科学館によると、彩雲は1943年に試作機が完成し、翌44年に運用開始。機体は3人乗りで398機が生産された。最高時速639キロを記録するなど旧日本海軍で最速の航空機だった。
展示されている尾翼は太平洋戦争中のテニアン島で捕獲された機体の一部。米国の元海兵隊員が調査のため他の部品と共に本国に持ち帰った。その後、遺族がアンティークショップに出品。大崎市の愛好家小野寺強さんが購入した。
小野寺さんはこれまで、科学館にさまざまな航空機や戦闘機の模型を寄贈するなどしている。今回、尾翼の存在を多くの人に知ってもらうため、各地の博物館に貸し出したいとの意向があり、科学館での展示が実現した。
会場には尾翼のほか、中央座席の搭乗員が使った計器盤などもある。科学館渉外広報グループの引地勝博マネジャー(65)は「この尾翼は物言わぬ歴史の証人。本当に貴重な実物をぜひ見てほしい」と話す。
展示予定は2018年10月まで。連絡先は三沢航空科学館0176(50)7777。
帝国海軍艦上偵察機「彩雲」、これって当時の軍用機中屈指の傑作機だよねえ。小径大馬力の誉を生かすために細く絞った胴体と直系の大きいプロペラの回転スペースを取るために長く突き出した脚が特徴のきれいな機体で速度も試験飛行では海軍機としては最高の640キロほど、実用機で600キロ強を記録したらしい。要求性能を満たすためには高度6千メートルで2千馬力が必要だったそうだが、誉は1600馬力しか出ないので不足の400馬力を機体設計で補ったそうだ。当時としては600キロそこそこなど世界的なレベルでは高速機などと言うのはおこがましいが、それでも日本では主敵のグラマンF6Fよりも速い高速機だった。しかし戦後米軍が電装系などを米国製にして米国のガソリンとオイルを使って試験をしたら694.5キロを記録して米軍を驚かせたそうだから機体としては立派に要求性能はクリアしていたことになる。その性能が出せなかったのは当時の日本には物資もなく技術力も低かったからでそんな国が物資が豊富で技術力もはるかに上を行く米国などにケンカを売ってはいけない。当時の日本の軍用機は米国でテストをしたらどれも速度が10%ほども向上したと言う。そうすると零戦52型で620キロほど、紫電改で660キロ強、高速を狙った彩雲が700キロと言うのも「そんなものだろう」と言うところだろうか。この機体、実機があれば目を引くようなきれいな機体だろう。彩雲はその名の通り色彩なす雲に乗って天に昇ってしまったのかもしれない。
Posted at 2017/11/19 12:44:57 | |
トラックバック(0) |
軍事 | 日記