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ガオブルーのブログ一覧

2021年10月17日 イイね!

江藤新平VS井上馨

大河「青天を衝け」では、江藤新平も出てきていよいよ明治政府編クライマックス
というところでしょうか。

江藤新平は司法省のトップで、様々な法律や裁判制度をつくり、全国あちこちに
裁判所をつくりました。しかしそのために莫大な予算を必要とし、大蔵省に
要求しますが、大蔵省のツートップ井上馨・渋沢栄一はそれを拒絶しました。

また、裁判所で得た罰金刑による収入を国庫に入れず、司法省だけで使うことを
主張し、井上・渋沢と対立しました。
渋沢栄一&井上馨と江藤新平の対立

大河では詳しくは描かれませんでしたが、こんな背景があるんですね。

結局争いに負けた井上・渋沢は政府を辞めることにしましたが、その時に
政府に建議書を出すと同時に、マスコミにもそれをリークします。
政府は慌てて釈明しますが、マスコミに漏れているため、ヘタなごまかしは
できませんでした。このことがきっかけで、国家予算が公開されるようになり、
国家予算の明朗化が大きく進むことになりました。
内閣との大喧嘩で大蔵省を辞職

下野した後の渋沢は、11月からの実業家編で描かれるでしょう。
井上馨の出番は、それ以降はほとんどないと推測してます。残念ですが。

江藤はその後、征韓論争で負けて下野し、故郷で佐賀の乱を起こし、鎮圧・
処刑されます。後に同様の乱を起こす西郷さんや前原一誠と同様、武士の
既得権益を守ろうとしたと言えますが、武士中心の古い価値観から
抜け出せなかったとも言えます。

大河では、大久保がメインの悪役に描かれているので、江藤はそこまで悪く
描かれないとは思いますが、どうでしょうか。
明治政府編も今月限りでしょうから残りも思い切り楽しみたいです!
Posted at 2021/10/21 00:21:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 幕末 | 日記
2021年10月10日 イイね!

「KTダイナー」@広島県国道186号沿い

美術館鑑賞の後のお昼は、アメリカンダイナー「KTダイナー」へ。
いつもの雪上テストコースの国道186号を、大竹市方面に下る途中にある。
道の駅「スパ羅漢」と、小瀬川温泉のちょうど中間あたり。

この周辺には、何故か洋食レストランやカフェが連立しているのだ。

間違えて隣の隣の「ヒルバレー」の駐車場に入ってしまったけど(こちらも
よさそうなお店だった)、店を確認してクルマを停め直してお目当てのお店に入る。


予約が無いので少々待たされたけど、テラス席に案内された。凄い人気店のようだ。
テラス席は、大きな鯉が泳ぐ池などが眺められる。

日本の山奥の風景で、アメリカンなレストランww とても楽しい。

メニューはこんな感じ。



自分は水色のページの一番上、ハンバーグとステーキのコンボ。
食料大臣はオレンジ色の一番上、ステーキの単品で。

コンボのステーキは小さめかと思っていたけど、食料大臣の単品ステーキと
ほぼ同じ大きさ。肉をおかずに肉を食べられるぞ。肉食人には嬉しいプレートだ。
ハンバーグソースは、ケチャップ&マヨ&マスタード風味のなんだか懐かしい味。
このソースとフライドポテトがとても良く合う。ステーキ自体は、塩コショウの
シンプルな味付け。赤身肉だろうけど、細かく切れ目が入っていて十分柔らかく
いただけた。

ドリンクは、自分はアイスコーヒー、食料大臣はコカ・コーラだったんだけど、
そのコーラにビックリ。アイスコーヒーと同じサイズのグラスに一杯と、
さらに180ml瓶のリフィルがついてくる! アメリカンなサイズだww

こんな山奥でも予約客も多い人気店。店員さんの対応もとても良くて、
アメリカと日本の良いところハイブリッドなレストランでした!
Posted at 2021/10/20 01:14:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | グルメ | 日記
2021年10月10日 イイね!

ウッドワン美術館@めがひらスキー場

この日は、食料大臣のリクエストでウッドワン美術館へ。

ずっと前に立ち寄ったことのあるスキー場に併設されている美術館だ。

食料大臣のお目当てはガレなどの、新館常設展のアール・ヌーヴォーのガラス作品
だけど、現在開催中の「江戸の遊び絵づくし展」が面白かった!
そのほとんどが写真撮影可だったので、ここで紹介します。

自分が一番気に入ったのが、七福神の作品。

旧字体の「壽」を組み立ててます。

こちらは白いネズミが、七福神にお供え物。

可愛い。こういう縁起物で、庶民は楽しんでいたのです。

判じ物で作られた地図。

我らが長州は、長門=長い砥石で表現されてますww
解説はこちら。


オヤジギャグなどと言われますけど、ダジャレって昔から愛されていたんですね。

「かつを」と「ふぐ」


鰹には猫が食いついているけど、毒魚のふぐには距離をとっているとのことww

遊郭の客を鳥に見立てた絵。

鳥獣戯画もそうですが、古来のマンガ文化ですね。

ガリバー旅行記のような話・絵もありました。

東洋・西洋を問わず、こういう話が共通して面白がられる、というところが
面白かったです!

新館の前の池。

水は流れているのですが、水の流れを感じさせないキレイな池でした。

新館の常設展はアール・ヌーヴォーのガラス作品はもちろん、薩摩焼・マイセン磁器、
とても豪華絢爛なものでした。楽しかった~!
有名な、岸田劉生の「麗子像」はありませんでしたので、岸田劉生展があれば
また来たいですね!

Posted at 2021/10/16 12:25:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年10月03日 イイね!

【幕末ファン向け】木戸のいない大河~一方その頃木戸は・・・

今回の大河「青天を衝け」は、幕末大河ドラマとしてとても面白くて気にいってます。
1.幕末ものではあまり描かれない水戸藩の出来事が多く描かれている。
(ただし、戊午の密勅については省略されている)
2.幕末イベントパートとホームドラマパートのバランスが良い。
3.当時の武士の価値観・考え方もきちんと描かれている。
4.幕末ものなのに、長州藩や龍馬の出番がほとんどないww
5.幕末もので省かれがちな明治政府時代も描かれている。

薩長+幕府のイベントを描くだけでも1年で収めるのは大変なのに
(ましてや2月スタート+五輪パラ輪の休止で放送回数が極端に少ない)、
水戸藩やホームドラマパートを充実させようとすると、どこか省かれるのは
しょうがないですけど、ま、それが長州藩と龍馬だったというわけです。

長州ファンとしては残念ですが、それでも面白く描けるのは凄いことです。

おかげで明治になっても、小五郎こと木戸孝允の出番は全く無し!
一応、ちらりとセリフの中で「木戸さんが・・・」などと出てくるのですが、
キャストが発表されてないので、出番が全く無いことは間違いないわけです。

でもなあ、明治政府の最初期~五箇条の御誓文までは実質木戸が明治政府の
政策決定の最終責任者であり
、岩倉使節団派遣までの廃藩置県などの政策は
木戸と大久保が両トップで決めたわけだし、薩摩閥以外の政治家、例えば
大隈重信などは木戸がバックにいたからこそ、活躍できたわけで。
この時期に木戸の存在が全く無視されているのは、非常に歯がゆいです。

なので、木戸がこの時期に何をしていたのか、簡単に紹介しましょう。
元ネタは、自分が勝手に妄想した木戸を主役にした大河のプロットです。
4クール全51話分あるのですが、第3クールの後半の部分(32話~38話)を
抜粋します。

タイトルは「小五郎と木戸~白雲を望む」

32 明治新政府:戊辰戦争の進行中にも、新政府のための木戸の打つ手は止まらなかった。総裁局顧問を拝命されると、直ちに様々な政策を建白し、新政府の最初期の方向性を決定づけた。一方、1868年(明治元年)には幾松との結婚に向けて動いており、1869年(明治2年)6月には東京で一緒に暮らしている。その頃には、帰国した長州ファイブの残りの3人も政府の要職につき、殖産興業の推進に尽力していた。
薩長同盟の折に長州まで迎えに来たことがある薩摩藩士黒田清隆が酔って暴れていたので、木戸は簀巻きにして締め上げ、自宅に送り返した。それ以降も黒田の酒乱は止まなかったが、木戸には頭が上がらず、むしろ親交を深めるようになった(史実の時期は不明、おそらくは同様のことが複数回あった可能性もある)。

33 五箇条の御誓文:木戸の明治政府最初の業績は、1868年(明治元年)の五箇条の御誓文関連であった。すなわち、由利公正の原案・福岡孝弟の修正案を加筆・修正し、完成させたのが木戸であった。さらに木戸は、天皇が神に対し宣誓するという形式にすることに決定した。また、版籍奉還の建白書も江戸開城の2ヶ月ほど前に出されている。戊辰戦争の終結は、1869年(明治2年)5月であり、その間には徳川家や会津藩など旧幕府軍の戦後処理にも関わっており、厳罰論を主張した薩摩閥に対し、徳川慶喜や松平容保の寛典論を主張したのは木戸ら長州閥であった(戦後のフィクションにより誤解が広まっているが、こっちが史実)。
木戸らの主張通り、慶喜や容保はその命を免れた。その直後には靖国神社の前身となる「東京招魂社」を創建し、明治3年には桜を植えた。
渋沢栄一や、平田東助(米沢藩士)、有地品之允(長州藩士)ら多くの人の家を突然訪ねることがあった。人材発掘・育成・登用のためである。彼らそれぞれが対応に追われ、困惑したことを後から回想している(渋沢は明治4年の春としているが、他の2人の史実の時期は不明)。

34 版籍奉還:土地を治めることを土台とする封建制は、版籍奉還・廃藩置県により終焉を迎えた。その中で、領主の代わりにその土地に配置される知藩事(後の都道府県知事)の世襲を認めなかったのが木戸であった。これにより江戸時代の連邦制国家から、中央集権国家としての形が方向づけられた。一方この時期に大村益次郎と共に提案した徴兵令を中心とした兵制改革は、採用されなかった。大村は1869年明治2年に暗殺され、明治6年に徴兵令が制定された。

35 脱退騒動:倒幕に成功した薩長軍であったが、そのための兵力は、維新後にはむしろ新政府の財政を悩ませた。そのコスト削減のための兵制改革は採用されず、薩長土の限られた兵のみが御親兵として採用され、残る兵は解散(=無職)に追いやられた。特に「身分差に関係なく採用された」はずの奇兵隊を始めとする長州諸隊の反発は強かった。攘夷を旗印としていた倒幕派が、新政府となってからも諸外国との交流・開国を続けていたのも、隊士には不満だった。木戸は、明治2年のこの脱退騒動の鎮圧に赴き、首謀者を処罰、諸隊士には米を与えたり、様々な職を紹介したりした上で解散させた。

36 廃藩置県:薩長すなわち木戸と大久保の主導のもと、明治4年廃藩置県が実施された。同時期に木戸が提案した内閣・議会制は時期尚早として実現されなかった。
明治4年、木戸や、伊藤博文、井上馨、大隈重信らの行動や私生活を政敵が内偵した文書を押収することが出来た。その時木戸は「そんな書類を見れば、無益な恨みを醸すのみで、何の益するところもない」と叱りつけ、一切目を通さずに焼き捨てさせた。大隈は「大度量に敬服した」と、木戸の処置に感嘆した。

37~38 岩倉使節団:諸外国との交渉のため、および海外視察・情報収集のために使節団が米欧に派遣されることが決定し、明治4年11月に出航した。これにより明治新政府は、使節団組と居残り組とに分断されることになった。一方、明治5年には日本最初の鉄道が開通したが、そこには長州ファイブの井上勝・山尾庸三や佐賀出身の大隈重信らの尽力があった。




特に33話に入れた、渋沢栄一の家を木戸が突然訪ねたエピソードは、大河にも入れてほしかったですね・・・


【追記】
渋沢の木戸評の中でも、自分が好きな一文。
「私のような元徳川の家来でございましても、一向垣壁を設けず、偏狭でなかったようであります」
幕臣土肥の方々は皆、同じようなことを仰ってます。
 ⇒なので、身内の伊藤ら長州閥から文句を言われますww そりゃ鬱になるよww

それ以外の評は、下記のウィキをご参照下さい。
Posted at 2021/10/15 00:34:09 | コメント(0) | トラックバック(0) | 幕末 | 日記
2021年10月03日 イイね!

大河ドラマ「青天を衝け」の井上馨

ようやく、ちょっとだけですが井上馨が出てきました。

井上馨は、面倒見の良い親分肌の人物で、お金をどこからか集める才能がありました。
長州ファイブの留学費用1人当たり1000両は、藩に商人から借りさせるという形で
都合をつけました。ただ、高杉晋作もそうなのですが、公金と私財の区別が曖昧で、
長州藩内ではまだ何とかなったのですが、明治政府でも同じことをしてしまい、
江藤新平につけこまれて、渋沢栄一とともに下野することになります。
現代でもカネに汚い政治家と思われていますが、維新時には必要な才能の持ち主で
あったと思います。

演じる福士誠治も良い俳優さんです。豪快そうな表情とセリフを魅せました。
そして、このメーク。

左眉と左のほうれい線の脇に刀傷がありました!
【追記】この写真ではちょっとわかりにくいけど、右頬にも大きな刀傷がありました。

良くやってくれました、大河制作スタッフ!
俳優さんのイメージを損ねるほどでもなく、良いメークだと思います。

明治の元勲漫画では、井上馨には必ず顔に傷が入っていますからね。

(相生リサコ:サイトはこちら

(カラ松:サイトはこちら

では実際はどうだったんでしょう。ネットでざっと調べてみると

この写真がわかりやすいでしょう。左眉の上、左目の下、そして左のほうれい線に
ほぼ平行した傷が見えます。

左の頬はわかりませんが、左目の下の傷が生々しい写真。


シワかも?と思われるかもしれませんが、もう少し若い頃の写真でも

画質が悪くても、シワは見えないけど3か所の傷がはっきりわかりますね。


栄一と馨が一緒に仕事をしたのはわずか2年ですから、大河でもあまり出番はないと
思われますが、せっかくここまでメークしたキャラなんですから、いいエピソードで
一つくらい見せ場があると良いですね~!



【さらに追記】
当時の文献複数に、右頬に傷が残ったとの記述がありました。さらに検索して
みるとこんな写真をみつけました。井上馨かどうかは明らかではありません。

逆にこれは修整で後から付けたような感じですけどww
明治になってからの馨の写真は、傷を消すように馨本人が修整させたという
逸話もあるそうです。

自分は、右頬、額左(左眉)、左眼下の3つが良いかと思いますww
なので上の写真で上げたように今回の大河のメイク、改めて良くやったと思います。

ちなみにこちらがウィキにあった明治2年、つまり襲撃後で若い頃の馨の写真。

こちらは、ほとんど傷がわからないんですね。。。。残念。
修正させたのか、ホントに無かったのか、ホントはあったのか。。。
Posted at 2021/10/10 08:30:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 幕末 | 日記

プロフィール

「九重阿蘇ドライブ:その1~戸次本町 http://cvw.jp/b/285856/47431004/
何シテル?   12/27 04:47
前々愛車のライオンマークが、ハンドル名の由来です。
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