
クラちゃんの野球チームは8人だった。つまり私は能力
だけでなく、その存在自体に大きな価値が有った訳だ。
クラちゃんが、鬼気迫る表情で私を迎え入れたのには、
切羽詰った事情があったという事だ…。
私がドラフトされてから数日間は、何事もなく平穏な毎日だった。学童の児童達は、各々自分の
好きな事をして過ごしていた。当然の様にクラちゃんチームの面々と言えば…。“怪獣博士”は、ウ
ルトラマンシリーズから、仮面ライダーシリーズの怪人図鑑の方へ進出しており、“ヒヤシンス”は、
相変わらず、何処から仕入れて来たか分からない球根を、大事に大事に愛でる様に扱っていた。
“絵描き”は、公園の隅で大きなアリの巣を模写していた。そして、“マユミさん”はと言えば…。
こんなに居たのかという位の女子を引き連れ、ゴム跳びに興じていた。どうやら“マユミさん”は、
あくまでクラちゃんチームの、“後見人”の様な存在であって、“本業”は、女子のリーダーという事
だった。現代風に言えば、“社外取締役” と言った感じであろう。だからと言う訳でも無いと思うが、
学童の女子の中に、男子からイジメられる子はいなかった…。
「♪ロ~ンドンブリッジ~落っこちたぁ~♪」
明るい歌声と共に、軽快なステップでゴムを跨ぐマユミさんの姿は、カワイイと言うよりは、ダイナ
ミックに感じた。一目で、運動神経抜群なのが見て取れた。そして私はと言えば、当時流行ってい
たトランシーバーで、探検ごっこをしていた。学童にも拘らず、結構金持ちの子も居たのだ。その子
がいつも最新式のオモチャを持って来てくれていたので、私は楽しいひと時を過ごす事が出来た。
ただし、本当に“ ひととき”であったが…。
或る日、私が“スネ夫”の様な、その金持ち息子とトランシーバーで遊んでいた時、まさに台風が
学童に上陸しようとしていたのだ…。
楽しげに遊んでいた、“スネ夫”の声と表情が、一気に曇ったのだ。何事かと振り合えると、そこに
“ゴリライモ” こと、ジュンちゃんが仁王立ちしていた。私が挨拶をしようと向き直った瞬間、突然ジュ
ンちゃんに胸ぐらを掴まれた。
「お前、なにやってんだ!」
私は突然の事に、訳も解らず、
「…キイハンターごっこ」
と言った。ジュンちゃんは怒りに満ちた表情で、私を突き飛ばした。私は何が何だかさっぱり分から
ず、スネ夫に視線を向けた。しかしとっくの昔にスネ夫は逃げていた。
「お前はクラのチームだろうが! 俺の子分にチョッカイ出すんじゃねえ!」
その言葉で初めて、スネ夫がジュンちゃんのチームであるという事が判った。
「しかしそれがナンダというのだ!」
私はただ単純に遊んでいただけであり、別に敵対するシステムを構築する筈も無かった。
とは言え、目の前には、私の身体を遥に凌駕する体格のゴリライモが立ち塞がっている。流石に
怖くないとは言える筈も無く、ただそこに佇んでいるのが精一杯だった。
「お前は、学童の決まりを破った! 故に、お前を制裁する!」
憶えたばかりと思われる、大人っぽい語句をドヤ顔で宣言し、ジュンちゃんは立ちすくむ私に殴り掛
かってきた! 彼の拳が私の顔の左前方から迫っって来た時、頭より先に身体が反応した。スッと
左にかわし、ジュンちゃんの第一撃を避けていた。自信に満ちた攻撃をかわされ、一瞬キョトンとし
たジュンちゃんではあったが、ソレが逆に闘志に火を点けたらしく、より激しい攻撃を私に向けて来
た。雨あられと降りかかるパンチやキックを、しかし、私の身体に叩き込む事は出来なかった。私は
華麗な動きで全ての攻撃を捌いていた。周りの野次馬の目付きが変わっていた。
「あんなチビが、ジュンちゃんと闘っている!」
ジュンちゃんの圧政に、内心不満を持っている子達が、私に対して憧れの表情を見せ始めた。
「これで、学童の歴史が変わるかもしれない…」
そんな期待に満ちた眼差しだった…。 んが、当の私はと言えば、実は深刻なジレンマに陥ってい
たのだ。それは至極単純な事。つまり、“反撃” という事をしなかったのだ。
避ける事は出来る。しかし、反転攻撃する事が出来なかったのだ。というよりこれは、
「他人を殴ったりしてはいけない」
との親からの教育が徹底していたからに他ならない。故に、人を叩く術を知らなかったのだ。だから
私は、とにかくゴリライモの攻撃をかわし続けるしかなかった。“専守防衛”。 正に自衛隊の様な態
度であった(苦笑) 今から思えば、とっとと、その場から逃げ去ればいいのだが、何故かゴリライモ
の攻撃に合せてその場でよけていた。すると息の上がって来たジュンちゃんは堪らず私に向かって
怒鳴った。
「おい!こら! 卑怯者! 逃げるんじゃねえ!!」
これも今だったら、思わず爆笑するセリフだが、当時の私にそんな余裕は無論無く、必死でかわす
だけだった。
「このチビ!逃げるんじゃねえって言ってんだろ!!」
何度となく続く罵りだったが、その言葉の理不尽さに、ようやく私も気が付き始めた。すると一気に
私の反骨精神がムクムクと擡げ始め、それはあっという間に臨界点を越した。そして私は初めての
行動を起こす!
「このデブ!! “攻撃”するんじゃねえ!!」
口での反撃だった(苦笑)
この辺りにも、人を必要以上に激怒させるセンスが見え始めていた(苦笑) とは言え、私が他人様
に対して、遊びやスポーツ以外で反撃したのはこれが初めてであり、私にとってメモリアルな出来事
と言えた…。
そうこうしている間に、増々ジュンちゃんの動きは鈍くなり、次第に泣き始めたのには吃驚した。
「うわーんん!!お前なんか!お前なんか!」
まるで“ロボコン”の様に両腕をブンブン振り回し、私にカミカゼアタックを仕掛けてくる。その時、思
わずジュンちゃんの顔を凝視した私は、その表情に釘付けになった。ゴリライモの様な顔が、更に
醜く歪み、涙・鼻水・涎を垂れ流しながら真っ赤な顔で突進してくる姿に、私の中に、“笑いの神” が
降臨してしまったのだ!
「ぶふぁははは! ギャハハハハハ!!!」
私は今まで生きてきた中で、3回程、笑って死にそうになった事が有るが、コレはその記念すべき
第1回目だった(爆) 腹を抱えて笑うという事が、本当に有る事を初めて知った。故に、蹲って笑い
転げる私を捕まえる事は、どんな運動音痴でも非常に簡単であった。私はあっさりとジュンちゃん
に捕まり、馬乗りされたまま、パンチを受け続けた。
「コイツ!コイツ!コイツ!」
私はボコボコと殴られている中、しかし、涙を浮かべて笑い続けていた。
「ヒッ!ヒッ!ひっ! ぎゃははははははは!」
完全に、“笑い”が“痛さ”を超えていた(爆)
親兄弟以外に殴られた事は無かったので、これも初めての事だったのだが、殴られたという
記憶が未だに薄い・・・(笑)
つづく