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2015年04月05日

英雄たちの選択「久坂玄瑞」

この日は天気も良くなく自宅警備に専念、録画していた「英雄たちの選択」を観賞しました。
テーマは久坂玄瑞。今のところ「花燃ゆ」では何をした人か、ちっとも描かれないので
やきもきしていましたが、この番組のおかげで凡そ理解できたような気がします。


まず冒頭では、時代が大きく変わるには三段階あって、戦国時代なら織田信長・豊臣秀吉・
徳川家康となり、幕末なら吉田松陰・高杉晋作と久坂玄瑞・そして桂小五郎となるという
解説にはとても納得しました。小五郎は家康に似ていると自分も前から思っていましたが、
その前の段階いずれも、確かに対照的です。


文と結婚後江戸に遊学に出たのは史実で、医学を学びつつ、雄藩の志士たちと交流を結んで
いたそうです。ただ自分が勝手に想像するに、この時機はそれほど過激な攘夷論は交わせない
と思うんです。薩摩・土佐・越前・宇和島の四賢候の藩とは違って、長州藩はこの時点では
幕政にノータッチだったし、江戸から遠く離れた萩とは違って、将軍のお膝元ではどこで
話が漏れるかわからないですからね。

おそらく玄瑞は初めての江戸で勉学に専念していたのではないでしょうか。長州藩でも
コレラが流行したのは史実のようですし、藩医としてなんとかしたいと思ってないわけは
ないと思います。

「風雲児たち」では村田蔵六の私塾鳩居堂に通っていて、オランダ語はできなかったが、
医学では優秀だったというエピソードが描かれています。この頃、蔵六は幕府側で働いて
いましたし、蔵六経由で幕府に「鬱陵島開拓」の許可を願い出たという史実もありますから、
幕府との関係も悪くはなかったと思われます。「花燃ゆ」では、攘夷の志を秘めて江戸に
発ったとか、医学を学べという藩命に背いたと描かれてましたけど、これは創作でしょう。


実際に玄瑞が活躍したのは、松陰先生の死後、そして井伊大老が暗殺されてからのことです。
これにより幕府の権威が地に堕ち、政治の中心は京に移ることになりました。

玄瑞は、松陰先生の死を尊王攘夷運動のシンボルに祀り上げ、攘夷運動を諸藩の志士達や
公家に広めたそうです。特に玄瑞は、人を説得する(番組では入説と呼んでました)のが
抜群に上手く、聞いているほうはいつの間にか「ああ、そうなのか」と納得してしまう
くらいだったそうです。今でいうカリスマ性もあったのかもしれません。

武市半平太の使いで龍馬が萩で玄瑞に会ったことは、幕末ファンの間では知られていますが、
その直後に龍馬は脱藩してますし、龍馬の人生にも大きく影響を与えたことは間違いありません。


玄瑞は京都で政治工作を進め、多くの公家から長州藩への支持をとりつけました。
時の孝明天皇も攘夷の勅命を出し、それに応える形で長州は外国船を砲撃(1863年5月)、
勅命に従った唯一の藩となりました。さぞ玄瑞は喜んだことでしょう。玄瑞の絶頂期でした。

しかしこれに面白くないのがもう一つの雄藩、薩摩藩です。薩摩は名君斉彬公の死後、
政治的影響力が低下していて、長州の台頭を苦々しく思っていたのです。薩摩は、幕府・
会津藩そして反長州派の公家と協力し、長州藩と長州派の公家を京から追い出します。
これが8・18の政変です。

なんとか挽回を図りたい長州藩は、孝明天皇に直訴しようと挙兵を決意します。
これが禁門の変です。当初玄瑞は、小五郎や晋作と同様挙兵に反対したのですが、
藩論には逆らえず、挙兵に加わります。

そして京の郊外で陣を張ったところで2つの選択肢があった、というのが今回の番組の
テーマでした。

1つは1カ月ほど遅れて到着する長州からの援軍を待つ。
もう1つは、積極的に進軍する。

援軍を待てば勝機はあるかも知れないが、その間持ちこたえられるかどうか、しかも
幕府軍側にも応援が来る可能性もある・・・
積極的に進軍しても、多勢に無勢、到底叶わない。しかし1人だけでも御所に辿り着く
ことができたら、直訴のチャンスもあるかも・・・

実はこの時既に孝明天皇は長州を見限っており、直訴しても到底念願を果たせないことは
明らかなのですが、それを長州は知る由もなし。。。


結局、玄瑞は援軍を待つように主張するも、「医者坊主」という強硬派の挑発に乗ってしまい、
やむなく参戦。結果命を落とすことになってしまうのです。


この後は、長州は下り坂を転げ落ちるようにどん底に・・・4カ国連合国からの攻撃と
幕府による長州征伐にさらされてボロボロになってしまうのですが、その後の話は
また次の機会に。

この天晴な志士の生き様、「花燃ゆ」ではどう描かれるでしょうか・・・



ちなみにこの番組、今週木曜日は朝に龍馬、夜に井伊直弼が取り上げられます。
幕末ファンは必見だ!


このブログの「幕末関連記事」バックナンバー
松陰先生
近藤勇
鍋島直正
桂小五郎と薩長同盟

ブログ一覧 | 幕末 | 日記
Posted at 2015/04/06 23:20:05

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この記事へのコメント

2015年4月7日 8:35
こんにちは。私も英雄達の選択見てますよ。
中々面白い番組だと思います。(^^)
コメントへの返答
2015年4月7日 23:38
鷹キチさんもファンでしたか!
各パネリストが、それぞれ違った視線で語って面白いですよね~。

今後も幕末関連の人物は、解説していく予定です。お楽しみに!
2015年4月7日 17:26
こんにちは。

こんな番組があるんですね~知らなかったです。
久坂さんは禁門の変に反対してたのですね、初めて知りました。
禁門の変といえば真木和泉とか来島又兵衛ですよね・・・
三家老でしたっけ?強硬派。

こないだ京都に行きましたが、京都市中かなりの焼失だったらしいですね。
御所あたりで内と外からバンバン撃ち合いしただけじゃないんですよね。

長州にしてみれば薩摩と会津憎しはこれで決定的に・・・
コメントへの返答
2015年4月7日 23:46
毎週木曜日に放送してます。是非ご覧ください。幕末ネタも多いですよ!

久坂さんは、その真木和泉や来島又兵衛に押されて、やむなく参戦。惜しい命を散らしてしまいました。

三家老は、長州征伐の時に責任を取らされて切腹でしたが、そのおかげで長州藩はしぶとく生き残ったのです。

戦乱の中で、情報や人々も混乱してましたし、たぶん放火工作などもあったのかもしれません。

京都、良いですよね~。また行きたくなりました。

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