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2015年07月27日

ジレンマを持っていても、単なる興味本位でも

ジレンマを持っていても、単なる興味本位でも 調布の小型機墜落事故。
そのニュースに関連して、ネット上でこんなコメントを見ました。

これ調布市民の民度低いのが分かるわ…。他人の悲惨な火災現場をスマホで動画撮ったり、インタビューでペラペラ喋りまくってるご近所さん怖い…。

火の海だったから助けられなかったとしても、他人の家の火事をずっと撮影し続けるって失礼なことじゃないかと思います。








これって、昔からある“カメラマンのジレンマ”ですよね。
プロの報道カメラマンは常に
『救助が先か、取材が先か』
というジレンマを抱えて仕事をしてきたわけです。





この写真を見たことがある人は多いと思います。
日本社会党委員長・浅沼稲次郎が演説中に右翼の少年に刺殺された事件です。

この写真を撮った長尾靖さんは、当時毎日新聞のカメラマンで、日本人で初めてピュリッツァー賞を受賞しました。
しかし
『写真を撮る暇があったらカメラを投げつけてテロをとめるべきだ』
と批判されたと言われています。



その極致にあるのがこの写真です。

これも、報道や写真の世界にいない人でも一度は見たことがある写真だと思います。
ケヴィン・カーターというプロカメラマンがスーダン内戦を切り取った一枚、「ハゲワシと少女」です。

ケヴィン・カーターはこの写真でピュリッツァー賞を受賞し、その後、自殺しました。

世界中から、「どうして子どもを助けなかったんだ」という批判が殺到したことが自殺の原因だったと言われています。


これについて、ある専門家の文章があります。
私がうだうだ書くよりも、まとまっていて説得力もあるので引用します。

~引用ここから

この1枚、「ハゲワシと少女」が世界に投げかけたメッセージは、
ケヴィンの予期した「アフリカの貧困」についてではなく、
期せずして「カメラマンは記録者か当事者か」という、
極めて倫理的な問題にすり替えられてしまった。

例えば、想像してみると理解しやすい。
あなたは通信社に勤める報道カメラマンで、
世界的に有名なピュリッツァー賞を狙っている。
そこで、「スーダン内戦の悲愴」を写してこいと
またとない出世のチャンスが巡ってきた。

現地で思うような絵が撮れなかったが、
最終日に、餓死寸前の少女と、それを見るハゲワシを目にした。
「スーダン内戦の悲愴」を伝えるのに象徴的なイメージが浮かんだ。

その時、あなたは迷わずシャッターを押すのか、
あるいは迷わず少女にパンと水を差し出すのか。

「迷うなあ。」
私の友人は、この問いかけに、まずそう答えた。
おそらく最も多く、最も人間的で、そして最も駄目な答えだ。

迷ったならシャッターチャンスは逃すし、少女は死ぬだろう。

目の前の助けられるかもしれない命の犠牲を撮影することで、
その1枚に心を動かされた数万の人々が多額の募金をする、
その結果、数千人の餓死者が救われる。
果たしてそれは正義なのだろうか。

少なくとも私がケヴィン・カーターだったら、
この時に迷わずシャッターを押す。

もし、ケヴィン・カーターを批判する人は、
自分が戦争や飢餓とは関係のない、
全く安全な場所で、ごく普通に生活をしていて、
強いて言えば、餓えに苦しみハゲワシに捕食される少女の事も、
自殺したカメラマンのケヴィン・カーターの事さえも、
どこか他人事として見ている事実を自覚するべきなのかもしれない。


~引用ここまで~


ちなみに
実際はケヴィンと少女の距離は目の前というわけではなく約6メートルはあったといわれ、
撮影後、彼は少女を助けたという事実もあるようです。











過去には報道写真というのはプロの仕事でした。
しかし、今の報道には“たまたまそこに居合わせた人”の存在が不可欠になっています。

たまたまそこに居合わせた人が、長尾靖やケヴィン・カーターのような志を持ってシャッターを押すことは非常に少ないのでしょうが、それでも「記録を後世に残す」という意味では同じだけの重さを持っていると思います。
(歴史上の記録というのは、瓦の裏に書かれた落書きですら価値があることがあるわけで)


近所に飛行機が墜落しその火災を撮影したことが、「民度が低い」と言われるようなことなのか?
私は同意できません。

仮にあの火災を撮影した近所の人が
野次馬根性
以外のなにものも持っていなかったとしても、
もっと言えば、
興味本位
だけしか無かったとしても。


ケヴィン・カーターだったなら、少女の命を救えたかもしれない。
でも、墜落事故の火災に“救助”という次元で貢献することは不可能でしょう。

その映像をテレビ局や新聞社に提供することで何らかの対価を得たとしても、
それが卑しいことだとは私には思えないんですよね。
つまり、社会的存在価値があるから対価が発生するわけで。
(ちなみに日本では、実態として視聴者映像は対価なしで提供される方が多数です)


>他人の家の火事をずっと撮影し続けるって失礼なことじゃないかと思います。

隣人が撮影をしたら失礼で、プロが撮影をしたら失礼じゃないのか?
それとも、プロでも他人の火事を撮影するのは失礼なのか?
だったら、報道写真や報道映像は存在できないのではないか?




何でも叩きたい人がいるものです。

ブログ一覧 | 社会・時事ネタ | 日記
Posted at 2015/07/27 12:00:44

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この記事へのコメント

2015年7月27日 16:29
全く同感です。
コメントへの返答
2015年7月27日 17:26
ネット時代で色々なものが叩かれています。
私も“叩き”的なことを書くこともあります。

でも、これは違うと思いました。

ちなみに、ニュース中継の後ろで携帯を手に持ちながらカメラ目線で手を振ったりピースしてるヤツは「民度が低い」と言って叩いてもいいと思います。
2015年7月27日 21:28
あの震災のときのおびただしい量の動画、画像・・・・・
目の前に起こっている現実とは思えないような光景、それを撮り続けた多くの人たち。
その映像は後世に渡って教訓として伝えられていくに違いありません。

でも、それを撮った瞬間はそんな事も考える事も出来なかったはず。
ただ、ただ、カメラを構えている事しか出来なかった。
それしか出来なかった。そうだったんだと思います。
コメントへの返答
2015年7月28日 0:15
東北震災の時に、「この映像を発表して賞取りだ!」とか「この映像を売って小遣い稼ぎ」とか思って写した人は一人もいないと思うんですよね。

>ただ、ただ、カメラを構えている事しか出来なかった。

たぶん人間の根源的なものではないのかもしれませんが、ジャーナリズムの根源的なものではあると思います。
それが21世紀の報道写真のあり方の一つなんだと思います。
なので、今回の墜落映像を取った人も、民度が低いなどとけなすのはとんでもないことなのだと思います。

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何シテル?   05/31 19:38
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