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バンクーバー五輪が開催中である。
日本人選手の活躍に期待し、TVを観て盛り上がる日々。もっとも、時差の関係でLIVEは観られないし、仕事の都合で再放送もなかなか観られないのだが。
今大会で非常に気になっているのは、「競技」に対する意識の低さである。
統括団体の承認ステッカーを剥がして失格(小室希・女子スケルトン)とか、
重量オーバー(安田文・女子リュージュ)とか、
靴紐切れ(織田信成・男子フィギュア)とか。
私はかつて2輪の草レースに参戦していたのだが、参戦に際しては国内競技規則書の該当部分を「自分自身で」隅々まで熟読してマシンを製作し、用具(ヘルメット、レーシングスーツ)もMFJ公認のものを「自分自身で」揃え、エントリー手続きを「自分自身で」行い、いざサーキットへ到着するや、出走前の車検を「自分自身で」通し、不具合指摘があれば「自分自身で」是正して再車検を受け。
勿論、手続だけ問題なく済んでもマシンは走らない。セットアップもメンテも、手続と並行して自分で行わなければならない。
誰からのバックアップもない末端の草レーサーの出走には、これだけの準備と手続きを全て一人でこなす知識(と根性)が必要になる。それは、私に限ったことではない。現在motoGPを走っているレーサー衆も4輪のF1やらスーパーGTの皆さんも、かつて同じことを経験しているはずだ。もっとも、鈴鹿あたりでやっている英才教育スクール上がりの連中なんぞは、周囲の大人達がお膳立てしてきたのかもだが。
レースなのだから、用具には規制・制限があり、それに合致していることを証明する機構があり、その証票が機材・用具に貼付されている(貼付する必要がある)ことは自明である。当然、その証票が示すのは基本的なスペックが競技規則に合致していることだけであって、出走時の状態(寸法、重量、表示類、燃料の積載量、その他各部の整備状態)がレギュレーションに合致しているかどうかは、直前までチェックを繰り返さなければならない。そしてそれは、競技者自らの責任において常に把握されるべき事象である。
が、頂点の競技、頂点の競技者の場合はそうはいかない。競り勝って結果を残すためには「走る」こと以外、つまり、本人が行わなくとも作業自体は可能である事柄をアウトシーシングして実際の競技に集中することも必要になってくる。そのときアウトソーシングされる業務が、メカニックであり、マネージャーであり、ヘルパーであり、傘持ちのキャンギャルであるわけだ。そして、競技者は競技に集中し、自分では証票の確認も車検の手続もせず、セットアップも注文だけ付けて自分でレンチを回すことはない。稀に車両規則違反で失格になる競技者も居るが、それを競技者本人の過失だという者は居ない。
今回バンクーバーには、競技者よりも遥かに大勢の「役員」が派遣されている。それ以外にも、競技者または国内統括団体が独自に同行させているスタッフや、機材・用具メーカーの技術員も数多く現地に入っている。彼らは全て、競技者を競技に集中させるための人員、つまり、本来競技者自らが行うべき雑務を代行するため「だけ」に派遣されている要員に他ならない。彼らの仕事はズバリ「競技者を無事出走させること」ただ一点のみ。スケルトン・リュージュの関係者は、その点において職務怠慢であったと言わざるを得ない。スケルトンの小室は自分でステッカーを剥がしたそうだが、剥がした本人の過失は当然あるにせよ、直前までチェックを繰り返して競技者が出走するための要件を満たせなかったことは、アウトソーシング先である「役員」に全責任があると私は思う。重量オーバーの件も然りである。たとえ原因が本人の体重増であっても、それを常に把握してレギュレーションに照らすのは「役員」の責務だ。
「競技に集中を」と周囲を固めておきながら、出走前の不備の責任を競技者本人に押し付けるべきではない。本人は「失格」という最も重い責任の取り方をさせられるのだから。自身が参戦する競技のレギュレーションも分かってないような愚かな競技者を野放しにし、それどころか代表に選抜してしまった国内統括団体の責任も追及すべきとも思うが、同時に、競技者本人に対する同情の念は微塵もない。競技者も団体も無知であり、意識が低すぎるということだ。
問題は織田信成だ。
彼の靴紐は出走前から切れていたそうだ。それを、感触の変化を恐れて、切れた紐を結んで繋いで使ったとか。
靴紐は消耗品である。それどころか、靴自体も消耗品である。
2輪や4輪で言えば、靴がショックアブソーバー(とスプリング)、靴紐がタイヤというところか。ダンパー減衰が落ちてくればO/Hしなければならないし、タイヤが減ったら交換しなければならない。どんなにハマッたセッティングも、構成要素が本来の性能を発揮していないのであれば、一旦リフレッシュしてやり直さなければ、その状態で走り続けることは出来ないのだ。
消耗が避けられないパーツの「感触の変化」を嫌うのであれば、常に消耗がない状態を保つしかない。レース毎、場合によっては走行毎に新しいタイヤを使うように、靴紐も出走毎に新品交換すればよいではないか。聞けば織田の靴紐は400円/本、高橋大輔のものでも1050円/本だという。価格が高い高橋のもので計算しても、毎日2本(左右)とも交換したとして766500円/年だ。実際には毎日リンク上に居るとも思えない。まぁ50万円もあれば足りるだろう。それを高いと思うかどうかは知らないが、切れない紐がこの世に存在しない以上、それが「走るためのコスト」であるのだからケチるべきではない。もっとも、節約したいのなら手はある。毎朝毎晩用具を点検し、少しでも傷んでいたら交換すればいいだけの話だ。いくら消耗品とはいえ、組み込んだ傍から時間の経過とともに急激に劣化するものではないからだ。
用具の感触を大事にする競技の性質上、織田も自ら用具の手入れを行い、だからこそ靴紐の傷みも事前に把握していたのだろうと思うが、用具に関する基本的な知識が欠けているように思える。数多くの細い素線を縒り合わせて作る紐は、それら素線がわずか数本でも切れると急激に強度が低下して破断する。もっと強力で人の命に関わる紐であるエレベータやロープウェー、クレーン等のワイヤーロープには素線切れの基準(素線切れの本数)が定められていて、定期点検を行って使用可否を判断し、危険なものは「切れる前に」交換される。靴紐に基準はないが、要は、感触云々ではなく、そういうドライな目で使用可否の判断をすべきだったのだ。
繰り返すが、競技は「レースを走って速ければよい」のではない。無事出走に漕ぎ着けることもまた競技の一部であり、本人の意識・知識と、頂点の競技者においては水も漏らさぬバックアップ体制が必要だ。
簡単に言うと
「出走前失格?お前ら氏ねよ。靴紐?そりゃぁいつか切れますが何か?」
ということ。
Posted at 2010/02/23 15:55:50 | |
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