ジャパン入手についての話題が上がっておりますが…自分の場合です(^o^;)
18歳で免許を取得後、初めて乗ったのがこのオレンジジャパンターボ。
この時、ホイールはハヤシストリートとスターシャーク。
ウレタンのリアスポイラー。
グレードは2000GT-EXで、インジエックションターボでパワステ&エアコン付きの快適仕様!
当時、大学生であった私はこの車を一生乗るつもりでいた。
当時、7年落ちの中古ジャパン!
その当時、周りにはたくさんのジャパンが走っていた。
特にロンシャンを履いた近所のシルバー前期ジャパンがかっこよかった。
シルバーも自分のシルバーでなく、何て言うのかな青みがかったシルバーだったんだ。
今でもあの個体が忘れられないようなジャパンである。
この時点から前期の丸目4枚に憧れていた。
もちろん、自分が乗っている後期ターボも好きである。
オレンジという特異の色であったので、後付けパーツは同色とせず黒に統一していた。
そんなジャパン、社会人になり北海道の冬には勝てず、将来また取得ことを決意して乗り換えた。
車体は業者に引き取られて行った。
保有していたジャパンのパーツは保管。
その保管していたパーツは車庫に保管していたが、何とその車庫に駐車している車から火災発生!
全てが灰になってもうた(T_T)
原因不明の火災として処理された。
それから20年経過…
40代になる頃には中古ジャパンもクローズアップされて、中古車情報紙には70万程度で取引されるようになっていた。
ここの時点から相場はみるみるうちに急上昇!
今手に入れないと一生手に入らないと危機意識が高くなる。
目標を50歳迄に取得を目標にジャパン本体とそれらのパーツを入手するためにオークションや中古車雑誌をチェックする毎日であった。
縁がなかった車達…
2013年には岩見沢に70万円台で販売している車を見に行った。オイル下がりして白煙をはいていたが、相場的には許容範囲であった車体である。
しかし、既に先約があり商談中であったため自分の車とはならなかった個体である。
帯広から岩見沢まで雑誌片手に訪問したが、お店の人は快く見せてくれた。
ここ最近であるが、仕事関係で名刺交換した人がこの時に対応してくれた方で、自分が見に行ったことを覚えていてくれた。名刺交換しながらそんな話が聞けてビックリだった。
世の中、広いようで狭いのである。
まぁ、飛び込みで帯広からジャパンを見に来たぐらいだから印象にも残るわね。
次に目に留まったのは2014年函館だ!
函館にまで見に行って、本当に買うか迷ったゴールドにオールペンされた前期ジャパン。
ほぼ半日このオーナーさんでもある車屋さんの方とジャパンの前で話をしたな。
大事にレストアしたジャパン、『手放す覚悟はしたが大事に乗ってくれる人でないと売りたくない』と決意が感じられる方であった。
単に旧車興味本意で乗って雑に扱いボロボロにしてもらいたくないので、売る人に実際に会ってからでないと売らないとの事。
ちなみに私は合格だったらしい。
このジャパンは120万の販売であった。
このジャパンは本当に迷ったが、フロントレースポ、サイドステップ、マットガード、ムサシブルークリスタルテールが入っていたのでお得と言えばそうだが、エンジンこそノーマルであるがかなり手が入っており、ほぼ完成されたジャパンである。
ここで迷ったのは値段ではない。
人が作った前のオーナー仕様のジャパンに躊躇したところが大きい。
ほぼこの形にしたいと思う理想のボディであるのだが、出来上がり過ぎているのである。
完成度からして、自分らしさを出しにくい個体である。
こんだけカスタマイズされていれば、このまま乗ってしまえばそれは自分の車ではないのである。
前のオーナーさんの車から脱却出来ないと思うところが大きい。
自分らしさを出しにくいだろう。
交渉もかなりさせていただいたが、結果的には自分自身、自分の車にする覚悟が決断できなかったのだ。
しかし、綺麗なジャパンであった。
これも縁がなかったジャパンである。
そんな中、仕事関係の車屋さんにジャパン情報を聞いていたが、いいジャパンが売りに出ていると聞いてすぐに見せてもらうことになった。
それが2016帯広である。
ほとんどノーマルで2000GT。
シングルキャブのL20AS。
欠品はヘッドライト、サイトバッチ、エアクリーナーぐらいであった。
オーナーさんは既に1台ジャパンを所有。
訳あって保管していたストック車両を放出である。
値段はかなりのものであった。
ただ今手に入れなければもう二度と手に入らない気がしてならなかったのである。
こうして人生2台目となるジャパンを取得したのである。
そうしてここにジャパンのブログが始まったのである。
新車から38年のブランクを飛び越えるには、それ相当の修理が必要であった。
このプチレストのタイミングで昔乗っていたオレンジジャパンとの接点が復帰するのであった!
運命とは皮肉なもので、求め続けていた20代に乗っていたオレンジジャパン!
この車の影を常い追いかけ、初恋の人を忘れられないような感覚ですらある。
新たなシルバージャパンをブチレストアする際に使われたパーツが20代に乗っていたオレンジジャパンから移植されたことを知ったとき、何と言うかオレンジジャパンの方から戻ってきたんだという感じすらした。
正しく相思相愛の関係か?!(;´д`)www
俺の手から離れ一時抹消した20数年前に今回プチレストアした車屋さんの廃車置き場にパーツ取り車といて眠っていたらしい。
それを知ったら、今度は当時自分で塗ったテールを買い戻し、予備パーツとするなど妙にオレンジジャパンがまた近くにあることを意識する。
↑化粧直ししたテール
物に魂があるとは思わないが、運命といういたずらが俺とオレンジジャパン、そして今のジャパンにリンクして俺の一生の宝物になった。
これがマイジャパンの全てである。
運命は自分で変えられる…ここまで来るまで時間はかかったが、戻ってきたのは若いときの思い出であると言える。
詩人だね…ポエマーだね!www
エキゾチック~ジャパン!