2016年01月27日
大正時代の「トモダチ」作戦
あと一ヶ月あまりで、あの震災から5年になりますか・・・
おさーんも被災地に出向き復興活動をしてきましたが、今でも昨日の事のように脳裏に焼き付いています。
「冷たい太陽」「独特な乾いた空気」「音がしない世界」「信じられない光景」を肌で感じ、自然の恐ろしさを痛感した思いです。
この震災で世界各国から支援活動がありましたが、合衆国米軍は「OPERATION TOMODACHI」と名付け復興支援等に活躍しましたが、実は大正時代にも「トモダチ」作戦はあったんです。
大正12年9月1日に生起した関東大震災は、当時の合衆国大統領クーリッジは明くる日の2日には極東、太平洋地域に所在する陸軍、海軍に出動を命令。アジア艦隊司令官アンダーソン海軍大将は7隻の駆逐艦を従えて横浜に向かい、運送船、敷設船、砲艦も同様に横浜に向かい、約一ヶ月にわたって物資輸送、避難民輸送、医療支援を行いました。コレって意外に知らない人が居るかと思います。
話は東日本大震災に戻しますが、空母ロナルド・レーガンから飛び立ったMH-60Rと思いますが、救援物資従えて被災地に向かったところ、驚くべき光景を見ました。「こんな光景見たことがないし、こういう言葉を聞いたことがない」
かいつまんで言うと、救援ヘリが来ると日本人は遠巻きに見て配布、配給が始まると綺麗に列を作って並んで待つ。買うときは謝意を申し出、時にはバケツリレーで物資輸送をサポートする。また「ここは15人しかいません。山の向こうは集落があり、孤立していると思います。私どもはこれで十分なので残りは物資はそちらに持って行ってください」
まず、こういう言葉が出てくる地域や国は無かったということです。そこで上記のような、コメントが出たんだと思います。ある国では救援ヘリに被災民が群がり着陸出来ないので、空中から投下するしかないこともあります。
世界中からは賛辞のコメントが多く発しましたが、民度の高さじゃ無いと思うんです。日本人のDNAですね。昔から自然災害と闘った国民ですから、自然に勝てないことは百も承知。だから、互いが助け合うDNAがあったんだと思う訳です。
ならば自然と上手く付き合う。付き合うにはどうしたらいいか。互いが上手く付き合うにはどうしたらいいか。それが自然に分かっているんじゃないかと思いますね。
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Posted at
2016/01/27 22:19:42
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