
福岡伸一が来ている。ブレイクと言ってもいい状況だ。
2007年に出版された「生物と無生物のあいだ」は新書大賞、サントリー学術賞(第29回)を受賞。これに先立つ2005年に出版された「プリオン説は本当か?」(私は未読)も講談社科学出版賞(第22回)を受賞している。この本が実質的な一般書デビューのようだが、確かにデビューから恵まれていたと言える。
そして今回ご紹介するのは「できそこないの男達」。昨年10月に出版された本であり、私もかなり前に読み終えているが、日記にするのは今日になってしまった。
冒頭に福岡伸一がブレイクしていると書いたが、いつかの賞を受賞したことだけを言っているのではない。これまでも日本経済新聞の記事やオジサン雑誌(週刊新潮とか)の記事などで何度も彼のインタビューを見る機会があった。しかし、はっきりブレイクと断言していいと思ったのは、漫画雑誌に彼の名を発見したときだ。
私はビッグコミック・スピリッツという雑誌を毎週買って読んでいる。どうでもいいことだが、50過ぎてこれを毎週読んでるのは私と某国首相だけかなと思っている。その5月29日号(№24)から同誌では「ネオトナ入門」というコーナーが始まった。「ネオトナ」とは「進化した大人」を指す造語で、そのネオトナを目指すヒントを授かろうというのがそのコーナーの趣旨らしい。7回連続講座の第一回目の先生がこの福岡伸一。驚いた。スピリッツと福岡伸一の取り合わせは幾らなんでも違和感が大きい。因みに翌週号の同コーナーの先生は糸井重里。極めて順当だ。違和感がない。
確かに文章は巧みで平易。専門分野の話も分かりやすく、研究レースの緊張感も伝わってくるし、裏話も面白い。しかし、どうしてここまでのブレイク。少なくともイケメンとは言えない(失礼)。どちらかというとカマっぽい風貌?(失礼)。
で、「できそこないの男達」からの抜書きだが、もう本の帯に書いてあることから男としてはガクッと来てしまう。
<生命の基本仕様>-それは女である。
情けなや、男は派生品だということか。
あるいはこう言い換えることができる。男性は、生命の基本仕様である女性を作りかえて出来上がったものである。だから、ところどころに急場しのぎの、不細工な仕上がり具合になっているところがあると。
実際、女性の身体にはすべてのものが備わっており、男性の身体はそれを取捨選択しかつ改変したものにすぎない。基本仕様として備わっていたミュラー管とウォルフ管。男性はミュラー管を敢えて殺し、ウォルフ管を促成して生殖器官とした。それに付随して様々な小細工を行った。かくして尿の通り道が、精液の通り道を借用するよことにまった。ついでに精子を子宮に送り込む発射台が、放尿のための棹にも使われるようになった。
「女性は生殖器と排尿器が分化しているのに、何で男性が兼用になってるんだろ?」と不思議に思ってた時期もあったが、こういうことだったのか! それにしても男は間に合わせで作られた産物ってか・・・。
生命が出現してから10億年、大気には酸素が徐々に増え、反応性に富む酸素は様々な元素を酸化するようになり、地球環境に大きな転機がおとずれた。気候と気温の変化もよりダイナミックなものになる。多様性と変化が求められた。
メスたちはこのとき初めてオスを必要とすることになったのだ。
つまり、メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しする、細い横糸の役割を果たしているに過ぎない。生物界においては普通、メスの数が圧倒的に多く、オスはほんの少しいればよい。アリマキのように必要なときだけつくられることもある。
本来すべての生物はまずメスとして発生する。なにごともなければメスは生物としての基本仕様をまっすぐに進み立派なメスとなる。このプロセスの中にあって、貧乏くじを引いてカスタマイズを受けた不幸なものが、基本仕様を逸れて困難な隘路へと導かれる。それがオスなのだ。
福岡先生、そこまで言うか!
しかし、種の多様性をもたらすために遺伝子をシャッフルするのがオスの役割であるなら、オスの浮気は当然の使命ともいえないか? しかも生半可な浮気ではなく、婚外子をつくるくらいの浮気でないとオスの役割を果たしたことにならんのか?
いかん、段々、竹内久美子に近づいて行く。ハッ! そう言えば二人とも京大!
そこまでオスができそこないなら、何でオスがこの世界を支配しているように見えるのか? 誰しもが感ずる疑問。これにも福岡先生は答えている。
それはおそらくメスがよくばりすぎたせいである。
これだけでは何のことか分からないだろう。気になる方は本書を手にして続きをどうぞ。
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Posted at
2009/06/15 22:47:17