• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

成田のオッサンのブログ一覧

2023年07月15日 イイね!

Tatsuro Yamashita does'nt RIDE ON TIME

Tatsuro Yamashita does'nt RIDE ON TIME山下達郎が炎上してますな。そんなこととは無縁の人だと思っていましたが、掘り下げて行くと結構根深い問題があるし、彼の意外な一面を知ることにもなりました。高校生の頃からのファンですし、ブログでも何度か採り上げていますので、この件についてこれから述べようと思います。
ただ、こういうのは誰に向けて書くかが悩ましいですね。全くこの問題について関心のない人に一から説明しようとするのは長くなるし正直面倒臭い。経緯も書きますが、なるべくリンクを張っておきますので詳しくはそちらでご確認いただければと思います。
(以下、敬称は略します。引用部分は青文字で示します)

まずは松尾潔について。

alt

松尾潔の略歴はこちら
音楽プロデューサーであり、リンク先のWikipediaの記述には「ヒット請負人」ともあります。知名度はそれほどないのかも知れませんが、かなりの実績のある方で、山下達郎とは旧知の仲であり、家族ぐるみのつきあいもあったようです。今回問題になっている業務提携契約も山下達郎からの誘いによるものとのこと。

松尾潔はBBCがジャニーズ事務所や元ジャニーズの被害者を取材して作った例の番組「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル/Predator: The Secret Scandal of J-Pop」を視聴し、これは放置できないと感じました。


(リンクは有効です。「詳細はYoutubeで見る」をクリックしてお進みください。)

そして5月15日のラジオ番組に出演した松尾潔は以下のように発言しました。

「今回の疑惑を放置することは、ジャニーズ事務所だけの問題じゃないと思っています。一番の弊害は、今回の報道やマスコミの有り様を見た子供たちが、もし性犯罪・性暴力の被害者になったとき『声を上げても無駄だ』という諦めの気持ちになるかもしれないことです。疑惑を放置することで、社会全体が諦めの気持ちを子供たちに植え付けかねないのではと怖れを感じています。メディア、広告業界、芸能界だけでなく、みんながこの問題を直視しない限り、性加害や性暴力は、この先もなくならないでしょう。音楽業界に身を置く私も正直つらいです。ましてや、こういう世界に憧れたことがある、あるいは憧れている家族がいる、といった人たちも胸を痛めているはずです。私たち一人一人が、この国が抱える問題として当事者意識を持ち、みんなで膿を出すというところに、舵を切るべきじゃないでしょうか」

翌日にそれがヤフーニュースの記事になり、山下達郎のプロダクションであるスマイルカンパニーの社長の小杉周水が松尾潔を呼び出し契約解除を迫ったのが18日で、中1日の急な展開だったってことですね。

スマイルカンパニーは1972年に山下達郎のマネージメントからスタートした芸能プロダクションで当初は個人事務所のようなものだったようです。現在は妻である竹内まりあなども所属し、面白いところでは放送作家の鈴木おさむも所属しています。同社の株の半分は山下達郎が所有しているそうです。
で、その社長である小杉周水に松尾潔が呼び出されたわけですが、小杉周水は2代目の社長で初代はその親である小杉理宇造(1984年就任)。小杉理宇造は1970年代にジャニー喜多川と知り合い、2003年にジャニーズエンターテインメントの社長に就任しています。
この辺からもスマイルカンパニーとジャニーズとの密接な関係が窺えるわけです。

松尾潔が小杉周水に呼び出されて契約解除を迫られたときの様子が松尾潔によって7月6日の日刊ゲンダイに詳しく載っています。

理宇造氏の長男の周水くんは作曲家の顔を持ち、ぼくにとっては親しい後輩でもある。付き合いも家族ぐるみだ。彼は、こんなことで松尾さんと向きあいたくはなかった、性加害は当然許されないことだし、松尾さんの話も正論、でも……と、Jやジュリー社長の名前をメディアで口にすること自体を問題視し、マネージメントの中途解約を切り出した。いわば不敬罪による一発退場である。

契約解除の理由は明らかだってことですね。ただそれは涙を流すような苦渋の選択でもあったようで・・・。

涙を流しながら解約の弁をくり返す彼に、ティッシュを差し出すぼくまでもらい泣きしたのは一生忘れられないだろう。


とてもビジネスの話とは思えない。

当然、松尾潔は納得できず、それを山下達郎も同意しているのかどうか直接確かめたいわけですが・・・

その場で達郎さんに電話したい衝動を必死で抑えながら、ぼくは社長の発言を尊重して、メールを含む夫妻への直接の連絡は一切控えた。

6月2日、SCオフィスで再会した周水社長は、ぼくの契約の中途終了に山下夫妻が〈賛成〉であることを告げた。RKBラジオ等での発言はいかにも松尾らしく正論でもあるが、これまでの山下家・小杉家・藤島家のつきあいの歴史を考えると、SCに松尾が在籍し続けるのを認めるのは難しい。なぜなら、三家のつきあいはビジネスではなく「義理人情」なのだから、ということだった。
(藤島家とはジャニー喜多川一族の家のことです)

契約を解除する理由は正論よりも「三家のつきあい」と「義理人情」が勝るからだと告げられたわけです。昭和の頃の昔話じゃないですよ。つい先日のことです。

日刊ゲンダイの引用を続けます。

この期に及んでも、どうしてもぼくに飲み込めないことが一点だけあった。周水社長からの報告という形でしか聞いていない山下夫妻の〈賛成〉だ。周水くんを疑ってはいない。ただ、四半世紀におよぶ付き合いのなかで自分が知る達郎さん、そしてまりやさんなら、本当に〈賛成〉するだろうか。その疑問が払拭できなかった。

周水くんとの信頼関係を考えれば、だからといって達郎さんに直接コンタクトを取るのはやはりためらわれた。ぼくは喜田村弁護士に、先方の代理人を務める弁護士へ尋ねてもらった。「松尾は、『山下氏と竹内氏が契約解除に賛成している』と社長から説明を受けているが、それは事実か」と。返ってきたのは「そうである」。この回答を確認したぼくは、契約終了の最終合意に応じた。


松尾潔はこの契約解除の件を世間に知らせるとともに第三者を介しての回答ではなく、どうしても本人から真意を引っ張り出したかったんでしょうね。7月1日に山下達郎の名前を出したツィートを上げます。

15年間在籍したスマイルカンパニーとのマネージメント契約が中途で終了になりました。
私がメディアでジャニーズ事務所と藤島ジュリー景子社長に言及したのが理由です。
私をスマイルに誘ってくださった山下達郎さんも会社方針に賛成とのこと、残念です。
今までのサポートに感謝します。バイバイ!


名前を出されたことで、この辺から山下達郎もついに自分に火の粉が飛んできたことを知ったことでしょう。そして山下達郎がどう対応していくのか世間の注目を集めることになりました。

山下達郎はツイッター等のネット媒体は一切使用しておらず、毎週日曜日に放送されているFMの彼の冠番組「山下達郎のサンデーソングブック」の7月9日の放送で時間を割いてこれに回答することを予告しました。

私は久し振りにリアルタイムでこの番組を聞きました。(全文書き起こしはこちら
約7分の時間を割いた長いコメントでした。部分的に引用します。

今回、松尾氏がジャニー喜多川氏の性加害問題に対して憶測に基づく一方的な批判をしたことが契約終了の一因であったことは認めますけれど、理由は決してそれだけではありません。他にも色々あるんですけれど、今日この場ではそのことについては触れることを差し控えたいと思います。

他にも理由があると含みのある表現をしながらも、松尾潔がジャニー喜多川の性加害問題に触れたことが契約終了の一因であったことを認めています。
そして、ここで多くの人が反発を抱くのは「憶測に基づく一方的な批判」でしょうね。この期に及んでそんなことがよく言えるなと。先に挙げたBBCの番組を始め何人かの元ジャニーズが実名も顔も隠さずに性被害を明らかにしているのに、不見識も甚だしい。

性加害が本当にあったとすれば、それはもちろん許しがたいことであり、被害者の方々の苦しみを思えば、第三者委員会等での、事実関係の調査というのは必須であると考えます。しかし、私自身がそれについて知ってることが何もない以上、コメントの出しようがありません。

自分はあくまで一作曲家、楽曲の提供者であります。
ジャニーズ事務所は他にもダンス、演劇、映画、テレビなど業務も人材も多岐に渡っておりまして、音楽業界の片隅にいる私にジャニーズ事務所の内部事情など全く預かり知らぬことですし、まして性加害の事実について私が知るすべ全くありません。


原則的な前提を言い訳として述べた上で、(先に述べたように山下達郎が所属するスマイルカンパニーの初代社長はジャニーズに縁のある人であり、自身もジャニーズのタレントと仕事上の深い付き合いがあるわけですから)一般人に比べればジャニーズの内情を知ろうとすればよく知ることができる立場であったはずなのに知ろうともしなかった責任は放棄しています。

そしてジャニー喜多川やジャニーズのタレント達への賛美が続き、山下達郎がジャニーズへ楽曲を提供してきたことが紹介されます。
その後です。

そうした数々の才能あるタレントさんを排出したジャニーさんの功績に対する尊敬の念は今も変わっていません。
私の人生にとって1番大切なことは、ご縁とご恩です。
ジャニーさんの育てた数多くのタレントさんたちが、戦後の日本でどれだけの人の心を温め、幸せにし、夢を与えてきたか。
私にとっては、素晴らしいタレントさんたちやミュージシャンたちとのご縁をいただいて、時代を超えて長く歌い継いでもらえる作品を作れたこと、そのような機会を与えていただいたことに心から恩義を感じています。


「ご縁とご恩」。私は森進一の舞台挨拶でも聞いているのかと我が耳を疑いました。演歌歌手から聞くのなら驚きはしませんが、まさかシティポップの雄である山下達郎がこれを口にするとは! 
別にスマイルカンパニーだけじゃないのかも知れません。日本の芸能事務所すべてが前近代的なしがらみで動いているのかも知れません。しかし、今も「家」「ご縁」「ご恩」が優先されて犯罪が隠蔽されるような体質で済まされると思っているんでしょうか。
要するに、山下達郎は「恩義あるジャニー喜多川を悪く言うような人物とは一緒に仕事はできねぇ!」と言ってるってことです。彼にとってはジャニー喜多川の性加害を調査しようとか、その被害者を救済しようとか、再発防止だとかには興味は無いってことのようです。

私が一個人一ミュージシャンとしてジャニーさんへのご恩を忘れないことや、それから、ジャニーさんのプロデューサーとしての才能を認めることと、社会的、倫理的な意味での性加害を容認することとは全くの別問題だと考えております。
作品に罪はありませんし、タレントさんたちも同様です。

ジャニー喜多川の性加害を明らかにした上での作品の扱いについてであれば、異論はありませんが、その前提を述べていません。ただ、ジャニー喜多川の性加害の全貌が明らかになった時点で彼を尊敬し続けられる人はわずかだと思いますが。

最後に山下達郎はこんなことを言います。これが私を含む一部のファンの怒りを買いました。

彼らの才能を引き出し、良い楽曲を共に作ることこそが私の本分だと思ってやってまいりました。このような私の姿勢をですね。忖度あるいは長いものに巻かれていると、そのように解釈されるのであれば、それでも構いません。
きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。


ケンカ売ってますね。正直、腹が立ちました。
それに一つ前の引用と矛盾しませんか? 一つ前の引用では作品とそれに関わった人達とは別に考えるべきだと言いながら、上の引用では「俺が嫌いなら俺の曲も嫌いなはずだろ。だったら聞くな! 俺の絶対信者だけが聞けばいいんだ!」ですからね。曲と関係者は別物なのか一体なのか発言者自信が整理できていない。

山下達郎が抱くジャニー喜多川への敬愛や尊敬はよく分かった。ただ、この状況の中でそれだけでいいの?ってことですよ。山下達郎は結果的にジャニー喜多川の性加害をうやむやにしたいんですよね。でもそれが被害者救済や再発防止の障害になるのではないかという視点を持とうとする気が無い。

山下達郎は珍しく社会的な楽曲をアルバムにぶち込む人でもあります。1986年のアルバム「POCKET MUSIC」に「THE WAR SONG」なる曲が入っています。反戦歌です。フォークソング時代なら分かりますが、シティポップ全盛期の1980年代にですよ。
「POCKET MUSIC」にはあの「俺たちひょーきん族」のエンディングテーマになった「土曜日の恋人」も収録されたアルバムです。そこに放り込まれた「THE WAR SONG」は正直なところ重くてアルバムの流れを止めるし、聞きづらかった。無くてもいいのに思ってましたね。


(オリジナルではなくカバーですがボーカルは山下達郎)

でも彼はこの曲をアルバムに入れた。耳障りのいい曲ばかりでなく、作品に社会性を持たせたい気持ちもある人なんです。
それだけに今回の件は残念でなりません。70歳という年齢が彼をしてそうさせてしまったのでしょうか。だとしたら、やはり齢は取りたくねぇな。

Tatsuro Yamashita does'nt RIDE ON TIME

長くなりましたが、この長さが私の無念さと思っていただければ。






























Posted at 2023/07/17 00:00:52 | コメント(2) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2023年04月09日 イイね!

坂本龍一を悼む

坂本龍一を悼む最近母親を亡くしたばかりの私ですが、他にも私が好きだった、ある意味、私の一部とも思える著名な方々が相次いで亡くなっています。
漫画家 松本零士、アメリカの音楽家 バートバカラック、そして坂本龍一。

坂本龍一の訃報が流れた時に、「ラストエンペラーの・・・」とか「戦場のメリークリスマスの・・・」とかで報じられたんですよね。確かにラストエンペラーの音楽はアカデミー賞作曲賞を日本人として初めて受賞していますから訃報に際して触れられるべきかもしれませんが、ラストエンペラーの曲って皆さんすぐに思い出せますか? 私、戦場のメリークリスマスの曲はすぐに思い出せますが、残念ながらラストエンペラーに関しては全く思い出せません。これって私だけかな?

ラストエンペラーのアカデミー賞作曲賞については、最近観た映画の一場面を思い出しますね。



映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」のトレーラーです。
ちょうど60秒あたりで「ラストエンペラー」の坂本龍一の受賞が発表され、唇をかむエンニオ・モリコーネが映し出されます。
エンニオ・モリコーネと言えば映画音楽の大御所ですよ。それに比べたら坂本龍一なんて映画音楽に限って言えばですが、ぽっと出の一発屋もいいとこ。エンニオ・モリコーネは平静を装いながらも悔しかっただろうと思います。
彼は後に2016年に6度目のノミネートで87歳にしてやっと受賞します。遅すぎましたね。

で、坂本龍一の話に戻りますが、私にとっては彼の映画音楽なんてどーでもいい。才能ある人でしたから作曲もプロデュースも編曲も精力的に手がけ、YMOの活動もありましたよね。その中で私に一番刺さってたのは80年代に彼が編曲した楽曲の数々ですね。


1985年資生堂春のキャンペーンソング


1982年 アルバム『Cliché』(クリシェ)の1曲

2曲とも大貫妙子の楽曲ですが、編曲はどちらも坂本龍一。軽く、弾むようで、歯切れのいい音。これが私が好きな坂本龍一の音。

遡りますが、77年のアルバム「SUNSHOWER」の中の楽曲「都会」。



これも好きな曲です。やはり編曲は坂本龍一。Wikipediaの解説を読むと当時流行っていたクロスオーバーの影響云々とか書いてありますが、私は少しフォークの匂いも感じたりするのですが私がおかしいのかな?

このブログを書くために関連情報を知らべている中で、坂本龍一と大貫妙子が若い頃に一時同居していたことを初めて知りました。

2本の映画音楽以降、私の視界から坂本龍一は消えていましたが、彼は全く予期せぬ形で突然再登場します。ちょうど2001年のこと。



坂本龍一がボサノバ? え?そんな人だったっけ? 私はあっけにとられました。しかし、私が所有する坂本龍一のアルバムはこの1枚だけ。
ボサノバの生みの親である、アントニオ・カルロス・ジョビンのバックメンバーだったモレレンバウム夫妻との共作で、アントニオ・カルロス・ジョビンの家で、生前彼が弾いていたピアノで録音したという、どっぷりとアントニオ・カルロス・ジョビンに浸かったアルバムでした。
ただ、「イパネマの娘」に代表されるような一般受けのするボサノバではなく、全体的に地味です。でも癒される。
アルバムの中から、いくらかでもボサノバらしい曲を拾うとするとこれかな。



ただシンプルにピアノを弾くだけで80年代の面影はありません。

最期は体調の変化を放置して手遅れになったことを後悔していたようですね。






Posted at 2023/04/10 22:29:03 | コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2023年03月18日 イイね!

Winny

Winny映画「Winny」を観てきました。
これから観に行くおつもりの方には申し訳ありませんが、最初に言っちゃいますけど、映画としてはつまんなかったです、はい。期待して観に行ったんですが残念でした。

ご存じかもしてませんが、Winnyを開発した金子勇は著作権法違反幇助の容疑で逮捕され(2004年)、一審(京都地裁2006年)で敗訴しますが二審(大阪高裁2009年)で勝訴し、最高裁(2011年)で無罪が確定しています。弁護側の「金子は道具を作っただけで著作権法違反幇助はしていない」という主張が通ったわけですね。



この映画、ほとんど一審での敗訴までで時間を使い尽くし、その後はいきなり時間が飛んで金子の葬式の場面で締めくくります。最高裁の無罪判決までを丁寧に描き、カタルシスで終わればもっと一般受けする映画になったような気もしますが、映画の趣旨として金子の逮捕によって日本のプログラム開発が委縮したことを訴えたいのであればこれも有りかなとも思えますが。

でも、今回のこのブログのカテゴリは「映画」ではなく「音楽」にしております。
タイトル画像は今も現役の私の iPod classic です。こんなん今でも使ってる人いるのかなぁ?
この薄汚れた古い iPod をいつ買ったかですが、長いこと みんカラ をやってると振り返りが楽ですね。

4,800円で iPod Classic が新品に

2013年1月のブログです。てことはこの iPod 、10年もったってことか! 凄えな! まだまだ行けそうだし。
(因みに上記のブログは私のPVトータルの第二位に輝いております。さすがに最近はPVも伸びてませんが)

映画の中で留置所の看守が、留置されてる金子に「俺もWinnyには世話になったんだよ。無修正のアダルトビデオでな。」なんて声を掛ける場面があります。
実は私も動画ではありませんが、Winnyには大変お世話になった過去があります。音源のデジタル化においてです。

みん友のnonchan1967さんもカセットテープの編集の話をブログに何度か書かれてますが、私も同じようなことしてました。
ちょうど私が大学に入学した頃にレンタルレコードショップが登場し、せっせとレコードを借りてはカセットテープに落として、それを車で聞くと言うことを繰り返していました。
1982年にCDが登場し1991年にはCDが音源メディアとしてトップの座についたようです。でも車で聞く音源はまだまだカセットテープでした。アナログ音源とデジタル音源が混在していた時期ですね。考えてみれば私の子供たちも生まれた時からデジタル音源だけに接していたわけじゃありませんね。ドブに捨てたような無駄な投資でしたが、幼い娘にカセットテープの英語教材を買った覚えがあります。あ~、もったいなかった。
でも、いまや酔狂な人を除き、アナログ音源を再生できる機器を維持していらっしゃる方はほとんどいないでしょう。てことは、どこかでアナログ音源を捨ててデジタル音源に乗り換えた時期があるってことですよね。

その時期なんですよ、私がWinnyにお世話になったのは。
かつて私もそこそこの数のカセットテープを保有していました。更にその元はと言えばレコードであったりFMラジオのエアチェックであったりです。

街中や電車の中で耳にイヤホンをしてiPodを聞いてる人を頻繁に見るようになって気づくわけですよ。これはやばい! 早く自分のアナログ音源の、できればその全てを一早くデジタルに変換せねば、いずれ何も聞けなくなるぞと。 

で、すぐに思いつくのがレンタルショップでかつてのアナログレコードがCD化されたのを借りて(借りなおして?)改めて何らかのデジタルデバイスに落とすことですね。
今なら過去のマイナーなアルバムも割とCD化されているようですが、この頃はメジャーなアルバムしかなく、過去のアナログ音源の全てを網羅することは困難でした。それにレンタル料金がバカにならない。そこでWinnyですよ。
しかもWinnyなどのファイル交換ソフトの違法性の匂いを嗅ぎ取っていた私は、自分の手が汚れるのを嫌って、自分が欲しいデジタル音源の収集をパソコンに詳しいM君に発注していました。

私が欲しい音源をM君にメールで発注 → M君がWinnyで探してクラウドの倉庫に保管 → M君から私に探してた音源いつものところに保管しておいたよのメール → 私が倉庫からダウンロードしてデジタルデバイスに落とす

こんなことを繰り返し、私のアナログ音源のほぼ全てがデジタル化されました。
まあ、M君は日本封切り前の映画をWinnyで観れたとか自慢してましたから、違法性は気にしていなかったようではありましたが。
この頃は字幕職人とかいう人もいて、日本で封切りされていない外国映画にきっちりと日本語字幕を付ける人がいたりして、一部の人たちからありがたがられていました。そんな時代です。

しかし、いまやサブスクですよ。こんな時代になるって予想できました? 音源を所有しないんですよ。確かにこれだけの通信環境が整えば、検索してすぐに目的の曲を再生できるのかも知れませんが、10年後、20年後に同じようにすぐにその曲を聴けるんでしょうか? それが保証されるなら、どんな曲であろうが動画であろうが、オリジナルが世界に一つだけあればそれで済むわけですけどね。
娘はもっぱらサブスクで音楽を楽しんでますが、所有しないってことに不安は感じないのかな? 

それとサブスクについてもう一つ。アルバムという音楽の単位が無くなりつつあるのではないでしょうか? サブスクって基本的に1曲単位と言うかバラ売りだと思ってるんですが、違いますかね?

ま、私には聞き続けた曲の資産がたくさんあるから、サブスクがどうなろうと知ったこっちゃないか。
Posted at 2023/03/18 22:53:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2021年05月15日 イイね!

変なレコード

変なレコード4月17日のブログで、実家の改装工事で危うく私のレコードが捨てられそうだったというお話をしましたが、今回はその救出したレコード(LP)を全てご紹介しようと思います。

まず、恥ずかしい話からしなければなりません。私が中学生の頃、世間の大方のお宅はレコードプレイヤーをお持ちでしたが、我が家にはそんなものは無く、学校で友達同士がLPの貸し借りをしているのを横目で眺めていました。私が大学に入ってから、既に就職していた弟がボーナスでコンポセットを買い、やっと我が家にもレコードを再生しカセットテープに録音できる環境が整いました。まだCDが登場する前ですから、当然CDプレーヤーはありませんでした。おそらく1980年頃ですね。

時代背景も説明しておきますと、その頃はレンタルレコードとカセットテープの全盛期です。レンタルレコード店で借りたレコードからカセットテープに曲を落として車のデッキで聞くということをほとんどの若者がしてました。ですから、売れ線のLPは余程思い入れがあるもの以外は買わないというのが当たり前でした。金のない大学生ならなおさらです。
CDの登場は1982年です。しばらくは新譜についてはCDもLPも併売される期間がありましたが、割と短期間でCDが普及してLPを駆逐した記憶です。そして徐々に過去の音源もCDに置き換えられて行きました。過渡期には過去の名盤なのにCDでもLPでも店頭には存在しない音源もあり、中古LPが高騰したこともありました。
我が家もCD登場の翌年あたりにCDプレーヤーを買ってコンポに繋げ、CDからカセットテープに落とせるようにしたはずです。
つまり、レコードを買っていたのはわずかな期間しかなかったってことになります。

というような環境の下でどんな理由でレコードを買っていたかと言うと・・・
①レンタルで借りることもできるが、思い入れが強くて手元に置いておきたいので買う。
②レンタル店には並びそうにないマイナーなアルバムだが手に入れたいので買う。
上記のどちらかになるわけです。

まず①に該当するのが







今回の画像はネットのどこかからか引っ張ってきたものではなく、全て私が救出したLPを撮影して使っています。
一番上は最近のブログネタにもした、今年で発売からちょうど40年の「LONG VACATION」です。帯まで残ってますね。が、薄汚れてしまっていて、さすがにそのままアップするのは忍びなかったので、画像を加工してあります。
実はCDプレーヤーが発売されると同時に「LONG VACATION」は日本の楽曲としては初めてCD化されましたが、大瀧詠一はそれが気に入らなくて、彼の著作のアナログ盤を全て廃盤にしています。
思いれたっぷりのアルバムでしたが再生機器が無くなり、20周年の時だったか、30周年の時にCDで買いなおしています。

2枚目は1984年に出た同じく大瀧詠一の「EACH TIME」。彼のオリジナルアルバムとしては最後の作品になります。これも「LONG VACATION」と同様に発売日に買ったと思います。何度も聞いたなぁ・・・。

3枚目は「SING ALONG VACATION」。大瀧詠一の楽曲のカラオケです。御覧のように紙ジャケットは無く、透明にプレスされてます。限定盤だったので予約して買ったはず。
ところで、お気づきですか、大瀧のヒネリ。
2枚目の「EACH TIME」の EACH は詠一にかけてあるし、「SING ALONG VACATION」の SING ALONG は”一緒に歌おう”てな意味ですが、”「 LONG VACATION」を歌え”ともとれますよね。ネーミング一つとっても彼のウィットが感じられます。



これも大瀧詠一のLPで、CMソングが詰まったアルバムです。こんなのはいつまで待ってもレンタル店に並びそうもありませんから買いました。つまり理由としては②に該当。現在はもちろんCD化されていますから、CDで買いなおしてます。

短いCMソングが詰まったアルバムですが、その中の1曲。



お酒の「大関」の1980年の暮れのCM。「渡ります」という歌詞が繰り返されますが、渡哲也が出演していたからですね。

ここからは全て理由②のLPレコード。



雨に打たれて汚れてますね。「ティンパン・アレー ヒストリー」(2枚組)
ティンパン・アレーは細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆の4人のバンド。
よくこんなの買ったな、過去の俺。

この曲が好きだったので、ほかにもいい曲が入ってるんだろうなと想像して買ったんでしょうね。この曲以外の記憶はありません。





大貫妙子の「シニフィエ」(1983年)。
シニフィエって意味分かりますか? 当時はねぇ、記号論てのが流行ってたんですよ。浅田彰の「構造と力」なんて読んでもさっぱりわからない本がベストセラーになったりして。シニフィエは記号論で言う”記号の意味内容”ってな意味です。
当初からCDで発売されていてもおかしくはない時期ですが、どうしてLPで持ってんだろ?

このアルバム中ではこの曲が一番売れました。



大貫妙子についてはベストアルバムをダウンロードして、今も私のiPodに入っています。もちろん、上の曲も。





デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」と「ラプソディー・イン・ブルー」。
2枚ともインストゥルメンタル曲ばかりのLPです。クラシックをアレンジしてロック風にするってのは当時からありました。そして割とヒットしてもいたんですよ。



1曲だけ拾っておきます。
ジョージ・ガーシュインがジャズをモチーフにしてクラシック音楽に仕上げた曲を更にロックにしたという、ややこやしい曲。
今、Wikipediaで調べてみるとロックではなく、「クラシックをエレクトリックジャズにアレンジした」と書いてありますし、ジャンルとしては”クロスオーバー/フュージョンのはしり”とのこと。まあ、何でもいいや。でも、ブログ書きながら聞き直してみましたがやはり名曲。デオダートさん、ご存命のようです。





エリゼッチ・カルドーゾの「エリゼッチ・カルドーゾ」とベッチ・カルヴァーリョの「燃えるカルナバル」。
え? 名前も聞いたことないって? そうでしょうねぇ。私も今回救出してみるまで忘れてました。変なレコードの極地。いや、もちろん、現地(ブラジル)では二人とも偉大な歌手ですよ。ボサノバと言うか、サンバと言うか、ラテンを深堀りしてみようかなと考えていた時期だったんでしょう、きっと。
アルバムの中の曲を1曲も覚えていませんし、もちろん現在のiPodの中にも入っていません。

最期はこの2枚。





シンガーズ・アンリミテッドは男性3人と女性一人のコーラスグループ。究極のコーラスグループと言ってもいい存在。松任谷正隆はオーディオセットの性能をシンガーズ・アンリミテッドの曲を再生して試すと言っていました。
下の2曲はできればヘッドフォンで聞いていただきたいくらい。

上の「ア・カペラ」から「青春の光と影(Both Sides Now)」



季節外れではありますが、下の「Christmas」からはオープニングの華やかな曲、「Deck the Halls」。
全体的におごそかな宗教音楽的な曲がほとんどのアルバム。しかし、それゆえにコーラスの美しさは光ります。





Posted at 2021/05/16 15:44:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記
2021年04月17日 イイね!

何度だって振り返る A LONG VACATION

何度だって振り返る A LONG VACATION既に私がフォローさせていただいてるJR120XEさんがこれを取り上げていらっしゃって、私も先月中に上げたかったんですが、今月になってしまいました。

そう、先月3月21日はあの A LONG VACATION 発売からちょうど40周年の日でした。
実は熱烈なファンを自認し、10年前にも「30年の LONG V・A・C・A・T・I・O・N」というタイトルのブログを上げていながら、それを忘れていました。
思い出させてくれたのは、ふらっと立ち寄った本屋でこの雑誌を見つけた時。



penは時々いい特集をやるんだよなぁ。

まずは、やっぱり、(いつまでリンク先が有効なのか分かりませんが)40周年を記念した Sony Music の公式 YouTube からアルバムオープニング曲の「君は天然色」。



10年前のブログで私は「もうイントロを聞いただけで自分の血が逆流するのを感じた。」と書いてますが、もっと正確に言うと、エコーの効いたドラムスティックをカッ、カッ、カッと打ち鳴らす音を聞いた時点で名曲であることを予感しました。
因みにこの曲、発売された1981年からこれまでに5社のテレビCMに使われ、昨年もサントリー金麦のCMに使われています。キャッチーな出だしがCMにピッタリだからだとは思いますが、39年前の曲ですよ。こんな曲、ほかにありますか?
歌詞の内容は失恋の曲ではあるものの、タイトル通りのカラフルな曲調でカラッとした雰囲気ですが、妹を亡くしたばかりの松本隆に無理を言って書いてもらった歌詞であることは有名な話。そう思って聞くと、また別の感慨に浸る曲でもあります。

pen に戻りますが、読んでみると初めて知ることもいろいろと載ってました。
まず「へーっ」と思ったのは、曲より先にアルバムジャケットにも使われている永井博のイラストがあったこと。大瀧詠一がこの画集を松本隆に見せて「こんなテイストにしたい」と提案したとのこと。ビジュアルイメージ先行でリゾート感は初めから狙ってたんですね。

もう一つ興味深かったのは、 A LONG VACATION からは離れますが、竹内まりあ のインタビューの中で語られた、彼女のアルバム「ロング・タイム・フェイバリッツ」に収められた大瀧とのデュエット曲「恋のひとこと(Somothing Stupid)」について。
まずはその曲を聞いてもらいましょうかね。



この曲、私の麻薬曲の一つなので、過剰摂取を避けている曲です。
大瀧の甘い声に重なる竹内まりあの声。また、切ないギターと美しいストリングスの演奏も絶品(録音はイギリスのアビーロードスタジオ)。この曲で一番有名なのはフランク・シナトラと娘のナンシー・シナトラのデュエットですが、それを超えてると思います。
フランク・シナトラに倣って大瀧はいずれ娘と一緒に歌えたらと考えていたようですが、竹内まりあ からのオファーで二人のデュエットが実現したようです。
実は、残念なことに、この曲が大瀧の最後のレコーディングとなりました。
2013年の大みそかに彼の訃報を聞いた時のショックを忘れられません。

ここから更に「 A LONG VACATION 」から離れます。「ウォール・オブ・サウンド(Wall of sound)」について語らせてください。
と言うのも、ウォール・オブ・サウンドの生みの親であるフィル・スペクターが1月16日に亡くなったからです。大瀧は1972年の内田裕也との対談で「スペクターサウンドの継承を研究したい」と語り、それを実践してきました。「A LONG VACATION」やそれ以降の彼の楽曲にはそれが見事に結実しています。

まず、ウォール・オブ・サウンドの代表曲と言えばこれ。



黒人3人のガールズグループ、ロネッツの Be My Baby(1963年 全米2位) 。
YouTubeにはいくつか上がっていますが、この動画が音が大きくて当時のダンスも興味深い。

私がウォール・オブ・サウンドに興味を持ち始めた頃、その語源を調べてみると「声や楽器の音を幾重にも重ねて、まるで壁のように隙間のない曲の特徴からその名が付いた」と言われていたような気がしますが、Wikipediaで調べると「音圧を上げるための音楽制作手法またはそれによる音楽作品」と出てますね。
”音圧”とは大瀧もよく言っていた言葉ですが、単純な音の大きさとは違う意味なんでしょうか? この辺は詳しい方にお聞きしたいところです。

フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドに影響を受けた曲と言えば、思い出すのはこれ。



「恋のウー・アイ・ドゥ」リンジー・ディ・ポール (1974年)。
フィル・スペクターは関わっていませんが、正当な継承と言う感じ。

もちろん日本でも大瀧以外にもフォロアーがいました。歌うのは岡崎友紀! 懐かし~っ!



「ドュー・ユー・リメンバー・ミー(1980年)」 作曲・アレンジは加藤和彦、作詞は奥さんの安井かずみ。
知りませんでしたが、多くの歌手に何度もリメイクされてるようですね。



フィル・スペクターは昔から奇行の人として知られていたようで、2003年に殺人罪で逮捕されたときも、山下達郎は驚いていませんでしたね。
そして、今年の1月に新型コロナウイルス感染に伴う合併症により、刑務所から移送された先の病院で死去したとのことです。

フィル・スペクターが消え、大瀧が消えた後も新たなウォール・オブ・サウンドが聞けることを望みます。

50周年、つまり10年後にも今年と同様の企画が期待できるでしょうか? 私はその時、72歳。振り返る気になれるかなぁ? いや、それ以前に生きてるかだな。

追伸のようなもの
親父の死を契機に、実家の大修繕工事をしています。その解体工事の中で40年前に私が買った A LONG VACATION のLPが捨てられてしまうという事件が起こりました。もちろん、LPレコードを再生できるプレイヤーなどもうありません。でも思い入れ深いLPでした。悔やまれました。
失意を抱えたまま、今日、実家に行くとまだ残っていました。外に放り出されて雨に打たれてはいましたが。ジャケットは水を含んでシワシワですが、どうせ聞けないLP。記念品としてしっかりと取っておきます。こうしてゴミ屋敷化が進行していくんだな。






Posted at 2021/04/17 19:01:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | 音楽 | 日記

プロフィール

「過去最大級のが採れた。500円玉まであと一歩。」
何シテル?   06/24 10:02
昔、メルマガで漫画のコラムを書いてました。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/7 >>

  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

リンク・クリップ

今年の年賀状 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2022/01/02 07:34:58
全日本模型ホビーショー 2015 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/09/30 22:59:15
 
クリーンでエコなnonchanとしては。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/06/06 20:04:24

愛車一覧

BMW 5シリーズ セダン BMW 5シリーズ セダン
E39の大人しさの中にもキリッとしまったところのあるデザインが好きです。アメリカでは不人 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation