
私が言ってる訳じゃございません。このブログのタイトルは、これからご紹介する本の帯に書いてあるセリフです。みんカラの皆さんにケンカ売ろうなんて気は毛頭ございません。ただ、私にとって、そしてみんカラに集う多くの方々にとっても十分にインパクトのあるセリフであると思います。
その本は松田久一著「『嫌消費』世代の研究」。
この本は現在の日本人を7つの世代にわけ、その内の一つ、「バブル後世代」をその性格から「嫌消費の世代」と呼び、研究したものです。
まず、筆者が分けた7つの世代についてご説明します。
焼け跡世代 1939~1945年生まれ 63~69歳 1100万人 8.6%
団塊世代 1946~1950年生まれ 58~62歳 860万人 6.7%
断層世代 1951~1960年生まれ 48~57歳 1860万人 14.6%
新人類世代 1961~1970年生まれ 38~47歳 1600万人 12.5%
団塊ジュニア 1971~1978年生まれ 30~37歳 1530万人 12.0%
バブル後世代 1979~1983年生まれ 25~29歳 830万人 6.5%
少子化世代 1984~1993年生まれ 15~24歳 1390万人 10.9%
私が就職して数年経った頃、「新人類」という言葉が新語としてセンセーショナルに登場しました。私を含む旧人類には彼らの価値観は理解できず、コミュニケーションもまともに取れないという意味でのネーミングでした。そしてその「新人類」を会社の新人として職場に迎えるとき、私たちは戦々恐々としたものでした。ところが職場に現れた彼らと接してみると、確かに世代のギャップはあるものの、それはどの世代間にもあるようなもので、決してコミュニケーションが取れないというほどのことではありませんでした。現に私のみん友さんの多くがこの新人類世代の方ですが、少なくとも私はみん友の方々と普通にコミュニケーションが取れていると感じています。(そうですよね?)
この本で初めて知りましたが、「新人類」はニュースキャスターの故筑紫哲也の命名だそうです。彼の世代から見ると、そういう距離感がある世代に見えただけのことかも知れません。
しかし、この本で「嫌消費世代」というところの「バブル後世代」は、確かに不可解な価値観の世代であることは私も否定しません。
この本の分類で言うと少子化世代に入ってしまいますが、同僚の大学生の息子は今も運転免許を取ろうともしないそうです。もちろん、車も欲しがりません。ここ1・2年で我社に入った若い男性の同僚が4人いますが、誰もマイカーを持っていません。去年、工業高校を卒業し、現在は専門学校に通う私の甥は免許は取ったものの、やはり車を買うという発想はないらしく、どうしても必要なときだけ母親の軽自動車を運転しています。
どうやらこうした傾向は何も特殊なものではなく、最近の若者に共通して存在するもののようです。
新人類世代の方々もそうだったと思いますが、私たちの世代は一刻も早く運転免許を取り、一刻も早く自分の車を所有するのが夢でした。大げさに言えば車を持てば何でも叶うと思っていました。車の所有は自由の獲得と同義だったと言ってもいいくらいでした。ですからローンを組んででもマイカーを持とうとしました。そして、そうした欲求は時代に関わらず若者に共通の価値観だと信じて疑いませんでした。
ところが、どうやらそうではなかったようです。私にとっては、彼らこそ”新人類”です。
確かにバブル後世代は安定した職に就くことも容易ではなく、所得も比較的低い。しかし、彼らの財布の紐を固くしているのはそれだけの理由ではないようです。明らかに私達とは気質に違いがあるようです。車が欲しいけど買えないというわけではなく、元々、興味がないんです。
車は象徴的な事例ですが、彼らが消費を嫌うのは車だけではなく、生活の全般に及びます。彼らが他世代に比べて関心が薄いのは車だけではありません。家電、海外旅行に対しても車同様に関心が薄いと分析されています。
筆者は彼らの嫌消費という消費スタイルの理由を、彼らの劣等感に求め、次のように分析しています。
それは、消費欲望が、あまりにも他者依存であるからである。「他人がどう思うか」「他人にどう見せたいか」が先行すると、他人に評価されないものは欲しいとは思わない。また周りの目を気にしすぎて、自らの購入目的が曖昧になり、購入動機が弱くなり買えなくなる。
結局は、バブル後世代の劣等感や自身のなさによる不安が彼らに、常に予備的貯蓄を動機付ける。
(アンダーライン部分は引用部分を示す)
こうした価値観の集団の中で”あえて”車を買おうとすると「車買うなんてバカじゃないの?」と罵倒される目に会うやも知れず、それを恐れて彼らは消費を控えてしまうというわけです。しかし、彼らの消費の動機が他人の目に左右されているとしたら、彼らはかなり窮屈な世界にいることになるわけですが、ホントにそうなのかな?
ともかく、この不況が続く日本で、彼らの消費スタイルは脅威です。私も彼らにも少なくとも他世代と同程度には消費して欲しいと思います。これ以上シャッターを閉めたままの商店街が増えるのは御免です。毎年減っていく給与明細の数字を見るのも勘弁して欲しい。
彼らを分析し、彼らの消費を活性化させる手立てを考えなければなりません。
しかし、一方でこうも考えられます。
分析しようとしているのは、自然現象はありません。対象は主体性を持つ生身の人間です。果たして彼ら自身は分析されたがっているんでしょうか? 消費行動を矯正されたがっているんでしょうか? 余計なお世話だと言われるに決まっています。
彼らの消費スタイルこそ成熟社会に合致したものであり、これまでの若者の消費意欲の方が過剰であったに過ぎないとする冷静な見方だってあるでしょう。
本書によれば、バブル後世代も決して買い物が嫌いというわけではないらしいし。
結局、彼らのお眼鏡に適う商品やサービスを彼らの前に提示するしかないんでしょう。ただ、今までの延長線上にそれはないような気がします。
彼らが日本経済の中核として働く何十年後か。現在の私達のような車との密接な関係の生活はどのように振り返られるんでしょうか?
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Posted at
2011/01/21 00:57:24