
昨年末の「ゼロ・グラビティー」に続き、「エンダーのゲーム」を観てきました。
「ゼロ・グラビティー」の原題は、実は「グラビティー(gravity)」。日本で「ゼロ」を付けくわえたんですね。まさかゼロ戦ブームにあやかろうとしたんじゃないとは思います。確かに無重力の場面がほとんどですから日本側の気持ちも分からないでもない。でもラストシーンで「グラビティー」こそタイトルとしてふさわしいことが分かります。
アカデミー作品賞の呼び声も高いそうですが、果たしてどうなんでしょう? 割と保守的な作品が選ばれることが多いような気がしてるんですが。
で、今回は「ゼロ・グラビティー」ではなく、アメリカのSF小説「エンダーのゲーム」とその続編である「死者の代弁者」のお話。
最近はあまり読んでませんが、SF小説も読むのが好きです。熱心なファンとは言えないので、優秀なSF作品に与えられるヒューゴー賞やネビュラ賞受賞作品なら間違いはなかろうと、権威に頼って選択することもあります。
作者のオースン・スコットカードは、「エンダーのゲーム」で1985年にネビュラ賞とヒューゴー賞を受賞し、翌年には「死者の代弁者」でやはり二賞を受賞。つまり二年連続でヒューゴー賞とネビュラ賞を受賞すると言う快挙を成し遂げています。
実は、「死者の代弁者」が「エンダーのゲーム」の続編だなんてことを全く知らないまま、「死者の代弁者」から読みました。(今でもそれを後悔しています)
「死者の代弁者」は表紙のヒューゴー賞・ネビュラ賞受賞の触書きが目にとまったことももちろんですが、SFらしからぬそのタイトルも気になり、手に取らずにはいられませんでした。
文庫本では上下2巻になる大作で、内容はやはり一般的なSFとは一線を画する、ある意味文学的な作品で、一部では宗教的とも批評されているようです。しかし、それは盛り上がりに欠ける長い退屈な記述に耐えて読み進まなければならない作品でもありました。もちろん、宇宙船もチラッと出てくるだけ、戦闘シーンも一切なし。
<あらすじ>
人類はエンダー・ウィッギンの活躍により昆虫型の異星人バガーとの戦いに勝った(この辺が「エンダーのゲーム」のお話)。その三千年後、ついに第二の知的生命体に遭遇した。惑星ルジタニアの森に住む動物ピギーが知性を持つとわかったのだ。ピギーは頭部が豚に似ており、体は猿に似た動物で主に樹上生活をしていた。今度こそバガーの時のような誤ちは犯すまい・・・・・・人類はピギーと慎重に交渉しはじめ、その調査のために異類学者ピポらが入植した。ところがピポはある日、ピギーに惨殺された遺体として発見される。死んだピポになり代わり、その真実の生涯について語ってもらいたい。そう依頼された<死者の代弁者>エンダーは、早速ルジタニアめざして旅立った。(エンダーは超光速で放浪の旅をしているのでエンダーの主観ではバガーとの戦いの数十年後という設定)
ピポが殺された場面以降は、これからやっと盛り上がると思いきや、またもや退屈な記述に戻ってしまいますが、エンディングに向けて徐々に盛り上がり、やがて思いもよらぬピポの死の真相が分かって来ます。
退屈に耐えた読後には、他者を理解することの困難さと、そのための努力を惜しんではいけないことを教えられ、深い感動が待っています。
当然、「エンダーのゲーム」も読みたくなり、捜して読みました。今ならネットで即、注文できるんでしょうが、当時はそんなことはできません。「エンダーのゲーム」を本屋で見つけたのは、「死者の代弁者」を読んでから結構、後だったような気がします。
表紙でもお分かりのように、戦闘シーンも多い作品で、「死者の代弁者」とは全くと言っていいほど趣が違う作品で驚いたのを覚えています。やや児童文学的といってもいいかも知れません。要するに軽めの感じなんですが、この作品もラストに重い結末が待っています。
主人公がニューカインドと呼ばれる特殊な能力を持った人間であることや、自己否定的に悩んでいることなど、「エンダーのゲーム」がガンダムのアムロや、エヴァンゲリオンのシンジのキャラクター設定に影響を与えたなどと言われています。
映画化に際して、出版社は日本のアニメへの影響を意識して、文庫本の表紙をこんな風に変えてきました。商魂たくましいなぁ。
映画の方は、比較的原作に忠実で、チケット代分は楽しめました。
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Posted at
2014/02/02 00:23:57