
いきなり柄にもなく一句。
雨上がり 愛でる人無き 桜咲く
当地の桜は七部咲きってところ。例年の桜の開花時期の日曜にはお花見の客でにぎわう桜の名所も今年は新型コロナウイルスの影響で数人が見上げるのみ。そんな様を詠んでみました。
さて、長かった沖縄旅行の振り返りも今回が最後。建築物編です。
最初は沖縄の安藤忠雄の作品。
これが沖縄では最初の安藤忠雄の作品のはず。まさかドン・キホーテになってるとはねぇ。竣工は1996年。当時は安藤作品の例に漏れずコンクリート打ち放しの外観だったようですが、現在はクリーム色に塗装されて安藤作品らしさが感じられません。場所は那覇一の繁華街である国際通り沿い。
外壁が塗装されていることとドン・キホーテであることで俗っぽさしか感じられず、中に入る意欲は失せてしまいましたが、人様のブログなどの写真を見ると真ん中に吹き抜けが貫いているだとか、見どころはあったみたいで、今になって見ておけばよかったかなとも思いますが、後の祭り。
もう一つの安藤作品。こちらはできたばかり。
こちらも那覇の中心街の店舗やホテル等の複合施設OPA。おそらく、最初からコンクリート打ち放しは計画されていなかったと思われます。そのせいでこちらも安藤作品らしさは薄いですね。ま、安藤忠雄個人の作品と言うよりは彼の事務所の組織としての作品と考えるべきでしょう。
メインとなる施設は沖縄県立図書館。
ゲートの手前までは写真撮影が許されました。
中にも入ってみましたが、ゆったりとした空間で読書が楽しめそうでしたが、閉架式なのか蔵書数はあまり多くも無いような感じでした。
続いては糸満市役所。
那覇空港の帰り道でたまたま見つけて寄りました。
↑南立面。
↑北立面
↑北東から。
この市役所の最大の特徴は南側にルーバー状に並べられたソーラーパネルでしょうね。
↑ルーバーを裏から見上げる。
ソラーパネルが無ければ普通の箱型建築。
このルーバーを支える斜めの柱(?)はPC(プレキャスト・コンクリート:工場で打設したコンクリート)の一体成型のように見えます。すぐ近くが海ですので、おそらくはどこか別のところでコンクリートを打設して船でここまで運んだのではないかと推察します。
設計は日本設計、竣工は2002年。
日本設計のサイトには今でも立派な糸満市役所の紹介ページがあります。
次が最も力を入れてご説明したい名護市庁舎。
かねてより、いつかは沖縄に行きたいと思い続けていましたが、それはこれを一目見たいがためでした。
過去のブログでも、私が大学を卒業する頃に建築のデザイン界で活発な議論がなされたポストモダニズムについて書いたことがありますが、もう一度そこから解説させてもらいます。
ポストモニズムがあるってことは、その前にモダニズムがあったってことですが、長くなるのでモダニズムの説明は省きます。要するにそれまでの主流であったモダニズムが限界に来てるんじゃないかってことで批判されるようになり、それまでモダニズムによって排除されてきた、装飾性、歴史性、土着性などを取り戻そうとした運動がポストモダニズムでした。(逆に言うとモダニズムは世界中どこであっても同じような建物であっていいとする考え方だったわけです。)
そんな動きの中で、名護市庁舎のコンペ(コンテスト)が行われ、早稲田大学のTeam Zoo(象設計集団+アトリエ・モビル)の案が選ばれました。それは思い切り土着性に振った案でした。竣工は1981年です。

↑コンペの案

↑コンペ案の模型写真
翌82年の春に私は就職したわけですが、私の大学にはたまに有名な建築家を呼んで学生の設計を批評してもらう即日設計(一日で簡単な建物を設計する授業)という授業があり、82年にはこの像設計集団の中心メンバーである大竹康市氏を呼びました。その日、当然、私は学生ではありませんからその即日設計には参加していませんが、研究室の先生からお呼びがかかり、先生と私ともう一人のの研究室OBとで大竹氏を囲んで飲む機会を得ました。もちろん、私は舞い上がっていました。ただ、当時の私達には大竹氏と突っ込んだ話ができるほどの能力もなく、「がばってください」と言われたことだけはよく覚えています。
この時から、名護市庁舎は是非見に行かねばとの思いは抱き続けていましたが、残念なことに大竹氏は83年に草サッカーの最中に倒れ、亡くなってしまいました。草サッカーで亡くなるなんて急に無茶な運動したせいかと思い続けていましたが、今改めてWikipediaを調べてみると、大竹氏は「高校時代にはサッカーと陸上競技でインターハイに出場」とありますから、サッカーも相当の腕前だったんでしょうね。
このこともあって、名護市庁舎を見に行くことは私の義務のような気すら感じていましたが、がんばった実感もなく定年を過ぎ、再就職先の社員旅行で30年以上かけてやっと訪ねることができたということです。
私が撮った写真をダラダラと並べますが、きっとその良さは分かっていただけると思います。
予備知識なしでこの写真を見せられて”市役所”と思う人はまずいないでしょうね。
文句なしの名建築だと私は思いますが、ネットでは「遺跡みたいな建物」と評されているようで残念です。ただ、私もこんな老朽化ぶりを見ると、確かに遺跡化しつつある現実を突きつけられます。
補修が追い付いていないんですね。
実は竣工当初は下の写真のように壁面のあちこちにシーサーが立ち、睨みを利かせていました。
ところが現在は落下の危険性が有るということで、全て撤去されています。
遠くない未来にこの市庁舎が解体される嫌な予感がしてなりません。
どうか、長く残って欲しいと祈ります。
最後に、建物ではありませんが、「沖縄すげぇ!」と思わせた公園をご紹介して締めくくります。
街中に唐突に表れた、この意味ありげな門を見て、車を停めずにいられませんでした。
門をくぐると・・・
ガジュマルの大大大木!
調べてみると崇元寺という寺院の跡地のようです。寺院の建物は沖縄戦で消失。
寺院が残っていたらどんな姿を見せてくれたんでしょうか。
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Posted at
2020/03/29 22:50:18