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成田のオッサンのブログ一覧

2025年07月27日 イイね!

暑中お見舞い申し上げます・・・クセツヨChatGPT

暑中お見舞い申し上げます・・・クセツヨChatGPT暑中お見舞い申し上げます。
外に出ると全身にドライヤーの熱風を当てられているような気分になる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。

前回のブログでお話したように、既に数人の方には暑中見舞いを送らせていただきました。それがタイトル画像です。よくできてるでしょ? 自分で言うな? でもね。これは完全に自分で作ったわけではなく、かなりChatGPTの助けを借りてます。今回はその辺の経緯をお伝えします。

その前に、暑中見舞い用のハガキについて。暑中見舞い用のハガキなんてすぐに入手できるだろうと思いコンビニを2軒ハシゴしましたが、入荷そのものが無いとのこと。郵便局ならあるだろうと行きましたが、かつての宝くじ番号付きの暑中見舞ハガキは廃止されていました。その代わりなのか、夏っぽい絵が印刷されたハガキはあるようでしたが、インクジェット対応ではない。結局、普通のインクジェット対応ハガキを買って帰りましたが、この辺の経過ってご存じでしたか? 恥ずかしながら私は暑中見舞い用のハガキが無くなっていることを初めて知った次第。

画像の話に戻ります。



いつものように我が家のベランダで物干し竿から釣り糸でB-25を吊り下げて撮影。数十枚撮って選んだのが上の一枚。

この機体について改めて調べてみると1944年10月まで中部太平洋戦域で運用されていたとのことで(つまり日本軍と戦っていたんですね)、空の画像のストックから背景に選んだのはこれ。



背景との合成の仕方は以前もご説明したことがありますが、まずは機体を背景から切り抜くことから始めます。で、切り抜いたのがこれ。ちゃんと釣り糸とその陰が見えなくなっていることにご注目いただきたい。



アホな私はここまで自分で作業してから思い出したんですよ。「あれ? こんなことはChatGPTにやらせればいいんじゃない?」って。
で、ChatGPTにやらせた結果がこれ。



最初はよくできてるなと思いましたが、よく見るとおかしなところも。



青矢印はアンテナですが、これを消さずに残したのはさすがでしたが、赤矢印のところは機体と影の区別がつかず、機体後部が大きく削がれています。やはりAIに任せきりと言うわけには行かないようです。仕方なく、機体は結局私が切り抜いたものを使うことに。

私の画像合成でいつも課題だったのは、背景と機体の馴染みがうまく行かず不自然さが残ったこと。これをChatGPTにやってもらおうと、機体の切り抜き画像と背景をアップロード。そして送り返してきたのがこれ。



機体の画像は全体的にフニャフニャした感じで納得できませんでしたが、感心したのは左主翼端。私がアップした画像では左主翼端は切れてますが、指示したわけでは無いのにちゃんと先端まで描かれてます。画像生成ですね。



機首のマーキングは勝手にアレンジしてます。PANCHITOとは読めないし、イラストも加工されてます。

とりあえず。機種の機銃が1本消されているので、それを復元するように頼んだら次に来たのがこれ。



頼んだのは機銃の復元だけなのに、あちこち変わってます。



・機体が画面の中で大きくなった。
・機首のイラストは更に変に。
・エンジンのカウリング先端全周に着色。
・スピナーとプロペラの残像が出現。
・背中の銃座周辺が溶けたようにうねっている。
・側面銃座窓の右下に奇妙な小窓が。
・左垂直尾翼の下の赤帯が消えた。

頼んでもいないことをあれこれとやってきます。どうしてそんなことをするのかは不明です。

プロペラの残像をもう少しハッキリと描いて欲しいのと、色味がくどいので、青みを抑えるように指示します。出来てきたのがこれ。



割といい感じですが、おかしなところも。



〇で囲んだ小窓ですが、どうしてこんなものが生成されるのか不明です。

今度は色味が落ち着きすぎたのと、エンジンのカウリングの塗り分けは私がアップした画像に忠実にするよう指示。



妙な小窓は(指示してないのに)無くなりましたが、PANCHITOは完全に別の文字に変わってますし、全体的に劣化ですね。前の方がまだ良かった。

そこで、3つ前の画像の機首のイラストを私がアップしたものに忠実にと頼んだら、ChatGPTはどうしたと思います? 
一言で言えば 匙を投げました
後はPhotoshopでやってくれと。驚きました。ChatGPTが依頼を投げ出すことがあるのかと。

機体写真に忠実では無いものの、どれも確かに背景との馴染みはいい。私ではここまでできない。
裏切られた気持ちもあるものの、ChatGPTの協力に敬意を表して途中に出てきた画像を少し加工して最終案としました。




Posted at 2025/07/27 11:47:53 | コメント(2) | トラックバック(0) | ChatGPT | 日記
2025年07月13日 イイね!

壮大な計画

壮大な計画暑いっすねぇ。

2014年あたりから、毎年、西暦の下二桁に合わせてキットを製作し、年賀状や暑中見舞いにして数名の方に送ってるって話は、前回のブログでも触れてますからもういいですよね。
で、2025年については前回のB-25Jで暑中見舞いとして間もなく発送できる予定です。で、その先を、ずっと先まで考えながら、同時に自分の老いと向き合ってみるという趣旨のブログです。

2026
まず来年、2026年はタイトル画像の”B-26K Counter Invader"と"B-26C Invader”。どちらもイタレリ製のキットです。思い入れのある機種ではありませんが、"B-26 Marauder"に比べればいくらかマシという理由で選択。
そう、同時に2機作ろうとしてます。既に手は付けてますが、過去にも2機作ろうとして挫折したことがあるだけに心配ではあります。ほぼ半年の期間はあるので、何とか来年の年賀状には間に合わせたい。 

2027
27と言ったら、ここはやはりSu-27でしょうね。東側の機体らしからぬ流麗なフォルム、一度は作っておかねば。
2018年にはイギリスでこの目で見たウクライナの機体を再現したいですね。あの時はまさかロシアとの間で戦争が起きるなんて思ってもみませんでしたが。





キットはハセガワからも出ていて持ってもいますが、ロシアのズベズダ(左)かトランぺッター(中)のどちらかでしょうね。デカールやマスキングシールはエレール(右)のを使えばウクライナのデジタル迷彩の再現も幾分楽になるはず。(でも実際は手こずるでしょうね)

2028
28は苦しい。(いや、後にもっと苦しい年もあるんですが) 22までは米軍機がありましたが、それ以降はどうしてもソ連機と言うかロシア機が該当するケースが多くなってしまいます。そしてあまり思い入れを持てない機種を選択せざるを得ないことになってしまうわけです。



候補はドラゴンのMi-28ハボック(左)かAモデルのYak-28I/IM(中)か米海軍の練習機T-28Bトロージャン(右)。ハボック、トロージャンは思い入れが薄いし、Aモデルは難物だしなぁ・・・。どれにするかはその時になって考えよう。

2029
またしてもロシア機ですが、まあ、ここはMiG-29でしょうね。



国産メーカーからも出ていますがいかにも古い。比較的新しいG.W.H(グレート・ウォール・ホビー)(左)かトランぺッター(右)のどちらかでしょうね。

29と言えば、かつて日本人を苦しめたこの機体もありますね。



B-29。確かに日本人にとっては忌まわしい記憶の機体ではありますが、その技術は戦後の旅客機にも生かされていますし、エポックメイキングな機体であることは間違いなく、作る価値はあるでしょう。その時はB-29の旅客機型とも言えるB-377も一緒に作れたら本望ですな。どちらも大物だけに実現はかなり難しいでしょう。

ところで、2029年用の年賀状用の模型は2028年に作るわけですが、その年に私は70歳になります。私が現在の勤務先に入社した時は70歳が定年とされていましたが、現在は70歳の時点で人手が不足していて本人が希望すれば73歳まで雇用を延長できる制度ができました。実はこの制度ができて以降、一人も雇用延長しなかった人がいません。70歳を迎えた人全員が73歳までの雇用延長を希望したってことです。最近、間もなく73歳を迎える先輩と話す機会がありましたが、その人は次の職場を探していました。正直、「そこまで働かなきゃいけないのか?」と思いましたね。
もちろん健康で働ける間は働いた方が経済的には安定するでしょうが、どうしても健康寿命の残りが気になりますね。最近、私は視力の衰えをヒシヒシと感じており、果たして何歳まで模型を作り続けられるのか心配しております。
この歳の私、どんな判断をしてるんだろ?

2030


ついにズバリ30に該当する機種を探し出せず、苦し紛れでズベズダのC-130Hを選択。それを右側のブルーエンジェルスのサポート機であるファットアルバートの塗装にする予定で既にそれ用のデカールも用意してあります。
私は中学1年生の時に現在の県営名古屋空港でF-4ファントムのブルーエンジェルスの曲技飛行を観ており、歴代のブルーエンジェルスの機体を作ることをライフワークの一つと考えています。ファットアルバートもその内の1機ってことですね。

2031


まあ、31はこのトランぺッターのMiG-31しか無いでしょうね。複座と単座の違いはありますが、例の函館強行着陸のMiG-25とほぼ同型の機体です。
どうでもいいことですが、今年になってから、このMiG-31と後に出てくるSu-34を二つまとめて海外通販で購入したら。1,500円の関税を取られました。

2032

32はボーイングX-32 JSF(左)か零戦32型(右)しか思いつきません。X-32はF-35と競って不採用になった機体ですね。フグみたいとかいろいろ言われてましたが、これがたくさん飛んでる空って想像したくない。てことで翼端を切った零戦32型かな。合わせてタミヤの1/72の零戦全型を作るかな。

あるいは、Z32なんて車に逃げる手もあるかな。これも作っておかないと死ねないアイテムではあるかと。



2032年の年賀状用の模型を作ってるのは2031年。この年、私は73歳を迎えるわけで、さすがにこの年には完全リタイアすると思うんですが。そうすれば毎日が日曜日? 模型、野鳥撮影、たまに登山、ちょっとした野良仕事など、毎日昼間っから好きなことだけして暮らしてるんでしょうか? いや、前提としてその時までちゃんと生きてるかってこともはっきりしてるわけじゃないし、死んでないにしても健康かどうかは分かりませんよね。視力はどうなってんのかなぁ?
生きてて、健康であれば趣味三昧の毎日を送っている・・・だといいんですが、そう簡単じゃないだろうなぁ。

2033


33と言えばかつて空自でも使われていたT-33でしょうか。古い古いハセガワのキットもありますが、新しいプラッツ(左)かソード(中)でしょうね。これのどちらかとハセガワのSu-33(右)も作っておきたいですね。Su-27の派生型ではありますが、カナードが付いてるのがカッコいい。

2034


またしてもSu-27の派生型ですが、やはりSu-34でしょうね。イタレリ(左)のは緩いキットですので、トランぺッター(右)ってことでしょうね。完成したらSu-24と並列複座機どうしで並べてみたいですね。

2035


35と言ったらF-35しかありませんね。タミヤのA,B,C(8月発売予定)型で決まりでしょうね。この頃には実質的な空母艦載機としてF-35Bも活躍してるはず。そして順調に行けば日英伊で開発中のGCAP(日本ではおそらくF-3)が実戦配備される予定なんですが、まあ、遅れるでしょうね。

この先、10年分を見通してみましたが、どうにか健康であるとしてもこの先何年模型を作り続けられるんでしょうね? どこかでストックを手放す決断にも迫られるんでしょうね。それも健康であればこそできることではありますが。










Posted at 2025/07/20 11:43:28 | コメント(6) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2025年06月21日 イイね!

ハセガワ 1/72 B-25J 製作記(Hasegawa 1/72 B-25J Building report)

ハセガワ 1/72 B-25J 製作記(Hasegawa 1/72 B-25J Building report)暑くなってきましたね。現場での熱中症の発生を本気で心配しなきゃいけないシーズンです。

さて、毎年、数人の方に、その年の西暦の下二桁に因んだ機体のキットを組み立て、背景とそのキットの写真を合成して年賀状としてお送りしているって話はここで何度もしてるんでいいですよね? キットの製作が遅れて年賀状に間に合わなくて、寒中見舞いや暑中見舞いになってしまうって話ももう聞き飽きましたよね。
で、今年も暑中見舞いになってしまったわけですが、残暑見舞いにはならなくて済みそうです。一応キットは完成してますから。それが今回ご紹介するハセガワの 1/72 B-25J。

25の選択肢としては、1976年に函館に強行着陸して世間を騒がせたMiG-25なんてのもありますが、MiG-23、Su-24とソ連機(ロシア機)が続いていますし、キットは持っていますがMiG-25にあまり思い入れを抱けない。ここはやはり大戦米軍機のB-25で。

まずは実機の説明からと思うわけですが、毎回こういうのはどんな人に向けて書こうか迷います。詳しい人にとっては「今更・・・」でしかありませんからね。ま、思いつくままに書きます。
B-25で最大のエピソードと言えば、やはりドーリットル空襲でしょうね。日本軍は昭和16年12月に真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争が始まり、初期には日本軍が押していたわけですが、アメリカも士気高揚の作戦を考案し、開戦の翌年の4月に、初めて東京他の都市を爆撃させます。それを率いたのがドーリットル中佐で、爆撃機は空母ホーネットから飛び立った16機のB-25でした。確かにB-25は爆撃機としては小型ですが、空母から爆撃機なんて正気の沙汰じゃありません。


ホーネットから飛び立つB-25。


離艦するB-25を見送る乗組員。

16機のB-25は東京、川崎、横須賀、名古屋、神戸などに爆弾を投下しましたが、目標を正確に攻撃できたわけではなく、戦果は大したものではありませんでした(それでも日本の死者は87名)。しかし、日本軍は予期せぬ爆撃に混乱しました。



空母から離艦したからといって空母に着艦できるわけではありません。爆撃後は中国大陸の基地に着陸する予定でしたが、1機はウラジオストクに着陸、中国大陸に向かった残りの15機も不時着だったり、空中脱出だったり。乗員の内8名が日本軍の捕虜となり、その内3名が処刑され、1名が病死しています。


連行される乗員。

作戦全体を振り返れば、あまり成功とは言い難いのですが、帰国したドーリットルは英雄扱いされます。

今月1日のウクライナの”蜘蛛の巣作戦”、日本軍の真珠湾攻撃に例えた報道もありましたが、戦果はともかく、作戦の奇抜さと敵軍の指導部のメンツを潰した点で言えば、このドーリットル空襲の方がよほど近いと思うのですが、いかがでしょうか?

やっとキットの説明。

冒頭で説明した年賀状用の写真は基本的に飛行状態としているので、乗員が乗っている必要があります。このキットには乗員のパーツはありませんので調達することになります。

以前にB-17を作った時に、韓国のLEGENDというメーカーのフィギュアを使いました。今回も同じLEGENDのフィギュアですが、リニューアルされてずっとリアルなものになっていました。



この中には航法士、無線士などもいるわけですが、人生の残り時間が気になる私としては、見えないところは手を入れないと決めているので、完成後に見えそうなクルーだけ作ります。



組み立てて墨入れをした状態。機長、副機長、爆撃手、左右銃手、機尾銃手。


右半身



操縦席の計器の裏と操縦席の下の機首への通路部分にこれでもかと釣り用の重りが詰め込んでありますが、実はこれでも足りなかったことを展示会で気づくという体たらく。


右銃手。ファレホで塗ってますが、やはり食い付きが弱い。
割と出来はいいのに、完成後は見えなくなります。


機尾銃手。これも見えなくなります。


左半身。

左右接着。


赤丸で囲った部分にヒケがあり、パテで埋めました。





クリアパーツのマスキングシールを取り寄せて貼りましたが、ピッタリとは合わない箇所もあり、一部加工したりマスキングゾルを併用したりして貼っています。
国産の安くて正確なマスキングシールがあるのを早く思い出すべきでした。

写真を撮り忘れましたが、機首のノルデン爆撃照準器のパーツは残念な形状で、しかも小さすぎる気がしたので、これもアフターパーツを取り寄せて取り付けましたが、案の定、完成後はほとんど見えなくなりました。


実物のノルデン爆撃照準器。

ノルデン爆撃照準器は当時の最高機密で、先に述べたドーリットル空襲の際には撃墜される可能性も考えてこれを外していました。



クリアパーツの透け防止とシルバーの下地を兼ねて全体に黒を吹きます。

私の場合、よくあることですが、ある程度進めてからどの機体にするか決めることがよくあります。私の理想のB-25は・・・
・グラスノーズ(機首がガラスであること。J型でも機首が金属製のソリッドノーズもあります)
・全体が無塗装のシルバーであること。
・強そうなこと。機種左右側面の2丁ずつの機銃は必須。
で、この条件に合致する機体はと探すと、意外に少ない。安っぽい機首のイラストは好みではありませんが、この現存するPANCHITOにすることに。









この機首の安っぽいイラストですが、これでも戦時のものから現代風にアレンジされているようです。



有名そうな機体だし、デカールはどこかにあるだろうと探し回ってやっとアメリカのサイトで見つけましたが、注文を受けてから印刷するという無在庫、家内工業のようなところ。価格も送料を含めて4千円以上だったような記憶。我ながらアホだと思います。自分で作ればよかった。ま、良質のデカールではありましたが。

機体全体は最近の写真を意識して、普通の銀色ではなく、ミスターカラーのSM201(スーパーファインシルバー)で塗装。結構ギラギラした感じに。特に汚し塗装はしていません。

























Posted at 2025/06/22 10:34:10 | コメント(5) | トラックバック(0) | 模型 | 日記
2025年06月07日 イイね!

4月、5月の鳥さん

4月、5月の鳥さん模型関係のブログのアップを目論んでいましたが、こっちの方が素材が揃ってて簡単なんで鳥さんネタで。

最近の土日の朝は早起きしてふれあいの森に出掛け、知り合いのカメラマンの皆さん4~5人で連れ立ってカメラを抱えて百々ヶ峰に登り、野鳥撮影登山を楽しんでいます。大勢の方が目が多くて、鳥さんを発見しやすいというメリットがあります。
4月はまだそこそこの成果がありましたが、最近は目ぼしい成果も無く、ただ健康維持のためのようになってますが、「それもまた良し!」ってとこでしょうか。

まずは、久し振りに撮れたヤブサメ。









全て同じ時に撮った同一個体です。手振れが出てますね。4年振り、2度目の撮影。めったに会えません。

続いてはオオルリ。今シーズンはたくさん出会えました。









コルリも撮れたことは撮れたんですが、暗すぎて加工してもお見せできるものではありませんでした。

お次はアカハラ。珍しい鳥ではありませんが、このタイミングで無ければ撮らなかったかも?







散り敷かれた八重桜の花びらの上を歩いていました。多くのカメラマンが撮ってましたが、人が近くにいても割と気にしません。

登山道を歩いていると、ひょいと飛び出して私の前を横切って枝にとまったのはセンダイムシクイ。



割と鮮明に撮れました。

オオルリもそうですが、このキビタキも春と言うより夏鳥。







↓おそらく、キビタキの幼鳥。



5月に入ってからの夕方、近所のTVアンテナにとまってきれいな声で鳴いてる鳥がいる。遠くて何の鳥か分からない。慌ててカメラを取って来て撮ったのがこれ。



望遠レンズで撮った画像を見ても分からない。画像検索でやっと分かりました。イソヒヨドリ。見るのははじめてじゃありませんが、海なし県のこんな内陸部にいるはずが無いと思い込んでました。調べてみると岐阜市内の目撃例は結構あるようですね。

まあまあの撮れ高だったとは思うものの、一方でウソとコマドリは今シーズン一度も出会えませんでした。来年に期待。

最後は最近撮ったサンコウチョウ。



来てることは来てますが、例年であればそろそろ巣作りの頃なのに、落ち着きがありません。我々が狙えるところで巣作り&子育てをしてくれるとありがたいのですが。


Posted at 2025/06/07 19:25:25 | コメント(1) | トラックバック(0) | 野鳥 | 日記
2025年05月23日 イイね!

「かくかくしかじか」観てきました

「かくかくしかじか」観てきましたこれを見ないわけには行きません。原作の漫画が2015年にマンガ大賞を受賞した時にブログにして皆さんにお勧めしましたが、それが映画化されたわけですからね。今回は”美大”を軸に感想を。
(ネタバレを含みますのでご注意を)

原作の漫画「かくかくしかじか」は作者である東村アキコの自伝的漫画。主人公の明子は将来は漫画家になることを夢見ていましたがそれを親に言い出せず、いくらかそれに近いであろうという理由で進学先として美大を選びます。美大は受験科目としてデッサンがあるからと、対策として宮崎の田舎にあるデッサンの教室に通うことになり、そこで出会った日高先生とのあれこれを描いたのが「かくかくしかじか」。

観ていて、自分でも忘れていた過去を思い出しました。
高校2年の時だったか、あるいは3年になってからもまだ少しは考えていたのかもう覚えていませんが、私も一時、美術系の大学への進学を考えていた時期があったんですよ。具体的に言うと九州芸工大。今調べると現在は九州大学に併合されて九州大学芸術工学部になってるんですね。
普通の受験勉強しかしていなかったし、さすがに純粋芸術の分野でどうにかなるような才能は無いことは分かっていました。だから「インダストリアルデザインとかなら何とかなるんじゃないか?」「国立だし、卒業後もそれなりの就職先はなんとかなるでしょ」なんて甘い考えを持っていたんですね。
九州芸工大も受験科目にデッサンがありました。高校の美術の授業でデッサンはやったことがありましたが、美術部に入っていたわけでもありません。おそらく九州芸工大を受験していたとしても落ちていたでしょう。
家でもその希望を親に言ったことがあり、親父は仕送りなども覚悟はしていたようですが、家の経済状況が気になっていましたし、やはりそこを卒業してちゃんと食えるんだろうか?ってことが気になり、折り合いを付けて、家から通える地元の大学の建築学科受験てことに落ち着いたわけです。

美大卒と言うと、思い浮かぶ二人がいます。

一人は実家の隣家のSさん。私より5歳ほど年長で、子供の頃はよく遊んでもらいました。東京の美大(武蔵美か多摩美?)に進学。私が中学生の頃にSさんが大学で描いたデッサンを見せてもらったことがあります。黒炭ではなく鉛筆画で、バケツのデッサンがあったことは覚えています。卒業後にどこに就職したのかはよく知りませんが、何年かして実家に戻ってきて、喫茶店をやってみたり、中古車販売をやってみたり・・・。経済的にも不安定なことがはた目にも分かりました。

もう一人はSさんとは真逆な人。日比野克彦。現東京芸大学長です。

私と日比野氏は同い年で、彼は岐阜市内の加納高校の美術科出身。ちょうど私の高校受験の時から岐阜県では学校群制度が始まり、私も加納高校に振り分けられる可能性がありました。私の中学時代の同級生で加納高校に行った友人には「体育の授業は美術科の日比野君と一緒にやったよ。」なんていう奴がいたりします。
ですから私も会ったことも無いのに、親近感だけは持っています。だけど、現東京芸大学長と言えば、あの日本画の平山郁夫の3代後のポストだし、日本の美術界の頂点と言ってもいいでしょう。とても私などが親近感を抱けるような存在ではないはず。恐れ多くて「日比野君」なんて呼べません。

そんな対極的な美大卒の二人を知っているわけですが、美大卒業生の大半はSさんのようなもんだと思っています。良くてどこかの学校の美術の先生。それだって求人がコンスタントにあるはずはありません。おそらくは美術と何の縁も無い仕事に就いている卒業生がほとんどじゃないでしょうか。

明子は先生に「高校の美術の先生の空きがあるから宮崎に帰ってこい」と言われて大学卒業後に宮崎に帰省しますが、「あ、あの話か、あれはダメになった。だからこの教室を手伝え。」と言われてプータローに。
親からは「お前をプータローにするために高い授業料払ってたんじゃない!」と叱られ、仕方なく父親の会社のコールセンターでクレーム対応の仕事に就きますが、お局様にいじめられたりしてこれが嫌で嫌でたまらない。時間がたっぷりあった大学時代には1枚も描かなかった漫画を、この仕事から抜け出すために描き始めます。
そこからの成功ストーリーは、映画では割とあっさりと描かれますが、この辺は原作漫画の方が高揚感があってよかったですね。ただ、集英社の担当の電話越しの声がだるくて面倒臭そうな声から、明子の漫画の人気と共に徐々に明るい声に変っていくのは映画ならではですね。
で、大学時代の彼(西村君)とは卒業後も交際は続きますすが、金沢と宮崎の遠距離恋愛は自然消滅。宮崎の明子と金沢の西村君の電話の場面があるんですが、(まだ携帯電話が普及する前なので)電話ボックスの中で受話器を持って話す西村君はネクタイにスーツ姿。はっきりとは描かれませんが美術とは関係のない仕事をしていることを匂わせています。

主人公明子役は絶賛お騒がせ中の永野芽都、日高先生役は大泉洋。配役が発表されたとき、永野芽都はよく知らなかったのでどうでもいいんですが、大泉洋には不安を覚えました。だって大泉洋と言えばどうしてもコミカル要素が出ちゃいますよね。でも原作の先生はそんな要素は全く無し。適役とは思えなかったんですよね。でもちゃんと先生でした。
聞けば、スケジュールがタイトで大泉洋はオファーを何度も断ったそうですが、それを原作者の東村アキコが頼み倒して引き受けてもらったそうな。



原作漫画第5集の表紙ですが、確かに大泉洋に似ていなくもない。

そしてね、永野芽都もずっと映画を観てると、「きれいだな」「色っぽいな」と思えて来ちゃうんですよね。映画はずるい。

そして、まあ、泣けますよね。泣けるように作ってあるもん。特にラストは。



こちらはメイキングを含む動画。原作者の東村アキコや西村君も登場してます。







Posted at 2025/05/24 10:59:40 | コメント(1) | トラックバック(0) | 映画 | 日記

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「過去最大級のが採れた。500円玉まであと一歩。」
何シテル?   06/24 10:02
昔、メルマガで漫画のコラムを書いてました。
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